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過去に戻れたと思ったら俺の身体じゃなかったんだか!?  作者: パリトン
2章

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32/33

それぞれの持ち場

 文化祭が始まった。

 昇降口には来場者がごった返し、案内板の前で地図を覗き込む他校生や、スマホで写真を撮る保護者の姿がある。スピーカーから流れるアナウンスが廊下に反響し、どこかで歓声が上がっている。

 その人混みの中を、東は早足で歩いた。

 制服姿。コスプレなし。手ぶら。完全に出遅れた男の格好だ。


 教室に着くと、「童話カフェ」は満席だった。

 アーチ型の入口をくぐれば、ステンドグラス風のセロファンが窓を飾り、壁にはツタの装飾。林の材木で組んだフレームに白坂がレースを巻いた、段ボールには見えない内装。赤ずきん、チェシャ猫、ハンプティ・ダンプティ――コスプレしたクラスメイトが忙しなくお客を捌いている。


 その中に、白坂がいた。


 エプロンドレスに白いブラウス。裾のラインには小さなフリルが走り、腰にはリボン。スカートの丈は膝上で、白いニーハイがその下を引き受けている。編み下ろした銀髪がいつもより幼く見えて、完全にグレーテルだった。


 自分で仕立てたのだろう。既製品の安さがどこにもない。ステッチの間隔、生地の落ち方、襟元のギャザー。白坂の手仕事だと、見ただけでわかる。

 

 「すごいな。」


 と同時に、白坂がこちらに気づいた。


「あ、東くん。どこ行ってたの」


 カウンターの奥から顔を出し、呆れ顔でカメラを差し出す。クラス共用の古いデジカメ。


「写真係いないから、誰も記録撮ってないんだよ?」

「悪い」

「もう。お客さん入ってるうちに撮って」

「了解」


 カメラを受け取り、教室の隅に移動する。

 ファインダーを覗く。四角い枠の中に、文化祭がある。

 賑わう客席。コスプレで給仕するクラスメイト。笑い声。紙コップの飲み物を運ぶ手。小道具の森の木が傾いて、慌てて直す男子。

 シャッターを切る。また切る。アングルを変えて、もう一枚。意外と忙しい。


 ◇


 十時半。東はカメラを首から下げたまま、教室の外に出た。

 人混みを避けて階段の踊り場に立つ。窓から校庭が見える。テントが並び、焼きそばの煙が白く立ちのぼっている。呼び込みの声が重なり、どこかのクラスのBGMが地面を揺らしている。

 人混みの向こうに、大林康太がいた。

 焼きそばの鉄板の前。エプロン姿でヘラを振り回しながら何か叫んでいる。隣の男子が爆笑し、列に並んでいる客まで笑っている。大林が何を言っているかは聞こえないが、面白いのだと伝わる。声のトーン、身振り、間の取り方。全部が「人を楽しませる」ために最適化されている。本人はそんなこと意識していないだろうが。


 ◇


 教室に戻ると、ちょうど客の入れ替えの隙間だった。

 白坂がカウンターの裏で紙コップを積み直している。グレーテルの衣装のまま。しゃがみ込む姿勢でエプロンの裾が床に触れそうになり、白坂は片手で摘まんで避けた。何気ない仕草なのに、布の扱いが丁寧だった。自分で縫ったものに、ちゃんと愛着がある人間の手つき。


「白坂」


 東はカメラを構えながら声をかけた。


「その衣装、自分で作ったんだろ」

「うん。まあ、当然」


 白坂は立ち上がりながら、何でもないことのように答える。


「生地は?」

「駅前の手芸屋。型紙はネットで拾って、襟だけ自分で変えた」


 さらっと言っているが、やっていることが違う。ネットの型紙をそのまま使わずに襟を自分で変える。それは「服を着る側」の発想じゃない。「作る側」の発想だ。


「一枚撮っていいか」

「え、なんで」

「写真係だから」


 白坂は一瞬きょとんとして、それから少しだけ姿勢を正した。左手でスカートの端をつまんで広げ、ほんの少し首を傾ける。

 グレーテルだった。森に迷い込んだ少女が、ふと足を止めてこちらを振り返ったような顔。

 シャッターを切った。

 液晶画面で確認する。銀髪のおさげ。エプロンドレスの白。背景のステンドグラスが柔らかくボケて、白坂だけにピントが合っている。偶然にしては、悪くない。


「……上手く撮れてる?」


 白坂が横から覗き込んできた。近い。シャンプーの匂いがした。


「まあまあだ」

「見せて」


 東がカメラの液晶を傾けると、白坂は数秒じっと見つめてから、小さく「ふーん」と言った。


「衣装は良く撮れてる。ステッチもわかるし」


 褒めたのは写真じゃなく衣装の方だった。職人だな、とまた思う。


「白坂はさ」


 東はカメラのストラップを弄りながら言った。


「こういうの、将来やりたいとか思わないのか。服作るの」


 白坂はカウンターに肘をついて、少し考える顔をした。


「……わかんない。好きだけど、好きなだけじゃダメでしょ」


「十分だと思うけど」

「何が」

「好きで、上手くて、それを欲しいって言う人がいる。それだけで十分だろ」


 白坂が少し目を見開いた。

 すぐに視線を逸らす。カウンターの紙コップを一個つまんで、指でくるくる回している。


「……東くんって、たまにそういうこと言うよね」

「そういうことって?」

「なんか……こう...。普段ぼーっとしてるくせに」


 東は言葉に詰まった。

 核心なんて突いたつもりはない。思ったことを言っただけだ。白坂の手にはドレスが縫える。それは紛れもない武器で、本人はその価値に気づいていない。だから言っただけ。


「ま、ありがと」


 白坂はそう言って、紙コップを元に戻した。


「お客さん来るから、仕事して」

「了解」


 東はカメラを持ち直し、入口の方に目をやる。次の客がアーチをくぐろうとしている。

 カウンターに戻った白坂がグレーテルの笑顔で「いらっしゃいませ」と迎える。さっきまでの素っ気ない口調がまるで嘘みたいに、声の温度が上がっている。接客のスイッチが入った瞬間、白坂葵はグレーテルになれる。

 切り替えの早さも含めて、あれは才能だ。

 東はファインダーを覗きながら思った。

 ――で、俺は何ができるんだろうな。


 ◇


 午後。劇の準備が始まった。

 客席用のパイプ椅子が並べられ、照明代わりの懐中電灯にセロファンが巻かれている。背景幕の位置を微調整している実行委員。音響のスピーカーをテストしている男子。

 白坂はグレーテルの衣装の上からエプロンを外し、針と糸を持って走り回っていた。河北のドレスの裾を直し、王子役の男子のマントの金具を付け替え、背景幕の歪みをピンで留める。手が触れるたび、百均の素材が舞台美術に化ける。

 東はカメラを構えて、その手元を撮った。

 ファインダー越しに見る白坂の指先に、迷いがない。針を刺す角度、糸を引く力加減。何百時間も布に触れてきた手だ。


 ◇


 劇が始まった。

 教室の照明が落ち、窓の暗幕で外光が遮られる。プロジェクターが背景幕に森の映像を投影し、スピーカーからBGMが流れ始めた。

 東は教室の後方、ドアの横に立っていた。カメラを構えて。椅子は満席、立ち見も出ている。廊下にまで人が溢れ、つま先立ちで教室を覗こうとしている。

 王子役の男子が登場する。セリフは棒読みだが声は大きい。森の動物たち。小道具の出来がいいから、演技の荒さを補っている。

 そして――姫が現れた。

 河北結羽がステージに立った瞬間、空気が物理的に変わった。

 二十人分の息を呑む音が、同時に聞こえた。

 白いドレスに懐中電灯のスポットが当たる。布地が光を柔らかく返し、髪の輪郭が縁取られる。真紅の瞳が、薄暗い教室の中で存在感を放つ。

 それだけならモデルだ。

 だが河北がセリフを口にした瞬間、モデルが消えて、姫になった。


「この城に光が戻るのを、私はずっと待っていた」


 声に、感情がある。暗記したセリフを再生しているのではない。河北結羽の内側から汲み上げた、本物の何かが声に乗っている。表モードでも理論モードでもない、もうひとつの河北。

 客席が静まり返っていた。拍手でも歓声でもない。沈黙。本物を見た時だけに起きる、あの沈黙。

 東はファインダーを覗いた。四角い枠の中に、河北がいる。光を纏い、声を放ち、空間を支配している。

 シャッターを切った。切れた。それだけだった。

 すごいな、と思った。混じりけなく、素直に。


 ◇


 劇が終わり、拍手が教室を揺るがした。

 カーテンコールで河北が頭を下げると、拍手が歓声に変わった。王子役がおどけて手を振り、動物役が照れ笑い。白坂がカーテンの裏で、小さくガッツポーズをしている。グレーテルの衣装の腕がぐっと上がる。衣装係としての仕事が実った瞬間。

 東はカメラを下ろして、拍手に混ざった。

 河北のカリスマ。白坂の職人技。大林の天性の人間力。今日一日で、色んなやつの「武器」を間近で見た。

 ふと思う。

 ――俺のとりえって、何だろうな。

 料理? 行動力? 十年分の人生経験? どれもパッとしない。さっき白坂に偉そうなこと言ったくせに、自分のことになると何も出てこない。

 まあ、今はいいか。まだ写真が足りてない。


 ◇


 午後三時を過ぎた頃。

 東はカメラのデータをパソコンに取り込む作業を終え、教室を出た。

 廊下の窓から校庭を見下ろす。テントの数が減り始め、来場者もまばらになっている。西日がテントの白い布を赤く染めていた。

 自販機でコーヒーを買おうとして、ボタンを押し間違えた。出てきたのはカフェオレ。

 一口飲む。甘い。三間が好きそうな味だ。

「あ」

 声がした。振り返ると、松田妹がいた。

 私服姿。白いカーディガンに水色のスカート。来場者として校門から入ってきたのだろう。手には小さな紙袋。


「東先輩」

「松田か。来たんだな」

「はい。劇……間に合わなかったんですけど」


 ひなの視線が東の顔を見て、一瞬だけ揺れた。松田の顔ではなく、東時生の顔を確認するような目。あの夜以来、ひなは東の正体を知っている。だから「東先輩」と呼ぶ。


「すごかったらしいですね、河北先輩」

「ああ。すごかった」


 嘘じゃない。本当にすごかった。写真の出来も、たぶん悪くない。


「これ、差し入れです」


 ひなが紙袋を差し出す。


「クッキー焼いてきました。……兄さんに教わったレシピです」


 東は紙袋を受け取った。中を覗くと、丸いクッキーがきれいに並んでいる。大きさが揃っていて、焼き色も均一。丁寧に作ったことが、見ただけでわかる。


「上手いな」

「練習しました。兄さんが起きた時に、食べてもらいたくて」


 ひなの声が、少しだけ揺れた。

 東は何も言えなかった。

 ひなにはクッキーがある。河北にはステージ。白坂には針と糸。大林には笑い声。

 みんな「自分の手」で何かを届けられる。

 俺は今日、写真を撮った。それだけだ。


「東先輩」


 ひなが、少し黙ってから言った。


「兄さんのクラスの出し物、写真に撮ってくれてますか?」

「……ああ。一応、係だからな」

「じゃあ、あとで見せてください。兄さんが起きた時に、見せてあげたいんです」


 東の指が、缶を握ったまま止まった。

 兄さんが起きた時に。

 その言葉が、さっきの「空欄」の答案用紙の上に、小さく落ちた気がした。

 答えにはならない。一文字にも満たない。でも、白紙の上に何かが触れた感覚だけが、確かにあった。


「……わかった。ちゃんと撮っとく」


 東はそう言って、首からぶら下がったカメラに触れた。

 さっきまで「とりえ」が見つからなくてモヤモヤしていたのに、今は不思議とそれが気にならなかった。

 やることがある。それだけで、少し楽になる。


 ◇


 ひなが去った後、東は教室に戻った。

 文化祭の終了アナウンスまで、まだ一時間ある。片付けが始まる前に、撮り残しがないか確認しなければ。

 教室に入ると、白坂がグレーテルの衣装のまま、一人でカウンターを片付けていた。他のクラスメイトは客の対応に出ている。


「白坂、まだ客いるのか」

「最後の回。あと三十分で閉めるって」


 白坂は紙コップを拭きながら言う。

 東はカメラを構えた。閉店間際のカフェ。客足が落ちて、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。西日が窓から斜めに差し込んで、ステンドグラスのセロファンを通過した赤やら青やらの光が、白坂の銀髪にまだらに落ちている。

 グレーテルの衣装が、その光の中で妙に映えた。

 物語の終わりみたいだ、と思った。森から帰ってきたグレーテルが、日常に戻る直前の、最後の一コマ。

 シャッターを切った。


「また撮ってる」


 白坂がこちらを見る。怒ってはいない。少しだけ不思議そうな顔。


「東くんさ」

「ん?」

「お菓子の家が目の前にあったら、入る?」


 唐突な質問だった。ヘンゼルとグレーテルの話だとすぐにわかったが、意図がわからない。


「……入らないだろ。罠だし」

「でもお腹空いてたら?」

「空いてても入らない」

「なんで」

「だって、中に何があるかわかんないだろ。見た目がどんなに良くても、中身がどうかは別だ」


 言ってから、自分の言葉に少しだけ引っかかった。

 見た目がどんなに良くても、中身がどうかは別。

 ――それは、松田の身体のことか?

 白坂はカウンターに顎を乗せて、じっとこちらを見ていた。


「私はね、入ると思う」

「罠なのに?」

「だって、入ってみないとわかんないじゃん。罠かどうかも、本当のことも。外から眺めてるだけじゃ、何もわかんないよ」


 白坂の目が、普段の温度とは少し違っていた。何かを確かめるような、あるいは何かを伝えようとしているような。


「……お前、意外と肝座ってるな」

「グレーテルだからね、今日は」


 白坂はそう言って、ふっと笑った。いつもの力の抜けた笑い方。でも目だけが笑っていなかった。

 東にはその視線の意味がわからなかった。白坂が何を言おうとしているのか、何に気づいているのか。

 わからないまま、カメラのストラップを弄る。

 客が一組、入ってきた。白坂はすぐにグレーテルの顔に切り替えて、「いらっしゃいませ」と笑顔で迎える。

 東はまた、ファインダーの向こう側に戻った。


 ◇


 カメラの電源を入れ直す。

 液晶画面に、今日の写真が表示された。

 童話カフェの賑わい。グレーテル姿の白坂。白坂の指先のアップ。劇のステージに立つ河北。拍手する客席。カーテンコール。西日の中で佇むグレーテル。

 写真を一枚ずつ送っていく。白坂はグレーテルになりきっていたし、河北は完全に姫だった。普段より三割増しくらいの顔で、みんな楽しそうだ。

 悪くない。

 自分で言うのもなんだが、悪くない写真だと思う。

 東はカメラを持ち直して、教室に入った。片付け前の最後の時間。まだ賑わっている童話カフェに、ファインダーを向ける。

 白坂の言葉が、頭の隅に残っている。

 ――外から眺めてるだけじゃ、何もわかんないよ。

 俺のとりえが何なのかは、まだわからない。

 でも、ファインダーの向こう側の景色が嫌いじゃないことだけは、今日わかった。


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