☆【ジョシュア側視点】彼女にこれから求められること。
昼食後、仕事があるからと執務室でソファに座り、大きなクッションに顔を埋めてうずくまる主人に、自他薦とわず『出来る男』であるセバスチャンは声をかけていた。
「……旦那様。 ……旦那様。」
しかし当の主人は、あいも変わらずクッションに顔を埋めたまま、なにやらプルプルと震えているようだ。
「旦那様。 旦那様……。 はぁ~。」
ため息ひとつ。
執事・セバスチャンはかけていた眼鏡を外すとキュッキュと眼鏡用の布巾でそれを拭き、しっかりとかけ直してから主人の傍によると、すぅっと大きく息を吸い、掃き出しついでについでに大きく声を張った。
「ジョシュア様! いい加減にしてくださいっ!」
「何だよ、うるさいなぁ! 今、心のアルバムにポッシェ嬢を記録しているんだから、ほっといてくれ!」
「……はぁ……?」
がばっとクッションから顔を上げたジョシュアの口から飛び出した問題発言。 セバスチャン、大きく一度固まった後、しばらくして正気を取り戻すと、なんとなく右の小指で自分の耳の穴を掃除し、ふっとついてもいない耳垢を吹き飛ばした。
それから深呼吸を3つ繰り返し、ようやくいつものように紳士然を返答した。
「もう一回言ってくださいませんか? 今、何を、何とおっしゃいやがりましたか? 旦那様。」
ショックのあまり今一つ丁寧になり切れないままに、ソファに座ってクッションを抱きしめる主人に問えば、主人は微動だにせず言った。
「俺の心のアルバムにポッシェ嬢の可愛い姿を念写しているからもうしばらくほっといてくれって言ったんだよ!」
大切な事なので、もう一度言った、くらいの勢いだ。
これはもう、あっけにとられるしかない。
……oh……人間とは、心に映像を念写できる生き物だったんですね……とは言わない。 一応、こんな気持ち悪いことを言い出しても主人だから。
でも口に出た。
「25過ぎての初恋って、人を気持ち悪くするんですね。」
「失礼だぞ!」
ジョシュアはクッションをセバスチャンに思いきりぶん投げる。
それを楽々と受け止めたセバスチャンは、はぁ、とため息を一つついた。
「悪いとは言っておりませんよ、旦那様。 ですが、これからずっと一緒にお暮しになるんですから、いちいち念写とやらをされていては、旦那様の記憶メモリーが要領オーバーになります。おやめいただけたらと存じあげます。」
「お前、今噴き出したな?」
「いえ、そんなことはしておりませんよ。」
いつもの愛想笑いを浮かべてそう言ったセバスチャンにチっと舌打ちしたジョシュアは、溜息をつきながらあきらめたように執務机に向かった。
その姿を見てセバスチャンも、手に持ったクッションをきちっとソファに戻し、机の前に立ち補佐を始める。
が、話題は本日屋敷にやってきた、初恋の相手の事だ。
「……まぁ、そんなわけだから、俺が屋敷にいない間の事は、お前に任せる。」
「かしこまりました。 しかしまぁ、初めて拝見いたしましたが、随分とお可愛らしい方でございますね、女伯爵さまは。」
「そうなんだよ、そうなんだ……わかってくれるか、セバスチャン。」
「素朴で可憐、清らかに咲く一輪の花のような方だとお見受けします。 今までどのような貴族の令嬢にも靡かなかった旦那様が一目で恋に落ちられるのも、なんとなくですが、解ったような気がします。」
「……まさか、お前、主の婚約者を狙ってるのか?」
なんでそうなるんだ!? とは、出来る執事は言ったりしない。
「私にはレーラがおりますので、けっこうです。」
「お前! ポッシェ嬢の可愛らしさがレーラに負けると言いたいのか!」
「あぁ! いい年した男の初恋は面倒くさいですね! 早くこちらの書類に目を通してください! せっかく今日は商会に行かなくてもいいようにお仕事を調整したんですから、これくらいは迅速にお願いします!」
出来る執事、恋する男の面倒くささに負けたようである。 つい、声を張り上げてしまった。
「わかってるよ! お前なんかにポッシェ嬢のすばらしさがわかってたまるか!」
そんな執事の声に、負けるかとばかりバリバリとペンを走らせ始めたジョシュア。 そんな姿にセバスチャンは濃く淹れた珈琲を用意しながら小さくため息をついた。
(ほんっと、いい年して初めて好きな人が出来た男、面倒くさい。)
釣り書き代わりの調査票を持って帰ってきて、涙ながらにこの子可愛い、かわいそう、可愛いと何度聞かされたことか、と痛む頭を押さえる。
調査票には、それはそれは残念な親を持った子供の末路のような生活状況などが記載されていた。
自分たちも親から捨てられた身ではあるが、こんな親に育てられるくらいなら、捨てられて孤児院に入れられてよかったと、団栗の背比べのような事を思うような親子関係だったようだ。
しかし、だからと言ってここで彼女を甘やかすだけ、というわけにはいかない。
もともとの契約があるのだ。
「ポッシェ様の事ですが。」
「何だ。」
机の作業状況を確認しながら、別の書類を用意しつつ、珈琲を出し、彼女のこれからについて主人にお伺いを立てる。
「確かに可憐なお嬢様でいらっしゃいますが、あのままでは女伯爵として社交界にお出になる事は厳しいかと存じます。 基本のマナーなどは身に着けておいでのようですが、やはり対人でのマナー実践の場がなかったためにあれでは何かあった時対応できないでしょう。 この屋敷に住んでいる3か月の間に、高位貴族の令嬢の社交界デビューレベルにまで、淑女教育、マナー、勉強に励んでいただきませんと、旦那様のためどころか足を引っ張る可能性もあります。 それでは高い金を払って婿養子に入っても本末転倒ではないかと。」
「……相変わらず嫌な奴だな、お前は。」
「冷静に分析した結果です。 私としては、一流の家庭教師を雇い、御不浄、入浴、寝る以外の時間を教育に当てねばならないかと思いますが。」
はぁっとため息をついたジョシュアは、書類にサインを終えると、机の引き出しから便箋と封筒を取り出し、さらさらと手慣れた様子で手紙を書き進め丁寧に折り封筒に入れると、セバスチャンによって用意されていた蝋を封の合わせ目に垂らし、印を押した。
やや熱の冷めきらぬ、綺麗に型押しされた封蝋のついた封筒を、セバスチャンに渡す。
「まずお前の伝手で当たってみてくれ。 それで駄目であればその手紙を公爵夫人へ。 良い教師を教えていただくように書いてある。」
「かしこまりました、では、そのように。 教師が決まるまでは、私とレーラで指導させていただきたいと思いますがよろしいですか?」
「あぁ、頼む。」
新しく出された書類に目を通し、サインではなく指摘点を記入しながら、ジョシュアはセバスチャンをみた。
「そういえば、すまないがポッシェ嬢の家の使用人も一緒に連れてきている。 もうずいぶんと高齢の男女だが、ずっとテールズ伯爵家……というよりは彼女に仕えてきてくれていた者達らしい。 食後、書類にあった未払いの賃金と退職金、それから慰労金を渡して、家まで送ってやってほしい。」
「おや、お雇いになるためにお連れになったのではないのですか?」
「ポッシェ嬢との間では、彼女が自己破産し爵位を返上した時点で、契約を解除することになっていたからな、本人たちもそのつもりだと思う。 ……とはいえ、本当の親よりも親だったのだろう。 私の私財からも、少々足してやってほしい。」
「かしこまりました。」
頭を下げたセバスチャンに、ジョシュアは満足げに微笑んだ。
「まずは早くこの屋敷に慣れてくれるといいな。」
「それは我らも尽力いたします。 ですが問題はそこからです。 我らも貧困層の孤児から成りあがった身であれば、そこからが大変なことは旦那様が一番ご存じなはずです。 没落寸前の彼女を援助してまで貴方が婿養子に入るのは、すべて貴族相手の商売をうまく運ぶようにするため。 彼らは領地領民、それから自尊心の上に生きている貴族であることはご存じのはず。 当初の私共と同じく、彼女もまた、貴族のマナーや常識に戸惑うこと、辛く当たられることも多くありましょうが、それらにひるむことなく、貴方と共に矢面に立って行かなければならないのです。 彼女には女伯爵として成長していただけねばなりません……それに、貴方が理解しあえ、そのうえで彼女に心を配り、寄り添い、支えあえるか、ではないでしょうか。」
「あぁ、そうだな。 難しいことだ……。」
やや困ったように、しかし穏やかに満足そうに笑ったジョシュア。
しかし彼らはまだ気が付いていない。 マナー云々のその前に、彼女の胃が美食と買い物によって悲鳴を上げてしまう事を。
そして、倒れたポッシェに対し、あまりにも気が動転したジョシュアが危うく人工呼吸をしそうになり、そうじゃないでしょう! とセバスチャンに突っ込みを入れられると言う惨事? が発生し、使用人たちが「旦那様の初恋、面倒くさい」という認識の下、生暖かい目で2人……というより主にジョシュアを見守る事になったことを。
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