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03.シルフィ・エリアルの日常Ⅱ

 退屈な授業と好奇の視線をやり過ごし、サラを躱しながら迎えた放課後。早朝からの鉛空は黒雲に姿を変え、ユートラントの地を大粒の雨と落雷が襲っていた。

 シルフィは傘の下で姿を隠しつつ、帰路を辿る────フリをした。シルフィが住まうボーデン地区への道から数本逸れて路地裏に移動する。

 後を付けられていないか曲がり角で確認を挟みつつデタラメに歩く。周囲の目が完全になくなったところで辿り着いたのは人気のない家屋であった。

 軒先で傘を閉じ、懐から小さなカギを取り出す。ふとシルフィが視線を遣ると、同じ軒先でカラスが一羽、雨宿りをしていた。

 シルフィは鍵穴に子鍵を差し込み、意識を切り替える。ここから先は彼女にとってのもう一つの日常。言うなれば「異日常」である。


「……よし」


「どこにでもいる学生の少女」の顔は消える。冷静かつ冷酷、凛然とした振る舞いを求められる世界が彼女の異日常なのだ。


 ◇


 シルフィが家屋に足を踏み入れると長大な廊下が彼女を出迎える。天井、床、壁、その全ての面に扉がズラリと並んでいた。


「相変わらず気持ちの悪いところ……」


 遠近感が狂いそうな空間は魔法によって拡張されたものだ。家屋の扉を特殊な鍵で開錠することを発動条件にした隠蔽魔法は正常に働いている。

 右手側、入口から十三番目の扉を前にシルフィはもう一度鍵で開錠し、扉を潜る。またしても現れたのは長大な廊下。先ほど見たような景色だ。

 そうして特定の扉を通過すること八度。ようやく変化が現れた。

 上を見上げれば絢爛(けんらん)なシャンデリアがかかり、足元には柔らかい絨毯(じゅうたん)が敷かれている。中央には大理石の円卓があり、その周りを十脚の椅子が囲む。

 大部屋の中には既に四人の先客が着席していた。


「こんにちは、シルフィちゃん」


 真っ先に声をかけてきたのは先日の任務で行動を共にした優男────【審判(ジャッジメント)】のコードネームを持つロキ・ティネージ。癖のある銀髪を指先で弄りながら、胡散臭い笑みを浮かべている。

 ロキに適当な挨拶を返したシルフィは手元の時計で時刻を確認する。集合時間には間に合っていた。

 シルフィは手近に空いている席へ腰を下ろす。右隣には豊満な肉体を薄い布地で隠した美女が座っていた。


「シルフィちゃん、久しぶり~。最近の調子はどう?」

「まずまず。ミラーは……何と言うか、いつにも増してアレね」

「うふふ。綺麗でしょ?」

「まあ……」


 シルフィが言葉を濁しながら会話をするのは【恋愛(ラヴァーズ)】のミラー・アギノス。人目を惹く金髪とサファイアのような瞳、自重を支えきれないほど大きな双丘に、シミ一つ無い美脚。

 ミラーの容姿は()()()()()()()程に整っている。


「ミラー。くさい」

「あら、シノちゃんには香水の匂いが早かったかしら」

「場に不適切」

「手厳しいわね~。でも、今夜は仕事が入っているから許してちょうだい?」

「むぅ……」


 シルフィを挟んで左からミラーに声をかけたのは【死神(デス)】の名を持つシノ・デスピア。黒髪を肩口で切りそろえた少女は「ちょこん」という表現が正しい姿で椅子に腰かけている。低い背丈は年相応のもので、この場では最年少となる十歳である。

 左右のやり取りを無視してシルフィは視線を巡らせる。幹部の人数分である十脚のうち、埋まっているのは僅かに五脚。今日は集まりが悪いようだ。


「今日はこれで全員?」

「いいえ、セトがまだ到着していません」


 シルフィの投げた問いに答えたのは、上座に腰を下ろす黒髪の女性。その居住まいは威厳のあるものだった。

 彼女の名はクロハという。十六、七歳の見た目に反してその実年齢はこの場に居る誰よりも高い。

 この組織の副リーダーであるクロハは小さく息を吐いた。


「定刻になっても彼が訪れなければ先に会議を始めます」

「セトはああ見えて方向音痴だからね。この場にたどり着けないかもしれない」


 クツクツと笑いを零すのはロキ。シルフィも件の人物を思い浮かべて然もあらんと内心で頷く。

 話題も無くなった部屋に暫く静寂が満ち、会議開始の二分前になったところで入口扉が開いた。


「すまない、セト・トイラーク、ただいま到着した」

「まだ会議は始めていません。どうぞ席についてください」


 部屋に入ってきたのは身長二メートルに近い大男、【戦車(チャリオット)】セト・トイラーク。仕事の最中だったのか、その身は騎士を表す聖鎧を纏っていた。

 セトは中央の円卓まで歩むと、ロキの隣に座した。


「……なんでわざわざ僕の隣に座るのさ」

「決められているわけでもあるまいし、席など何処でも良いだろう」

「セトが隣に来ると威圧感で暑苦しいんだよ」

「それはすまない。諦めてくれ」

「空いてる席が他にもあるだろう!? なに、お前は僕のことが好きなのか?」

「そんなわけないだろう。くだらん自惚れをするな」

「こいつ────」


 ロキとセトが言い争いを始める寸前、カチンッという硬質物を打ち合わせたような甲高い音が部屋に鳴り響く。

 音の出所は上座に座るクロハではなく、さらに部屋の奥、豪奢な部屋に似つかわしくない老木────止まり木の上から。


「サア、お前ラ。定例会の時間ダ」


 バサリとそれが翼を広げると、白い羽根が幾枚か床に落ちた。

 アルビノのカラス。

 名をカークというそれは、星の大鴉のリーダーとして会議の開始を宣言するのだった。


 ◆


 喋るカラス、カークによって開始の宣言が成された【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】幹部会議。進行はクロハが務めることになった。


「まずは先日の『違法薬物流通組織解体任務』、お疲れ様でした」


 クロハがつらつらと述べたのはシルフィが殲滅させた組織のこと。トップであるザイン・ガップという男を始末もとい騎士のセトに引き渡したことで、今日の朝刊にも載ることになった事件である。


「まずは主犯格のザイン・ガップから手に入れた情報を。ロキ、お願いします」

「了解……といっても、たいしたものは得られなくてね。シルフィちゃんが無力化した彼を僕とシノちゃんで拷問もとい尋問した結果、栽培を取り締まっている団体が別にいるというくらいしか新規の情報は吐き出さなかった。まあ、そっちはセトが解決してくれたみたいだけど」

「ああ、騎士団の総力をもって事態の解決に当たらせてもらった」


 シルフィは朝刊の文面を思い出す。紙面では関連組織について調査中となっていたが、既に事態は収束しているらしい。明日の一面も騎士団の指揮を執ったセトを称賛するものになるだろう。

 クロハは小さく頷き、話の続きを促す。


「ザイン・ガップの処遇はどうなりましたか」

「騎士団が拘束した後、牢獄に収容された。我が国では違法薬物の類を厳しく取り扱っているため無期懲役は確定だ」


 シルフィは心の内で無感動に悪党の終幕を受け止め、会議の進行を黙って見守る。

 次に声を出したのはシルフィの左手に座るシノだった。


「忘却魔法、機能してた?」

「ああ、ガップは組織を襲撃したシルフィや尋問を行ったロキとシノのことを覚えている様子は無かった」

「よかった」


 セトの言葉にシノは満足そうな表情を浮かべた。シノの扱う忘却魔法が正常に機能していたらしい。

 通常、【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】として活動を行った際は関係者の記憶を弄る。これは単に構成員の存在を表に出さないためである。

 尋問された記憶はあるが、誰にされたのかまるで思い出せない。こういった精密な情報操作を欠かさないことで「【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】なる実体不明の組織」が概念としてのみ裏社会に通用しているのだ。


「ところでクロハさん、一つ報告があるのだが良いだろうか」

「はい、認めます」


 セトは纏っていた鎧の内に手を突っ込むと、懐から密封されたナイロン製の袋を取り出した。中には青白い粉末が一つまみほど入っている。


「奴らの関連組織から押収した粉なのだが、新種の違法薬物である可能性が高い────」

「おいおい、騎士様がそんなものを持ち歩いてもいいのかい?」

「口を挟むな、ロキ……実を言うと、この粉末の成分については調査が難航している。どうやら、例にない物質が含まれているそうなのだ」

「なるほど、興味深いですね。それでは、私とカークで調べておきましょう」

「話が早くて助かる、クロハさん」

「面白ソウじゃねえカ。オイ、ロキ、オ前も手伝エ」

「なんで僕まで……」

「こういうのハ得意分野だロウが。甘えンなヨ」


 カーカッカと笑うカークに対し、ロキは「仕事が増えた」と嫌な顔をする。

 その様子をシルフィは我関せずと見物していた。諜報や解析は彼女の仕事ではない。


「あと、もう一つ。この粉に関して、取引先のリストが見つかった。暗号化されているため全てを解明できたわけではないが、幾つかの購入者及び販売機関にアタリが付いた。関連がありそうな組織には探りを入れてほしい」

「ふ~ん、それは私の仕事になるのかしら?」


 ここまでシルフィと同じく会議を眺めるだけだったミラーが手を振る。ひらひらと揺らされる腕につられて胸元も大きく揺れた。


「情報ぶっこ抜いてきてあげる」

「よろしく頼む。それと、シルフィにも頼みがある」

「私に?」

「顧客リストの中に『ユートラント先進医療研究所』の名前があった。その研究所の代表者がユンド・トレイクという人物なのだ」

「……トレイク」


 シルフィはその名前に聞き覚えがあった。

 脳裏に浮かぶのは最近の頭痛の種である赤髪の少女、サラ・トレイク。


「ノグマ学園の高等部に親族らしき少女がいると調べはついたのだが、それ以上の情報が出てこなかった……不自然な話だろう?」

「だから、同級生である私に探りを入れてこい、と」

「ああ、頼めるだろうか」


 そういうのは私の領分じゃないのだけど、という頭ごなしの否定を飲み込み、シルフィはクロハへ視線を飛ばす。

 この【星の大鴉(アストラル・レイヴン)】という組織の中でシルフィの行動の鍵を握っているのが彼女であるからだ。


「私からもお願いします、シルフィ」

「……了解。でも、あまり期待はしないでよ」


 安請け合いと言えば安請け合いだが、直属の上司であるクロハに頼まれたのではシルフィも断ることが出来ない。

「自分からの報告は以上だ」とセトは言葉を締めくくる。


「ありがとうございます。この件に関する報告は他にありませんか。では、次の議題ですが────」


 その後、二つ三つと別の話題に対して意見の交換と任務の割り振りが行われて会議は終了。

 シルフィが持ち帰った任務は「サラ・トレイクからユンド・トレイクの情報を聞き出すこと」だった。


 ◆


 シルフィがアジトを出る頃には、夕方よりも勢いを増した雷雨がユートラント市を襲っていた。足がつかなくていいな、と捻くれた感想を抱きながらシルフィは帰路を辿る。


「おかえりなさいませ、シルフィ様!」


 シルフィが帰宅すると、従者であるアーニャが出迎える。朝と変わらないエプロンドレス姿に、異日常から日常に戻ってきたんだとシルフィは気が抜けた表情を晒した。


「ただいま、アーニャ」

「お待ちしておりましたよ。今夜はアーニャにします? アーニャにします? そ・れ・と・も~……アーニャにします?」

「晩ご飯ができているなら先に貰おうかな。お風呂はそのあと。アーニャはいらない」

「しくしく、お嬢様のいけず」

「はいはい、わかったわかった」


 軽口を言い合いながら二人はリビングへと向かう。食卓には香り立つ料理が並んでいた。


「もしかして出来立て?」

「いいえ、シルフィ様が帰ってきたことを確認してから魔法で温め直しただけです」

「……魔法って便利だね」

「シルフィ様も使えるではありませんか」

「私のやつはちょっと違うでしょ」


 困ったような表情を浮かべたシルフィはアーニャと共に席に着く。温かなスープにパンを浸してから咀嚼すると、スープに溶け出した野菜の仄かな甘味が口いっぱいに広がった。


「そういえば依頼が持ち込まれたんですよ~」


 同席したアーニャはシルフィが食事を取る姿を眺めながら、そんな話題を口にした。シルフィが学園生活を送っている間、彼女は自宅から斜向かいの雑居ビルの中で表向き『なんでも屋』を経営している。

 シルフィは小さく頷いて話の続きを促した。


「店に来たのはサウスボーデン地区の浮浪者でした。なんでも、人が突然いなくなる『神隠し』が頻発しているから調査してほしいとのことでしたが」


 アーニャは一度言葉を区切り、シルフィの反応を待つ。


「──依頼人は金を用意できなかった、と」


「その通りです。サウスボーデンのスラムから来たのに探偵業の相場も知らないあたり、最近流れ着いた人だったんでしょうね。お話を一通り聞かせて貰った限りでは”人攫い”の類で概ね間違いないとは思いますけど」

「サウスボーデンでそれは珍しい話じゃないでしょ?」

「はい。依頼金も用意していませんし、そういうのは騎士団に頼んでくださいと追い返しました」

「道理だね。ただ、騎士団も人攫いの実情を知っていたうえで検挙できていないというのなら話は変わってきそうだけど……。ごちそうさま。美味しかった」

「お粗末様です。そういえばシルフィ様は定例会どうでした?」

「いつも通り。ちょっと面倒な仕事を押し付けられたけど、暫くは外界の任務もなさそうだし落ち着けると思う」

「良いですね。週末にアーニャとデートしちゃいます?」

「気が向いたらね」

「わくわく。期待しちゃいますよ~?」


 手をひらひらと振りながらシルフィは席を立つ。アーニャからその日の報告を受けて、今日やるべきことはすべて終えた。

 ぐーっと伸びをしながらシルフィは浴室へ向かい、明日からの任務に思いを馳せるのだった。


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