☆新しい生活と、人を使うという事。
目を覚ますと、体が何となくぎしぎしと痛かったが、お腹の痛みは幸い何ともなくなっていた。
お部屋も暗い。
私の部屋のカーテンはつぎはぎだらけのレースのカーテンだったので、朝日が昇るとともにお部屋は明るくなるはず。
(あら? まだ夜なのかしら?)
体を起こそうとベッドに腕に押し当てて力を入れた時、ふわっとした感覚を感じて、ここは今までの私の部屋でないことを思い出した。
(そういえば、ジョシュア様のお屋敷だった、わ。)
私の体に触れている物は、私の家であったなら、洗いざらしとつぎはぎのあるシーツとぺったんこの枕がセットになった我が家のベッドであったが、いまは肌触りの良い、柔らかな布のかけられた、たくさんの枕と良い香りのするシーツ、柔らかなベッドである事も頷ける。
部屋の暗さに目が慣れれば、カーテンの隙間から明るい光が細い光となって差し込んでいる。
(やっぱりもう朝なのね。)
ゆっくりと体を起こし、ベッドを抜け出ると、床に置かれた可愛らしいレースのルームシューズを履いて、部屋中のカーテンを開けたあと、真ん中の窓を一つだけ開けた。
まだ靄のかかる空気はすこし冷たく、澄んでいてとても気持ちがよかった。
「……このお屋敷に本当に住むのね……なんだかとても不思議な感じだわ。」
そのまま少し朝の空気で深呼吸した後、きょっろきょろと見まわして、お部屋にある扉の方へ向かう。
「えぇと、これが廊下に出るための扉だったから……こっちかしら?」
そっとドアノブをまわして扉を押し開く。
見えたのは、昨日入った猫足のバスタブのある明るい色調の浴室。
「あら、浴室だったわ。 間違いね。 でも、ちょうどよかったかも。」
手探りで魔導ランプを付けると、そのまま中に入る。 洗面所で顔を洗って備え付けのタオルで顔を拭くと、置いてあるブラシも借りて丁寧に髪を梳く。 そうしていつも通り身支度を整えてから、櫛や床に落ちた髪の毛などを摘み取って傍にあった屑籠に入れて、浴室を出た。
「……次はこの扉ね。」
その隣の扉をそっと開ける。
「……ここは、お手洗いね。」
また違ったわ、と扉を閉めて次の扉……と手をかけた時だった。
コンコン、と、扉をノックする音とともに、優しい声で問いかけがあった。
「ポッシェ様、お目覚めでございますか?」
「はい。 大丈夫です。」
ドアの部に伸ばしていた手を引いて、私が答えると、扉が開いた。
「「おはようございます、ポッシェ様。」」
そう言いながら、セービングカートを押して入ってきたのはレーラとアンナだった。
「おはようございます。 レーラ、アンナ。」
昨日から来たとはいえ、見知ったお顔にちょっとほっとして挨拶を返す私に、レーラはにっこり笑ったまま首をかしげた。
「ポッシェ様、そちらで何をしておいでなのですか?」
それには私は素直に答えた。
「少し前に目が覚めて、着替えをしようと思ったのだけど、お部屋がわからなくなってしまって探していたの。」
「さようでございましたか。」
「衣装部屋はこちらでございますわ。」
そっと傍に寄って来たアンナが、衣装部屋の扉を開けてくれたため、お礼を言って中に入る。
それに続いて入ってくるレーラとアンナのうち、レーラが私を鏡台の前に座らせると、恐れながら、と頭を下げた。
「ポッシェ様。 カーテンの開け閉めもでございますが、今後はどうぞ、私共がこうしてお部屋に尋ねて来るまで、ベッドの中でお待ちくださいませ。」
「え?」
それには、私は首をかしげてしまった。
「でも、今までも毎日自分でやっていたわ。 今日はちょっと迷ってしまったけれど、明日からは迷わないし、大丈夫よ?」
そういうと、レーラは首を振った。
「以前のお屋敷では、ポッシェ様が朝のお支度を一人でなさっていたのは存じ上げております。 それがばあやさんのお体を労わっての事だという事も。 その優しいお心使いは大変に結構でございます。 しかしこのお屋敷には私も、アンナも、他の者もおります。 ですから、ポッシェ様の身の回りのお世話は全て私共にお任せくださいませ。」
(全て?)
ちょっとだけ考えてから、私は慌てて首を振った。
「そんなの悪いわ。 自分でできることだもの。 皆も忙しいでしょう? 私の事は大丈夫よ?」
「いいえ、ポッシェ様。 今申し上げたことはすべて侍女の仕事でございます。 侍女である私共から仕事を取り上げないでくださいませ。」
その言葉に、私は数回瞬きを繰り返した。
「仕事を取り上げる?」
そんな私にレーラは『はい』と、笑って頷いた。
「私共侍女は、主人のお傍に控えお世話をすることが仕事でございます。 朝夕のお支度や日々の行われる生活動作の補助……そうですね。 お勉強の準備やお茶のお支度、ポッシェ様のお散歩の際の日傘を持つ事、外出への付き添いなど……ポッシェ様が一日ご不自由なく気持ちよく過ごしていただけるように傍に仕えるのが仕事でございます。 それをそのように必要ないと言われれば、私共職を失ってしまいますわ。 そうすると、私もレーラも、新たに仕事を探さなくてはなりません。 そうしろと仰いますか?」
職を失うと聞いて、私は慌てて手と首を振った。
「そ……そんなつもりではないの! だけど、自分でもできることを人にしてもらうのは……。」
慌てた私に、レーラは頷いてくれる。
「存じ上げております。 ポッシェ様は今まで侍女をお使いになられたことがないのでお解りになられなかったのでございましょう? ですから、今日からわたくし共がお教えしてまいります。 どうぞ、まず『人を使う事』を覚えてくださいませ。」
「人を使うこと?」
「さようです。」
にこっと笑って答えてくれる2人。
「適材適所という言葉がございます。 ポッシェ様にはまず、女伯爵としての知識、教養、マナーと共に、そばにいる人を使い、お仕事をすることを覚えてくださいませ。 女伯爵となられたからには領地の事はもちろんですが、旦那様と結婚成されてからは商売の場、社交の場、様々な場面で、『人を使う事』『人に使われる事』『人にお願いする事』『人からお願いされる事』そして『それを受けること、断る事』が増えて参ります。 勿論、どのようにすればよいか、社交の先生にも教えてはいただけますが、咄嗟に判断しなければならないこと、その判断を見誤る事も出て参ります。 社交をなさったことのないポッシェ様は、まずこのお屋敷にいる間、当家の使用人を相手に、人を使うこと、人を見ることに慣れていただきたいのですわ。」
(もしかして私は、とんでもないことを引き受けてしまったのではないかしら?)
言われていることが難しくて、私は少し、うつむいてしまった。
「そんな大層なこと、私に出来るかしら……。」
そんな私の手を取ってくれたのはアンナだ。
「お出来になられますとも。 私と侍女長のレーラ、それに他の使用人や今探している先生方が、ちゃんとポッシェ様にお教えしますわ。」
ぎゅっと優しく握られた手に、私は少し、安心する事が出来た。
「わ、解ったわ。 ジョシュア様にご迷惑をおかけしないように頑張るわね。」
「そのお心意気でございますわ、ポッシェ様。 では、御着替えを始めさせていただきますね。」
「はい。」
そうして、レーラとアンナの手を借りながら、私は朝の身支度を始めた。
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大変に助かっております!(直そう……)




