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過去に戻れたと思ったら俺の身体じゃなかったんだか!?  作者: パリトン
2章

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33/33

蛍光灯の下

閉会のアナウンスが流れた。

 スピーカーから実行委員長の声が響き、まばらな拍手がそれに続く。「本日はお越しいただきありがとうございました」という定型文が廊下に反響して、どこかで消えた。

 東はカメラを首から外した。

 SDカードの残量がほぼゼロ。二百枚以上。朝から夕方まで、シャッターを切り続けた一日分の記録が、このカード一枚に詰まっている。

 教室では片付けが始まっていた。ステンドグラスのセロファンを剥がす手。ツタの装飾を解体する手。段ボールのフレームを畳む手。三時間前には童話の世界だった場所が、手作りの素材の山に戻っていく。

 白坂がエプロンドレスの上から作業着を羽織り、指示を出している。グレーテルから現場監督への切り替えがあまりにもスムーズで、誰も突っ込まない。

「東くん、写真のデータ、パソコン室に落としてきてくれる?」

「了解」

 SDカードをポケットに入れて、教室を出た。


 ◇


 パソコン室は無人だった。

 蛍光灯のスイッチを入れると、白い光が並んだモニターを照らす。文化祭の喧騒がここまでは届かない。

 一番奥の席に座り、SDカードを差し込む。画面にサムネイルが並んでいく。小さな四角形の中に今日一日が圧縮されていて、一枚ずつ確認しながらフォルダに分けていく。

 白坂のグレーテル。河北の姫。大林の焼きそば。カーテンコール。西日の中のカフェ。

 どの写真も、悪くない。

 光の加減も構図も素人の域を出ないが、被写体がいい。白坂の指先。河北の横顔。大林の笑い声が聞こえてきそうな一瞬。みんな、自分の武器を全力で振るっている瞬間が、ちゃんと写っている。

 撮った人間の名前は、どこにもない。

 写真を撮る側は、写真に写らない。それは当たり前のことで、東がいちいち気にすることでもないはずだった。

「――意外とまともに撮れてんじゃん」

 声がした。背後から。

 東の指がマウスの上で止まる。

 振り返ると、パソコン室の入口に如月優奈が立っていた。

 腕を組み、ドア枠に肩を預けている。文化祭の赤い法被を着崩して、その下は黒いTシャツ。銀のネックレスが蛍光灯の光を反射している。

 口元には、いつもの――人を見下すような、だが同時にどこか退屈そうな薄笑い。

「如月」

「データ整理? ご苦労さま」

 如月はゆっくりと室内に入ってきた。東の隣のモニターをちらりと見て、鼻で笑う。

「白坂ばっか撮ってんね」

「……写真係だから。衣装担当を多めに撮っただけだ」

「ふーん」

 そのまま、隣の椅子に座った。キャスターが床を擦る音が、静かな室内に響く。

 距離が近い。

 東は画面に目を戻そうとしたが、如月の視線がモニターに貼りついたまま動かない。サムネイルを一枚一枚、なぞるように見ている。

「ねぇ」

「なんだ」

「一つ聞いていい?」

 如月の声のトーンが一段落ちた。

 退屈そうな薄笑いが消え、代わりに現れたのは妙に落ち着いた――いや、落ち着きすぎた表情。獲物を見定めた後の、静かな目。

「あんたさ」

 如月は椅子をくるりと回し、東に正面から向き合った。

「松田の中に入ってたの、あんたでしょ」

 空気が凍った。

 蛍光灯の微かなジー音だけが、室内を満たしている。

 東の心臓が一度大きく跳ねて、次の拍動までの間が、やけに長く感じた。

「……何の話だ」

「とぼけなくていいよ」

 如月は腕を組んだまま、東の顔をまっすぐに見ている。

「あたし、松田が変わった時期と、あんたが変わった時期、照らし合わせたの。松田が別人みたいに大人びたのと同じ頃、あんたも急に雰囲気変わったって白坂が言ってた」

 東は何も言えなかった。

「喋り方のクセって、そう簡単に変わんないんだよ」

 如月は人差し指を立てて、東の顔の前で振った。

「"おかしいだろ?"。あんた、それ口癖でしょ。松田の中にいた時も同じこと言ってた。修学旅行の夜。あたしが録音したやつに、ばっちり入ってる」

 東の背筋を、冷たいものが走り抜けた。

 録音。あの時の録音が、まだ残っている。

「……」

「黙ってていいよ。別に否定してほしくて言ってるわけじゃないし」

 如月は椅子の背もたれに体重を預けた。天井を見上げる。蛍光灯の光が、横顔を白く照らす。

「あたしが聞きたいのは一つだけ」

 視線が、天井から東に戻る。

「松田が目ぇ覚まさないの、あんたのせい?」

 東の喉が干上がった。

 答えを知らない問いではない。答えたくない問いだ。

 松田翔太が病室で眠り続けている。心拍モニターだけが動いて、それ以外の全てが止まった白い部屋。ひなが泣いていた。手の甲に落ちた涙の温度を、まだ覚えている。

 俺がこの身体に入ったせいだ。

 その可能性をずっと考えていた。ずっと考えて、ずっと答えが出なくて、ずっと目を逸らしていた。

「……わからない」

 絞り出すように言った。

「わからないって?」

「わからないんだ。俺がやったのか、そうじゃないのか。入れ替わりの仕組みも、松田が倒れた原因も、全部わからない」

 声が震えているのが、自分でもわかった。情けない。二十七歳の記憶を持つ人間が、十七歳の女子の前で声を震わせている。

 如月は東の顔をじっと見ていた。嘲笑も怒りもない。ただ、見ていた。東の言葉が嘘かどうかを測るように。

「……本当にわかんないの」

「ああ」

「調べてないの」

「調べてる。調べてるけど、手がかりがない」

 如月は小さく舌打ちした。

 椅子から立ち上がり、窓際に歩いていく。窓の外はもう夕暮れだった。校庭ではテントの撤去が始まっている。さっきまで祭りだった場所が、ただの校庭に戻ろうとしている。

「だっさ」

 如月が言った。窓の外を見たまま。

「調べてるけど手がかりがないって、何もしてないのと同じじゃん」

「……」

「人の体乗っ取っといて、壊しといて、"わかりません"で済むと思ってんの?」

 声が震えていた。

 如月の声が。

 東は顔を上げた。

 窓際に立つ如月の肩が、かすかに揺れている。腕を組んだ手の指が、自分の二の腕に食い込んでいる。

「あたしは……」

 如月は一度言葉を切り、唇を噛んだ。

「あたしは、松田に告白して、振られて、それでも諦めきれなくて。あんたが松田じゃないって気づいた時だって、松田が戻るのをずっと待ってた」

 振り返らない。窓の外だけを見ている。

「なのに松田は帰ってこなかった。代わりに病院のベッドで寝てる。目ぇ覚まさない。あたしが待ってた松田は、どこにもいない」

 声が震えから怒りに変わった。

「で、あんたは何? こんなとこで写真整理? 文化祭楽しかったですかって?」

 如月が振り返った。

 目が赤かった。泣いてはいない。泣く手前の、ぎりぎりのところで踏みとどまっている目。

「ふざけんなよ」

 東は、何も言い返せなかった。

 反論する材料がなかったからではない。

 如月の言っていることが、全部正しかったからだ。

 人の身体を借りて、好き勝手に使って、壊して、返せなくなった。それが事実だ。文化祭を楽しんでいる場合じゃないと、ずっとわかっていた。わかっていて、目の前の忙しさに流された。写真を撮って、白坂と話して、ひなのクッキーを受け取って。

 全部、逃げだった。

「……ごめん」

 声が小さい。パソコン室の静寂に、かろうじて届く程度。

「謝んなくていい」

 如月は鼻をすすった。一度だけ。

「謝られても松田は起きない」

「……ああ」

「あんたにできることがあるなら、やれ。ないなら探せ。それだけ」

 如月は法被のポケットに手を突っ込んで、入口に向かって歩き出した。

 東の横を通り過ぎる時、足が止まった。

「録音と写真は、まだ持ってる」

 横目で東を見る。

「松田が目ぇ覚ましたら消してやる。覚まさなかったら……わかるよね」

 東は頷いた。

 如月はそのまま、パソコン室を出ていった。

 ドアが閉まる音が、蛍光灯のジー音に溶けて消えた。


 ◇


 東はしばらく動けなかった。

 モニターの画面がスクリーンセーバーに切り替わる。暗い画面に、東の顔がうっすらと映っている。

 松田翔太ではない。東時生の顔。中の下。取り柄のない、普通の男の顔。

 如月の声が、頭の中でリフレインする。

 ――人の体乗っ取っといて、壊しといて、"わかりません"で済むと思ってんの?

 済むわけがない。

 わかっている。最初からわかっていた。ただ、わかっていることと向き合うことは別で、向き合うことと行動することはもっと別だ。

 東はマウスを動かし、スクリーンセーバーを解除した。

 画面に、さっきまでの写真が戻る。サムネイルの列。白坂。河北。大林。ひな。カフェ。劇。拍手。笑顔。

 この写真の中の全員が、松田翔太と接点がある。松田がいた場所に、東が代わりに立っている。松田の友人と話し、松田のクラスで文化祭をやり、松田の妹からクッキーをもらった。

 全部、借り物だ。

 写真だけが、東時生のものだった。

 データの保存を済ませ、SDカードを抜いた。パソコンの電源を落とし、椅子から立ち上がる。

 足が重い。如月の言葉が、鉛みたいに脚にまとわりついている。

 それでも歩く。教室に戻らなければ、片付けがまだ残っている。


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