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三錠  作者: カタハラ
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3. 決別

 大抵のことは、デバイスを通じたネット経由で手続きを完了させることができる。公的な申請機関に直接行くことは、滅多になかった。


 入口を抜けた待合スペースには、疎らに人がいたものの、その他は掃除ロボットが大理石風の床を磨いているだけで、無駄な装飾品もなく、静かなガランドウだった。

 受付機に国民身分証カードを読み込ませ、必要なパスコードを入力し、空いているベンチに座る。


 職員として働く人の姿はない。徐々に人工知能を搭載した機械に置き換わり、今では、その管理業務の補助をする小人数しか必要としない。

 大きな転換期は、対応する者が人間と似た身体的特徴を持たなくてもよい、という共通認知が広まった頃だったか。


 ◆


 掲示ディスプレイで指示されたフロアは、廊下の両側に個室の扉が並んでいた。

 そのうち、番号プレートが点灯する扉の前に立ち、カードをかざし、部屋に入る。


 投影された中性的な受付担当AIが、これから服用する錠剤の説明を、時折、質問事項がないか確認しながら、淡々と進めていく。

 その内容は、申請時の文章による説明と重複している。


 錠剤は3種類ある。


 最初に服用するのが、青色。

 これは、消化器官とそれに関わる内臓の機能を、緩やかに衰弱させる。

 だから、服用前の1日は、水以外、何も口にしてはいけない。


 青色から2日空けて、次が、黄色。

 これは、全身の筋肉の機能を、麻痺させていく。

 服用する日は、最後の手続きを行う施設に入る前日だ。


 最後に施設で服用するのが、赤色。

 これは、脳をはじめとする、神経系統の機能を停止させる即効性がある。

 この錠剤だけは、最終確認後、施設内で渡される。

 そして、この服用が最期の儀式となる。


 あとの処理は、施設の担当者が行う。

 行政的な手続きから、肉体の循環再利用、意識のデータ収集まで。


 青色と黄色の錠剤は、時間が経過すると、自然と衰弱していた身体が本来の機能を取り戻すよう設計されている。別の薬の投与で、その時間を短縮することもできる。

 つまり、いつでも引き返せるということだ。


 これほどまでに一連の手続きが整備されたのは、やはり、加速度的に科学の知見が深まった理由が大きい。身体の人工化、人間の意識の解明、人格意識の複製。

 今や手の加えられていない生身の人間の大部分は、貧困層が占めている。

 つまり、肉体は、生きるという行為の前提ではなくなった。死の定義が変わり、人間としての定義も混乱期を経て、更新されたのだ。


 あまりに淡々と続く手続きに、少し可笑しくなった。


 ◆


 2種類の錠剤を受け取り、心を覆っていた分厚い雲に隙間が現れ、一筋の光が差し込んだ心持ちで帰路についた。その反面、軽いはずの錠剤は、鈍い重みを感じさせた。


 アパートに近付くと、ニシモトと、険しい表情をしたジイさんが、俺の帰りをを待ち構えていているのが見えた。

(アイツ、ジイさんに告げ口しやがったのか。)

 俺は、小さく舌打ちした。


 アパートを出るとき、ニシモトに気付かれ、どこに行くのか食い下がるように聞かれた。それに嫌気が差して、つい口を滑らせてしまったのだ。

 これからの手続きを意識し、知らないうちに動揺していたのだろうか。慎重さに欠けていた。


「錠剤、もらってきたのか?」


「ああ。」

と小さく言って、俺は道を塞ぐジイさんを避けるように、階段へ通り抜けようとした。


「待て!」

 ジイさんは、距離を取る俺の肩を掴んできた。


「関係ないだろ!」

 と肩の手を払おうとする。が、そこに込められた力は強かった。


「いや、同じアパートの住民として、見過ごせん!

 考え直せ!

 タクミくんは、まだ若い。なんでもできる!」


 俺は、両肩を掴まれて、真正面から投げかけられる、根拠のない激励に、目をそらし、突風が過ぎ去るのを待つかのように、身を縮ませて我慢していた。

 できるだけ感情を動かさないように。冷静に。

 ジイさんの隣のニシモトも、

「そうだ! そうだよ!」

 と、無責任にジイさんの激励に声援を送る。


 声を意識の壁の向こうに追いやり、目の前の現実から目をそらす。

 地面の砂が、一粒一粒やけにはっきりと見える。

 頭の中にはボンヤリとした声の輪郭だけが響き渡る。


 歯を強く食いしばる。鉄っぽい味が滲む。

 感情が溢れ出さないよう、必死に抑え込む。

 それでも、身体の小刻みな震えを抑えられないことが、沸騰する頭の中にわかる。


「もったいない!」

 その一言で、俺の中で、何かが切れる音がした。

「うるさい!!」

 押し返すような大声で怒鳴った。


「無責任なんだよ! こっちの都合も知らないで、自分の願望、押し付けんじゃねえよ!

 アンタがどんな人生を送って、どんな教訓があるのか知らない!

 でも、生きてきた時代が、違うんだよ!

 未来が明るかった時代なんて、もう終わったんだよ!

 明るい未来を信じて頑張れる時代なんて、もうとっくに終わってんだよ!」


 大声で堰を切り、決壊して溢れた感情は、徐々に真っ黒な濁流に変わり、ジイさんに残酷な言葉を浴びせ続ける。

 呆気に取られたニシモトも、気を取り直し、止めに入ったが、俺の感情の濁流に飲み込まれた。


 心臓の音が響く。血が激しく逆流する音がする。

 感情的で、人道に反する言葉が口から勝手に溢れていく。


 罵り続ける自分を、冷静に客観視するもう一人の自分がいる。


 口から中身がすべて吐き出されて、身体が裏返りそうだ。


 ◆


 俺の言葉がすべて吐き出されると、黙って聞いていたジイさんは、

「そうか。」

 と何の感情も持たない言葉を残し、自分の部屋に帰って行った。

 静かにドアを閉じる音が、何かの終わりを感じさせた。


 ジイさんが去ると、ニシモトは、その場で大きく震え出し、俯き目を激しく泳がせていると思ったら、何も言わず、逃げるように二階を目指して駆け上がって行った。

 階段の途中、何度か足がもつれている様子がわかる。

 大きな音を立ててドアが閉まる音が響いた。


 全てを出し切ってしまったのか、気持ちは凍え、空っぽな頭には、襲ってくるであろう獣のような後悔と虚しさの予感が、暗い影を落とし始めていた。

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