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07.不穏な影と吸血

 人類の生存領域を「内界」、魔物の跋扈する領域を「外界」と呼ぶようになってから三百と余年。外界の調査を行う「探索者」と魔物の討伐を行う「狩猟者」を纏めて冒険者と呼ぶようになった今日日、彼らの安全をサポートする冒険者ギルドの存在は大きい。

 アーニャを連れたシルフィがギルドに足を踏み入れると喧騒が耳朶(じだ)を叩いた。三階まで吹き抜けの構造になっている建物内では、至る所で商人や冒険者による交渉が行われている。

 シルフィが視線を巡らせると、ひと際目立つ一画──依頼掲示板が目に入る。幾人かの冒険者と情報収集に訪れた商人たちによって人垣ができていた。


「人が多いからアーニャはここで待っていて。一人で見てくる」

「了解しました。お待ちしています」


 アーニャの手を離し、シルフィは一人で歩みを進める。人だかりの後ろまでやってくると、何やら冒険者たちが掲示板を眺めてざわついていた。


「おい、アレって本当に貰えるのか?」

「すげえな、達成できたら一攫千金じゃないか」


 喧騒の渦巻く中をすり抜け、ようやく掲示物が見える位置に移動したシルフィは素早く目を走らせる。


【外界第一区画:植生研究のための護衛】

【外界第三区画:遺跡物調査】

【外界第二区画:犬型魔獣の討伐】


 どれも騒ぎ立てるほどの依頼ではない。シルフィが左上から右下に流し読みしていると、カラーバス効果のようにピタリと一点で釘付けになった。


【依頼者:騎士団第四部隊 / 『星の大鴉』に関する情報提供および構成員『星』の捕縛】


「なんですって……?」


 シルフィは自分の目を疑った。

 正体不明の義賊組織として知られている【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】が槍玉に上げられることは時折ある。問題はそこではなく、捕縛に関するところだ。

 構成員、特に幹部は任務時に本名が露呈しないようコードネームで呼び合う。そして、シルフィに割り当てられているのは【(スター)】。すなわち────


【有力な情報には十万ネイ。『星』の捕縛には一千万ネイの報酬】


 シルフィに懸賞金がかけられていた。これが、ミラーの見せたかったものらしい。

 ネイとはこの国の通貨である。一千万ネイもあれば豪華な一軒家が建てられるほどの金額だ。


「【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】って義賊じゃなかったのか?」

「悪どい組織を潰して回ってるって噂だが、こうしてギルドに依頼が持ち込まれてるってことは何か事情があるんだろう」

「一千万ネイの指名手配ってなかなか見かけるものではないぞ。『星』ってなんだ? 記号か?」

「さあな。こんな曖昧な依頼が達成できるとは思えんが……」


 周囲の冒険者はシルフィのことを話しているわけではない。しかし、彼女の心胆を寒からしめるには充分だった。

 緊張が漏れないようにゆっくりした足取りでその場を立ち去る。

 事情を聞いたアーニャが「シルフィ様を差し出せば遊んで暮らせる……!」と言い出すものだから、シルフィは不機嫌な顔で従者の頬を引っ張った。


 ◇


「今日は元気ないわね」

「あー……ごめん」


 週が明けて平日。放課後の演習場にはサラとシルフィの姿があった。

 溜息が多いシルフィに対して、サラは訝しげに視線を送る。


「魔法が上手く使えないから凹むのは分かるけど、もっとシャキっとしなさい」


 魔法が使えないことに関しては割り切っているため落ち込むことは無い、とシルフィは心の中で反論しておく。彼女を専ら悩ませているのは先日の指名手配である。

 あれからシルフィ側でも探りを入れた。依頼者である騎士団第四部隊隊長はミリル・デューイという女性騎士であった。階級はセトと同じ聖騎士で、『国の剣』とまで評される傑物であるらしい。

 今まではセトの協力もあって騎士団の捜査は躱していた筈だ。しかし、ここに来てシルフィ個人を狙ってのウォンテッドが行われた。この事実をクロハに報告すると『騎士団の挑発でしょう。民衆にアピールするためのモーションなので無視して構いません』と返事があった。

 クロハの言葉にシルフィは安堵したものの、しかし、一抹の不安は拭えない。どうせならロキあたりが狙われればよかったのに、と思わずにはいられない。

 世に出てしまったものをどうこう言っても意味をなさないことは理解しているため、シルフィは差し当たって目の前の任務に意識を傾けることにした。


「ほら、集中しなさい。まずは身体の中で魔力を錬成するところから」

「はいよ」


 気の抜けた返事と共にシルフィは気を高める。魔臓が位置する丹田のあたりが徐に熱を持ち始めた。

 魔臓で作り上げられた魔力が血管を通って全身に巡る。指先に集めることを意識して────


「はッ!」

「……不発ね」


 初歩中の初歩である指先からの魔力放出すら(まま)ならない。指導者のサラは額に手を当てて唸った。


「魔力の生成は当然、操作だって完璧にできている。やはり、出力の段階で問題が起きているから……サラの仮定は間違っていないはず」


 俯き気味にぶつぶつと呟くサラ。やがて結論に至ったのか、やや紅潮した顔でシルフィに告げる。


「ねえ、シルフィの指を咥えてもいいかしら?」

「え?」


 サラは耳まで赤くしてシルフィを上目に見つめる。

 思いもよらない提案に、シルフィは唖然とした。


 ◇


 完全下校間近の演習場にはサラとシルフィ以外の姿はないが、向かい合って距離を縮めた彼女たちは傍から見れば友人以上のそれであった。


「ひい、ひゃらがゆいをかみきっかあ────」

「うえぇ、指を咥えたまま喋らないでよ」


 人差し指をパクリと咥えたサラが確認のために喋るが、シルフィは得も言われぬ気持ち悪さから全身を粟立てた。

 舌が舐るむず痒さに堪えられなくなったシルフィは口内から指を引き抜く。

 ぬらり、と銀の橋が架かった。


「ちょっと────」


 唾液が零れたのが恥ずかしかったのか、サラは慌ててシルフィの指を咥え直した。むっ、とした顔を見せるサラに対し、その顔をしたいのは私の方だとシルフィは内心でぼやく。

 サラの考えは斬新なものだった。まず、シルフィの指を口の中で噛み切り、流血させる。魔力は血に宿るという特性上、サラがシルフィの血液中から魔力を抜き取って魔法を放つ。

 この検証にシルフィは渋い顔をしながらも頷いた。


「いふわよ、まりょふをねっへ」

「了解」


 シルフィは指先から意識を離し、魔力の錬成を試みる。脈動に伴って全身が暖かくなるのを感じていると、チクリと人差し指に痛みが走った。

 サラが指を噛んだのだ。

 傷口から溢れる血の感触を意識しながら、指先へ魔力を送る。


 刹那────


「【速炎(ソニック・ファイア)】!」


 シルフィの指を咥えたまま右手を横に突き出したサラが魔法を唱える。迸った赤色の閃光は演習場の壁に吸い込まれるようにして消えた。

 同時に、シルフィは己の身体から魔力が抜けていく脱力感を覚える。


「上手くいったわね」


 口から指を引き抜いたサラは満足そうに頷く。

 シルフィは血の止まった指を見て目を丸くした。


「今、サラは私の魔力を使って魔法を……?」

「ええ。今回はサラを媒介したけど……大局的に見ればアナタが魔法を使ったも同然ね」

「すごい……でも、どうして。十六年間も使えなかった魔法が一瞬で……」

「それはね────タネを明かす前に、口を濯いできていいかしら?」


 ニッと笑ったサラの口端から血が一筋流れていった。




 肩を並べて帰宅する二人は先程の検証について議論を交わしていた。


「魔法が使えないという現象は、それが発達していなかった三百年以上前を最後に、今日まで研究の対象になることは少なかった。何故なら魔臓が正常に機能している限り、人間は魔法が使えて当然だから」

「うん。私も昔、どうにかならないかって文献を漁りまくったけど解決しなかった」

「でしょうね。だからサラは仮説を立てることにしたわ。シルフィが魔法を使えないのは何故か。一つ、魔臓が機能していない。二つ、魔力を体内で循環できていない。三つ、身体が絶縁体の役割を持っているせいで魔力を外に出せない」

「私は三つ目だったってこと?」

「恐らくね。一つ目と二つ目について、サラが見る限り異常は見当たらなかったわ。だから────」


 サラはコツコツと犬歯を打ち鳴らした。


「シルフィの身体に物理的な穴を開ければ魔力が通るんじゃないかと思ったの。今回は血を通して魔力を抽出、サラが代行して魔法を使ったわ。シルフィが一人で魔法を使える日も近いかもね。感謝しなさい」

「ありがとう。でも、もう私一人で魔法を使えるんじゃない? 要は外傷を作ればそこから魔法が打てるんでしょ?」

「バカ、そんなことしたら傷口が爆発するわよ。できるのは精々、魔力の籠った血を垂れ流しにするくらい」

「……そっか。それにしても、よくこんなこと思いついたね」

「サラは天才だから……と言いたいところだけど」


 シルフィの視線を躱すように、サラは遠くを眺める。言い淀むような、どこか歯切れの悪い様子でサラは語り始めた。


「サラの両親がね、そういう研究をしているの。身体に関する魔法医学。国でもトップクラスの研究機関で、家にも帰ってこずにね」

「ご両親は凄い人なんだね」

「ええ……その道の人には人類の発展に大きく寄与するであろうとまで言われているらしいわ。それが本当に良いことなのかサラには分からないけれど」

「……?」


 その言葉にシルフィは違和を覚える。

 サラは血の如く深い赤を湛えた右目を抑えて、誤魔化すように小さく首を横に振った。


「サラは、あまりお父様とお母様のことを知らないの。昔は振り向いてもらおうとして魔法医学について勉強したりもしていたのだけど──彼らは、娘にすら興味を示さない人種だったわ」

「それは……」

「小さい頃に一度だけ遊んでもらった記憶があるけれどそれが最後。そんな両親が嫌で、今では研究者の道を諦めてお爺様のような立派な騎士になりたいと思うようになった」


 複雑な家庭の事情を明かしたサラは少しだけ憑き物が落ちたような顔を見せる。今まで言えなかったことが、ようやく誰かに聞いてもらえたという安堵に近いものかもしれない。

 聞き手に回っていたシルフィは訊くべきか逡巡していた一手を繰り出した。


「ご両親のお名前は?」

「父がユンド、母がマリーデよ。そんなことを聞いてどうするの?」

「もしかしたら知ってるかもって思って」

「界隈では有名なのかもしれないけれど、一般人が知るには些か無名ね。それよか、お爺様の方が有名だわ。イヴァン・デューイって聞いたことない?」

「ない」

「はぁ!? いいわ、お爺様の偉大さを教えてあげる」

「えぇ……」


 得るべき情報は得た。シルフィは調査の進展を確信する。

 しかし、帰宅までサラの高説を延々と承ったシルフィはげっそりとしていた。


 ◇


「お嬢様、ホワイトカードが届きました」


 日課であるサラとの特訓を終えたシルフィは帰宅後、湯浴みを終えたところでアーニャに呼び止められる。いつになく真剣なその様子に、シルフィも気を引き締めた。

 アーニャから手渡された白封筒を開封すると、中から一枚のカードが現れる。

 綴られていたのは、三羽のカラスが戯れる姿────【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】からの緊急招集を意味するものであった。

 シルフィは意識を切り替える。


「いつ届いた?」

「一分ほど前です」

「アーニャ、軽食を用意して。すぐに発つ」

「既にこちらにございます、お嬢様」

「従者が優秀で嬉しいよ」


 シルフィは一口大に切られたパンを二切れ口に放り込み、髪も乾ききらないうちに外套を纏って忽ち出ていった。




 シルフィがアジトに着くと、そこに人影は無かった。部屋の中央、大理石テーブルに居座る白いカラスが一羽のみ。


「早かったじゃねエか」

「カーク、状況を手短に説明して」

「オイオイ、任務中だぞ【(スター)】。オレのことハ【世界(ワールド)】と呼ベ」

「……失礼、状況を」

「【審判(ロキ)】ト【恋愛(ミラー)】がヤバい。【(シルフィ)】は彼ラノ撤退支援に迎え」

「ヘマでもしたの?」

「イイヤ、騎士団の奴とバッドエンカウントだ」

「そう、責任の所在が明らかでいいね」

「カカッ、そう(いき)り立つナ。今回ハ騎士サマの秘密捜査らしイから【戦車(セト)】に非は無イぞ」

「どうだか。とにかく、騎士団を攪乱して撤退支援。これが私の役目ということ?」

「アア、その通りダ。先行して【死神(シノ)】を向かわせテいるカラ、適宜記憶の操作をシロ。その辺ノ判断はお前に任せル」

「了解、すぐに向かう。場所を教えて」

「クメズメ市の十三番通りダ」

「クメズメ……?」


 クメズメ市はユートラント市から南に三十数キロメートル離れた場所に位置する街だ。徒歩で行くには遠すぎる。


「歩いて行かせる気?」

「お前ハ自分の足デ向かった方が早いダロウ」

「……建物が吹き飛ぶけど」

「バカ、空を飛んでイケ。ユートラントを壊スつもりカ?」

「冗談。さすがにね」

「【星】ハ時折、オレたちの常識を打ち破ってクルからヒヤヒヤすンだよ」


 辟易とした様子でカークは翼を折りたたんだ。

 一通りの会話を済ませたシルフィは、カークから黒い外套と仮面、連絡用のイヤリングを受け取る。


「緊急連絡もこのイヤリングですればいいのに」


 愚痴をこぼしつつ、シルフィは用意を済ませた。

 着替えを見届けたカークは嘴を打ち合わせて甲高い音を響かせる。(とき)の合図である。


「行ってコイ」

「ええ。臨時任務、高くつけとくから」


 パチンと指を鳴らした数舜後、その場にシルフィの姿は無くなっていた。

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