04.シルフィ・エリアルの日常Ⅲ
シルフィ・エリアルとサラ・トレイクの出会いは高等部の入学式だった。
ノグマ学園に通うことになった新入生五百名が集められた大講堂。シルフィも新入生として新たに卸した制服を身に纏って式を退屈そうに眺めていた。
恙なく進んでいくプログラムにとうとうシルフィが舟を漕ぎだした頃、壇上に一人の少女──サラ・トレイクが現れた。
内部進学生代表として登壇したサラは新入生に向けて挨拶を行う。
『皆様、本日はご入学、誠におめでとうございます。本校では他者の規範となるような人材の育成を目指し────』
拡声魔法によって響き渡るサラの声は芯が通っている。その整った容貌は人目を惹き、悠然とスピーチをする姿は風格──カリスマを備えていた。
シルフィの意識も徐々に覚醒を始め、ぼーっとした目でサラを見上げる。
『────一般的な魔法のみならず、社会に出てから必要とされる専門的なまほっ……』
澄んだ声で紡がれる話に誰もが聞き入る中────寝ぼけ眼のシルフィと、壇上のサラの視線がかち合った。
「ん……?」
『まほ……魔法を学ぶことが出来ます』
シルフィと視線を交錯させたサラは一瞬だけ台詞を淀ませるが、何事も無かったように挨拶を進める。ただし、その目はシルフィに釘付けだった。
(……まさかね)
シルフィは自分の正体────【星の大鴉】の構成員であることがバレたのかと身構える。
ジッ、とシルフィも凝視するが、特に何かが起こることもなくサラは挨拶を終えて降壇していった。
(なんだったんだろ……)
気のせいかもしれない。
警戒するに越したことは無いが目下のところ脅威ではないと判断し、シルフィは再び微睡の中に落ちていった。
入学式を終えて新入生は現地解散となった。
シルフィは夕方からの仕事に備えて一人で下校する。賑わう校舎を通り抜け、正門に到達したところでシルフィは足を止めた。
「……何かご用ですか」
「────っ!」
振り向くことなく呟いたシルフィの声は、隠れた追跡者を暴いて見せた。
バツが悪そうな顔をして木影から現れたのはサラ・トレイクその人だった。突然のサラの登場に、周囲の学生が俄かに騒めきだす。それだけサラが目立つという証左でもあった。
もう少し人目の少ない場所で対話を始めれば良かったとシルフィは内心で後悔しながらサラの言葉を待った。
「ねえ、アナタは何者なの?」
「何者とは随分な質問ですね……」
探るようなサラの問いかけにシルフィは睥睨を返す。初対面が交わす挨拶にしては互いに礼節を欠いていた。
シルフィの睨みに堪えた様子もなく、サラは一歩詰め寄る。
「アナタを初めて見た時、背筋が凍ったわ。その身体の中に流れる膨大な魔力。とても学生──いえ、人間のものとは思えない」
「……」
シルフィは目を眇める。組織の命でノグマ学園に入学することになった彼女は事前に学生のリストに目を通していた。サラ・トレイクが取り分け優秀な学生であることは記憶していたが『魔力を見透かす』などという情報は入っていなかった。
何を目的として接触してきたのか不明である以上、警戒せざるを得ない。
先手を打たれる前にこちらから仕掛けるべきか、とシルフィが思い至ったところで────
「私はサラ・トレイク。アナタ、名前は何というの?」
「……シルフィ・エリアル」
「そう、素敵な名前ね」
サラは何かを納得したように一人で頷く。次いで、ビシッと人差し指をシルフィに突き付けた。
「シルフィ・エリアル! 今日からアナタは、このサラ・トレイクのライバルよ!」
「……え?」
「その内に秘めたる濃密な魔力、手練れの魔術師と見受けるわ。サラの好敵手に相応しい才覚を持っている」
「あ、ありがとう?」
「今日はそれだけ伝えに来たから。気を付けて帰りなさい」
ぽかん、と呆けるシルフィを置いてサラは校舎へと戻っていった。
「なんだったんだろう、アレ」
サラが大きな声でライバル宣言をするものだから、気が付けばシルフィは注目を集めていた。
あまり目立たないようにと組織から忠言されているにも関わらず入学初日から悪目立ちしてしまったことに焦りを覚えたシルフィ。天災に遭ってしまったのだと割り切ってこの日を終えた。
この後、毎日サラに絡まれてしまうことなどシルフィは知る由もなかった。
◆
「えー、皆さんも知っている通り、現代生物のほとんどは体内に魔臓と呼ばれる魔力生成器官を持っています。えー、魔臓から血中に送られた魔素が外部の物質と結びつくことで魔法を顕現しているのです。えー、つまり、皆さんに覚えておいてほしいのは、魔法は科学と密接に繋がっているということであり────」
シルフィは教師から視線を外し、教室の窓からぼんやりと外を眺める。昨日に引き続いて生憎の空模様。雨滴がガラスに張り付いたせいで景色が歪んでいた。
考えるのは任務のこと。放っておいても向こうから絡んでくるからサラとの接触は容易であるが、どのようなプロセスで「ユンド・トレイク」なる人物の情報を引き出せばよいのか。
対人情報収集のプロであるミラーに助言を貰おうかと妖艶な美女の姿を思い浮かべるが、すぐさま首を横に振る。情報管理の観点から幹部同士は共同任務時以外の連絡を禁止されているため、話をするなら次回の定例会まで待たなければならない。
「────炎に関する魔法では支燃性の元素に意識を傾けると威力が増し、えー、例えば空気に漂うオキシゲンをですね、抽出して利用できます。抽出の方法については教科書の……もうこんな時間ですか。えー、今日の授業はここまでです」
シルフィが思索している間に午後の授業は終わりを迎えていた。
未だにシルフィの考えは纏まらないままだったが、なるようになるかと気楽に構えることにする。そも、戦闘要員であるシルフィは交渉術に長けているわけではない。最初からセトもクロハも期待はしていないだろう。
開いてすらいない教材を鞄に詰め込み、シルフィは教室を後にする。
「待っていたわ、シルフィ・エリアル」
「あ、こんにちはサラさん」
教室を出て間もなく。廊下の壁に背を預けていたサラが声を掛けてきた。いつもなら口をへの字にするところだが、今日からはシルフィ側もサラに用事がある。
「今日こそ、私に付き合ってもらうわよ」
「……いいよ」
「へ、へえ、ようやくやる気になったのね。今日も断られるものだとばかり思っていたから、逆に驚いてしまったわ。それじゃあ、サラに付いてきなさい。直々にアナタを鍛えるための特訓を施してあげる」
サラは不敵な笑みを浮かべると、肩で風を切って歩いて行く。シルフィも大人しく後ろを付いていくことにした。
周囲から「エリアルさん、呼び出し食らってるよ」、「トレイクさんと仲良いんだ、羨ましい……」との声がヒソヒソと聞こえてくる。
────魔法が使えない劣等生シルフィと、学園の麒麟児サラ。
そんな二人が連れだって歩いているというのだから、良くも悪くも目立ってしまう。
関心の視線に身を縮めるシルフィを気にかけることなく、サラが先導して訪れたのは生徒用に開放している実技演習場の一つ。第一から第五まである広場には放課後の魔法練習に励む生徒がちらほらと見受けられた。
最も人が疎らな演習場の端に陣取った二人は適当な柔軟運動で体をほぐしてから向かい合った。
「始める前に一つ訊いておくけど、サラさんは私との特訓とやらで何を目的としているの?」
「そんなの、シルフィの魔法技術向上以外にないけれど?」
何を当然のことを、と言わんばかりに首を傾げるサラに、シルフィは溜息を一つ。
「それがおかしいって言ってるの。サラさんに見返りが無いでしょ」
「あるわよ。アナタを鍛えることでサラに張り合いが生まれるもの」
「私がサラさんに並ぶほど優秀な人間だと思う?」
「もちろん。磨けばダイヤにも勝る宝石になるでしょうね」
「私、口説かれてる?」
「サラの目はアナタを逸材だと見極めたわ。自分のことを卑下するのは勝手だけど、今に見てなさい。アナタの才能を開花させたとき『サラ師匠』と呼ぶことになるから」
「へぇ……」
自分の慧眼を信じて疑わないサラに対してシルフィは感心する。
────本物だ。
シルフィは唇を舐める。
事実、サラの言っていることは概ね正しい。シルフィは潜在的に莫大な魔力を有しており、この力を活用することで無類の強さを発揮できる────ということをシルフィは既に知っていた。
シルフィには魔法の師が既にいたのだ。
故に、不遜な態度のサラと、シルフィを育ててくれた恩人である師匠の姿が重なった。
「今日からサラのことは先生と呼びなさい!」
「それは嫌だ……けど」
サラがシルフィの潜在能力に惚れ込んだように、シルフィもまた、サラに才能を見出していた。
「よろしくね、サラ」
「ええ、よろしくシルフィ」
二人は固い握手を交わす。
こうして、サラ主導によるシルフィ育成計画が幕を開けたのだった。