epi1-2.従者アーニャの理由
冬の月の半ば。
雪が舞う中でアーニャは父母の墓前に花を供えた。
「もう、二年になるんだ」
墓石に覆う粉雪を手で払うと、そこには「ヒルデ夫妻 ここに眠る」という文字が露わになる。
アーニャの両親は外界で魔物に襲われてこの世を去った。故に、この土の下に彼らの遺骨は収まっていない。
そんなことは理解していても、アーニャはどこかに「親の温もり」を見出していた。
指を組んで祈りを捧げるアーニャは両親へ報告するために訥々と思い出を語っていく。
家族を失って苦労したこと。
学校には行けなくなってしまったこと。
そして、生涯仕えたいと思える良き主に出会い、今は幸せに暮らしていること。
今年で齢十五になる少女にとっては、めくるめくような移り変わりの日々。疑いようもなく、アーニャ・ヒルデの人生の転換期であっただろう。
祈りを終えたアーニャは振り返ることなくその場を後にする。
少女の目に涙は浮かばない。それは悲嘆を乗り越え、新たなる人生の道筋を歩み始めた人間の強さであった。
◇
アーニャがユートラントの市街地に戻ると、そこには見覚えのある麗人の姿があった。
「サラ様、お久しぶりです」
「あら、アーニャさんじゃない。ごきげんよう、今はお買い物中かしら?」
「まあそんなところです。サラ様もですか?」
「サラは……そうね、そんなところかしらね」
サラの視線の先には「玩具屋」と書かれた看板が掲げられている。アーニャは小首を傾げた。
「おもちゃ、ですか?」
「『おもちゃ』という表現は些か稚拙であるような気がするけれど……そう、遊戯のための道具、即ち『遊具』を買いに来た、という方が適切かしらね」
「ふむ?」
アーニャは頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら曖昧に頷く。サラは己の言わんとするところが伝わらなかったことが口惜しいのか、僅かに顔を赤らめながら誘い文句を口にした。
「アーニャさんがよろしければ、付いてきてくださるかしら?」
ところ変わって、とある喫茶店のテーブル席。紙袋を携えたアーニャとサラは、それぞれ温かいココアを啜る。
「サラ様がボードゲームとは意外でしたね。お好きなんですか?」
「好きというほどではないけれど、負けられない相手がいるから練習しようと思って」
「なるほどなるほど。そのお相手はシルフィ様ですね?」
「ぶふっ。な、なんでそうなるのよ!?」
「サラ様はシルフィ様のご友人でいらっしゃいますから」
逆に、サラにはシルフィくらいしか友達がいない。リリアがギリギリ友人を名乗れるくらいだろうか。
アーニャは紙袋の中に入った『ユグドリア』に目を向ける。それは、かつてシルフィとサラが遊戯館で激闘を繰り広げたボードゲームの一つであった。
「勢いでアーニャも買っちゃったんですけど、浪費だーってシルフィ様に怒られそうです」
「大丈夫なのではないかしら。シルフィもアーニャさんを相手に研鑽を積むって言っていたし、いずれは買う予定があったのでしょう」
「そうなんですか? シルフィ様からは何も聞いていませんけど……」
「それは、シルフィが忘れている可能性もあるわね」
「あははー。シルフィ様はここ暫く忙しかったですからねー」
「ああ、そのことなんだけど、シルフィは無事なのかしら」
「へ?」
サラの言葉にアーニャは目をぱちくりとさせる。
シルフィが【星の大鴉】の任務を終えて休養していることを外部の人間は知らないはずだ。まさか、その事実について追及されているのかとアーニャは肝を冷やしたが────
「シルフィったら、流行り病で熱を出したらしいじゃない。まったく、夜更かしを続けるからそういうことになるのよ。移ったらいけないからってお見舞いにも行かせてもらえないし」
サラの言葉にアーニャは素早く得心した。それは、クロハかカーク辺りが用いた方便なのだろう、と。
シルフィは世間一般的に学生の身分である。長期休暇でもない限り、一週間近く休むためには何かしらの理由が必要となる。そこで、流行り病を患った────という嘘を吐くことにしたのだ。
サラを含める学校関係者には「シルフィが病気に伏した」ことになっているが、実際は「命のやり取りをして重傷を負った」が正しい。
「シルフィ様なら大丈夫ですよ。すっかり快復したので、二、三日後には登校できそうです」
「ほっ……よかったわ。まあ、従者であるアーニャさんが一人で出歩いているから大丈夫だとは思っていたけれど」
アーニャは内心で「あぶなー」と焦りながらも、その外見は努めて冷静。人好きのする笑顔を絶やさないままココアを呷る。
すると、サラが思いついたように質問を口にした。
「そういえば、どうしてアーニャさんはシルフィのお付きをしているのかしら。見たところ随分と年若いみたいだし、エスリアの法に準拠すれば学生であってもおかしくはないのに」
「あー……それはですね」
アーニャは口ごもる。
シルフィに仕える理由は命を助けてもらった謝恩を示すためであるが、【星の大鴉】に関わる部分があるため口外は出来ない。
彼女が学校に行かない理由として、過去のいじめを少し引き摺っていること、なんでも屋としての仕事が楽しいこと、シルフィのための時間を学業に取られたくないこと等々あるのだが、それをサラに説明するのは気が引ける。
アーニャが苦笑を浮かべると、サラは察したように首を横に振った。
「ごめんなさい、今の質問は不躾に過ぎたわね」
「い、いえいえ!」
触れてはいけない部分ということを察したのか、サラは気まずそうにココアをチビチビと口に含んでいく。
重くなりかけた空気をどうにかしようと、アーニャは手を打つ。
「あの、シルフィ様にお仕えしている理由の一つにですね、笑顔にしたいから、というものがあるんです」
「笑顔?」
「はい。不肖アーニャはシルフィ様に多大な恩を感じていまして。アーニャとしましては少しでもシルフィ様のために行動したいんですよ」
アーニャはピンと人差し指を立てて話を続ける。
「ところでサラ様はシルフィ様の笑顔を見たことがありますか?」
「シルフィの笑顔……言われてみれば、見たことが無いかもしれない。いつもふてくされているというか、ムッとした顔をしているわね」
「そうなんですよ。怒ったり悲しんだりすることはありますし、声のトーンや口調が明るくなることはあるんですけど、ぜんぜん笑顔を見せてくれないんです。シルフィ様はきっと、笑うことが出来ないんだと思います」
アーニャの言葉が意味知ることは何か。サラは真剣な顔つきで耳を傾けた。
「シルフィ様は心の奥底に闇を抱えている……それは、サラ様も気づいているのではないですか?」
「……そうね、彼女が暗いものを持っていることは近くにいれば分かる」
「ですから、アーニャはシルフィ様に笑顔になってもらうために活動しています。まずは元気の源である衣食住を整えて、少しでも幸せや人の温かみを感じていただければなと思っております!」
ニパッと笑みを咲かせるアーニャにつられてサラも笑いをこぼす。
「素敵な目標ね。サラも力になるわ」
「おーっ、それは心強いです!」
アーニャとサラは握手を交わす。ここに「シルフィを笑顔にしよう同盟」が結成された。
「まあ、アーニャはシルフィ様の笑顔を見たことがあるんですけどね!」
「え、そうなの?」
「はい、シルフィ様は寝起きなどの寝ぼけている際に時たま笑うんです。だからアーニャはシルフィ様のレア笑顔を眺めるために毎朝起こしに行くのです」
「……サラも見に行きたいわ」
「むふふー、これは従者の特権なので譲れません!」