05.シルフィ・エリアルの日常Ⅳ
「ぜんっぜん上手くいかなかったわね!」
「いきなり出来たら私も苦労してないからね」
数刻後、サラとシルフィは肩を並べて学校を出た。辺りはすっかり闇に包まれており、住居が立ち並ぶ通りでは殊更に暗い。
「体内で魔力は錬成できているのよ。それは視えているの。でも────」
サラはアーモンド形の瞳を細め、シルフィを一瞥する。
「体内の魔力を外へ出力できない……そんな人、初めて見たわ」
「私も自分以外で見たことないよ」
シルフィは魔法を使うことが出来ない──とうのは少々語弊がある。実際は魔法を外部に発現できない、すなわち生成した魔力を外部に取り出すことができないのだ。
これは先天性のもので、幼少期は辛い思いをしたこともある。
魔臓が正常に機能したうえで魔法を使えないのはシルフィだけだと言ってもいいほど例がなく、その原因は未だに不明。当の本人は放出型の魔法をとっくの昔に諦めていたが、この度、晴れてサラに目を付けられたというわけだ。
「ねえサラ、前から気になってたんだけど、その『魔力が見える』って何なの?」
「ああ、これ。魔力の流れが色で可視化できるのよ。いつから見えるようになったのかは記憶が曖昧だけど」
言って、サラは自身の右目を指す。両目ともに紅玉のような赤を湛えているが、右目の方が僅かに深い色をしていた。
「共感覚ってやつ?」
「そんなところかしら。深く考えたことが無いからよく知らないわ」
そんなものでいいのか、とシルフィは子首を傾げる。ぽつぽつといった調子で雑談を交わしながら歩いて行くと、二人は三叉路にたどり着いた。
「サラは左ね」
「私は右だよ。暗いし、送っていこうか?」
「バカ言わないで。自分の身は余裕で守れるし、むしろ、魔法を使えないアナタの心配をするべきでしょう?」
「……そうだよね」
「なぜ不服そうな顔をしているの。大人しくサラに送られなさい」
「うん……ありがとう」
サラはシルフィの手を引いて右の道へ進む。その足取りは心なしか楽しそうだ。
一方のシルフィは内心で肩を落とした。あわよくばサラの家に付いて行って「ユンド・トレイク」の情報を集めようかと思っていたのだが……現実は上手くいかないものだ、と嘆く。
「アナタ、物騒な所に住んでいるのね……」
「ボーデン地区は言うほど荒れてないよ。警邏の騎士が真面目だからね」
シルフィが住まうボーデン地区はセトの管轄である。堅物な同僚を思い出しながら、シルフィはサラに言葉を返した。
明滅を繰り返す街灯が照らす道を二人で歩く。
言葉数も少なくなってきたところで、ひと際目立つ家屋が二人を迎えた。
「ここ、私の家」
「ふーん……まあ、なに、趣のある家ね」
「素直にボロ家でいいよ?」
二階建てではあるものの、その外観は寂れている。
二人が玄関の前で別れる寸前、家の中から少女────シルフィの従者であるアーニャが現れた。「どうして出てきたんだ」という言葉を飲み込んだシルフィは面倒な予感に身体を強張らせる。
「お帰りなさいませ、シルフィ様。そちらはお客様ですか?」
「いいえ、ただの同級生。送ってもらっていたの」
「左様でしたか。お嬢様にもご学友がいらっしゃったのですね~」
からからと笑うアーニャにシルフィは苦い顔をする。
一方のサラは不躾なほどにアーニャを見つめていた。
「アナタ、シルフィの従者なの?」
「よよよ……そうなんです、毎日毎日こき使われて辛い思いをしている従者でございます」
「そうなの!? 見損なったわよシルフィ!」
「この子の言うことは九割適当だから、あまり真に受けないで」
「残りの一割で真実を話しているということじゃない!」
「違うから」
ぺろっ、と舌を出すアーニャを睨みながらシルフィはサラを窘める。場を取り成したシルフィは疲労の色を見せた。
「アナタ、面白いわね。名前は何というの?」
「アーニャです! そちらは?」
「サラよ。サラ・トレイク。よろしく、アーニャさん」
「よろしくお願いします、サラ様」
「なんで仲良くなってんのよ」
勘弁してくれとシルフィは頭を振るが、ふと、この状況を利用できるのではないかと思い至った。
シルフィは顎に手を添え、見定めるように目を細める。
「そうだ、今日はもう遅いし、ついでにうちでディナーしていく?」
「いいですね。サラ様の分も用意いたしますよ」
「えっ、ああ……お誘いは嬉しいけど────」
「ご両親に迷惑かな?」
両親────その言葉を耳にしたサラの顔から表情が抜け落ちる。
しかし、数舜後にはいつもの勝ち気なサラが戻っていた。
「ごめんなさい、家で祖父母が待っていると思うから遠慮させてもらうわ」
「そう、残念」
「ええ。では、サラは帰るわね」
「今日はありがとう。気を付けて」
シルフィは別れの挨拶を交わし、サラの背中を見送る。
今しがたの会話を反芻したシルフィは小さく息を吐いた。
「両親の話は禁忌、と。家庭の事情に踏み込むのは気が引けるけど……一度、クロハさんに報告を上げておこうかな」
「シルフィ様?」
「なんでもない。私もお腹空いたから家に入ろう。晩ご飯を食べながら説教するからね。立場というものを再教育する必要がありそうだから」
「えぇ~、堪忍してくださいよ~」
人影の少ない通りにアーニャのお気楽な悲鳴が響く。
シルフィは頭の中で情報を整理しながら、サラに対して仕掛けるべき次の一手の用意を始めた。