8話 魔王との別れ
高校の卒業式の日。
詩音は学校の屋上で人を待っていた。
ガチャリと、重い扉が開く。
そこから出てきたのは紗耶だった。
心なしか、そわそわとしている。
「……こ、こんなところに呼び出して、何の用かしら?」
詩音と紗耶は付き合っている。
と言っても、本当の恋中ではない。
偽物だ。
「たしか、私がキミに声をかけたのも、この場所だったわね」
始まりは一年生のころ。
人間関係が固まり始める6月のある日、詩音は紗耶に呼び出された。
そこで提案されたのが偽物の恋人関係。
それは双方にとってメリットのある関係だった。
「あなたのおかげで、この三年間は変な男が寄ってこなくて済んだわ」
紗耶にとっては男除け。
中学時代に面倒な色恋関係に巻き込まれた紗耶は、高校ではなんとか回避しようと決めていた。
そこで目を付けたのが詩音だった。
そして、詩音にとってのメリットは、
「ボクも、紗耶のおかげでいじめられずに済んだよ」
詩音は高校に入学して間もないころ、いじめを受けていた。
理由は、詩音の兄にある。
詩音の家、小峰家は古くからの武士の家系だ。
そして詩音の祖父は武神と呼ばれたほどの実力者。
ダンジョンが発見されて間もないころ。スキルなんてものが開発されていなかった時代に、刀を振るって怪物どもをなぎ倒していた。
そして、その子供や孫も同じような探索者としての才能を求められた。
幼いころから刀を握り。辛い鍛錬に耐える。実力が足りなければ追い出され、二度と家の敷居はまたげない。
そんな家で詩音は、神童と呼ばれた。
武神と呼ばれた祖父から天才と評された。
祖父の意見は絶対だ。
家の中では何をするにも詩音が優先されていた。
それが、兄は気に入らなかったのだろう。
だが詩音には手が出せない。詩音は祖父の庇護下にある。
下手なことをすれば追い出されるのは兄自身だ。
しかし、それは詩音が中学生のころに変わった。
小峰家の人間には、必ずと言っていいほど『刀』スキルが発現する。
それは遺伝的なものなのかもしれないし、幼いころからの鍛錬によるものなのかもしれない。
理由はともあれ、ほぼ確実なものだ。
父、叔父、叔母、いとこ、そして兄。皆に現れたそのスキル。
しかし、詩音にそのスキルが発現する兆しはなかった。
代わりに現れたのは魔法系のスキル。しかも、そのスキルだってまともに扱えたものではなかった。
詩音はすぐに見限られた。
祖父による守護は終わった。
だから、詩音の兄はその嫉妬をなぐさめ、嗜虐心を満たすことにした。
しかし家の中でやっては問題になるかもしれない。
だから、学校と言う閉鎖空間を利用することにした。
詩音の同級生を操って、詩音をいじめさせる。
だが、そんな状況はすぐに終わった。
「本当に紗耶のおかげだ、ありがとう」
紗耶と付き合い始めたからだ。
魔王スキル。
現在までに見つかっているスキルの中では、『最強』と称される。
過去に発現しているのは数人だけ。
その全員が一流の探索者として成功している。
さらには、探索者としての枠組みを超えて、経営者や政治家として活躍している者も居る。
次期総理に最も近いとされている男も、魔王スキルの所持者だ。
はたして、それが魔王スキルの効果によるものなのか。
あるいはそう言った、カリスマ性を持つ人間に発現しやすいのか。
それは分かっていないが、少なくとも学生が魔王スキルの所持者に嚙みつこうとは思わない。
もちろん、その彼氏にも。
「そ、それで? なぜこんなところに呼び出したの?」
紗耶は少し上ずった声で言った。
高校卒業がうれしかったのだろうか。なんとなく、にやつきそうになっている。
詩音は本当に紗耶に世話になった。
三年ものあいだ。
だから、
「《《今まで》》ありがとう。ボクは……もう大丈夫だから」
「……え?」
何を言っているのか分からない。
そう言った顔で、紗耶は詩音を見る。
「ボクは家を出ることにしたんだ。ボクが家を出れば、兄さんも気が済むはずだ。もう嫌がらせを受けることもない」
小峰家に詩音の居場所はなかった。もはや空気のようなものだ。
現在は兄が次期当主として扱われている。すでに詩音は眼中にない。
まれに、嫌な虫が出たように見られるだけだ。
詩音が家を出て行ったあと、そこまで嫌がらせを続けるような執念は残っていないだろう。
「だから、もうボクを気にしなくていいよ」
「気にしなくていいって……なに?」
紗耶はうつむいている。その表情は分からない。
だが、しぼり出した声からは、困惑と不安が感じ取れる。
「ボクは三年間も紗耶を縛り付けてしまった。一度きりの、高校の青春時代を。もうこれ以上、紗耶に迷惑はかけたくないんだ。だから、」
詩音は、少し苦しそうに、しかしできる限り感情を出さないように言った。
「別れよう」
パシン!
乾いた音が、屋上に響いた。
紗耶が詩音の頬をはたいた。
「確かに、最初は打算的な理由で近づいた。詩音に興味なんてなかった。面倒な人間関係を避けられて、目の前で起こってる気分の悪いいじめも潰せる。それだけだった」
その声は、冷え切った氷のように冷たかった。
しかし、少しずつ熱を帯びていく。内側で燃える激情があふれるように。
「そうね三年間よ。三年も一緒に居たのよ? 毎日会って、くだらない会話をして、一緒に出掛けて、くだらない恋愛映画を見てドキドキして! ダンジョンを探索してお互いを助け会った! ずっと一緒に居たのに!! キミには――」
紗耶の瞳から、涙がこぼれた。
紗耶は、詩音に背を向けて歩き出す。
「……なにも伝わってなかった」
〇
「いや、あなたが悪いじゃん!!」
学食に飯野の声が響いた。
少し時間がズレたせいか、人はまばらだ。
「そうかな?」
「え、本当に何が悪いか分かってないの!? あなたサイコパスなんじゃないの!?」
飯野は恐ろしいものを見るような眼を詩音に向ける。
結構、本気でおびえているようだ。
「え、怖い怖い。これ以上は下がらないと思ってたけど、あなたの株は急降下してるわよ」
「飯野は何が悪かったか分かるのか?」
詩音が聞くと、飯野は興奮して叫びだす。
「いや分かるわい!! 百人に聞いたら百人が分かるわよ!? 分からないのはあなたみたいな、サイコパス陰キャ貧乏顔だけ草食い野郎のみよ!」
「じゃあ何が悪かったか教えてくれないか?」
「嫌よ! 私は馬に蹴られて死にたくないの! こちとら、ただの回復職よ!? あんな魔王様には勝てないの! 二度と私には関わらないで!」
そう言って、飯野はトレイを持って離れた席に移動した。
ちなみにこの後、詩音は飯野にアイスをおごってもらった。
いわく、『頭冷やして、もう一回よく考えてみなさい』とのことだった。