33.決着
戦場には風の音。
衝撃をやり過ごしたシルフィは立ち上がろうとして────失敗した。右腕はユンドの銃によって肩口から千切れ飛び、左腕は先の爆発で肘から先が失われていた。膝を立てることで体を起こしたシルフィは、黒煙が立ち込める爆心地へと目を向ける。やがて晴れた視界には粉砕された肉片と、辛うじて形を保つ吸血鬼の頭部が転がっていた。
断面から覗く頸椎が血の海に沈む中、ユンドの顔は嗤っていた。
吸血鬼の再生力に従って、巻き戻すように肉体が生成されていく。頸椎は瞬く間に筋肉に覆われ、首、肩、胸と身体が出来上がっていく。
「私の……勝ちだッ…………!」
ユンドは喜悦に浸った瞳でシルフィを見遣る。身体が治りきったが最後、貴様の命は無いぞ、と。
対するシルフィは満身創痍。両腕を失い、精神力の摩耗も激しい。「聖職者の血」を取り込んでいるものの、これ以上の負荷は命を危険に晒す。
再生力を持たない分、瀕死のシルフィが成す術もなく蹂躙されるだろうことは想像に難くない。しかし、シルフィは至って冷静に言葉を紡いだ。
「いいえ、ユンド・トレイク。貴方の勝ち目は潰えた」
「強がりを……。先の猛攻には肝を冷やしたが、この身体を以てすればどうということはない。ああ、これで私は『真なる強者』という悲願の────?」
ユンドの言葉が途切れる。
肩から再生した腕。本来ならば上腕、肘、前腕で構成される部位。しかし、ユンドの肘から先には脚が生えていた。
異常はそれだけに収まらない。腹部が風船のように膨張する。腕から脚、脚から腕が造られ、ユンドの手足は奇怪なオブジェのように絡まった。
「ぶっ────ゴハッ」
怒張した胴が破裂する。中から飛び出たのは複製されすぎた臓器。数十個もの心臓が零れ落ちた。そして、破裂した傷口を塞ぐように腹部から手足が生え始めた。
「ア、アア、アアアアアアアァァァァァ!!」
ユンドは狂乱に陥る。己の身体が己のものではなくなるような痛苦にのたうち回る。
その惨劇を見届けるシルフィは静かに言葉を零した。
「驚異的な身体能力や再生能力を持つ吸血鬼は魔法時代の幕開けに猛威を振るったという文献が残っている。人類の生存域を著しく狭めた魔竜に並んで危険視された存在。しかし、ある時を境に吸血鬼はその数を減らした────」
苦しみに藻掻くユンドにシルフィの声は届いていない。しかし、尚も少女は独り言つ。
「今から約二百五十年前、旧西アジアに神竜ディオスという魔竜が現れた。当時から人類はヨーロッパに、人間を餌とする吸血鬼は西アジアに分布していた。故に、縄張りを争うように神竜と吸血鬼の戦争が始まった」
ユンドの歪な再生は終わらない。腕から腕が伸び、脚から脚が造られる。樹状になった手足は自重に耐えきれず、ユンドの身体を地に押し付けた。
「神竜と吸血鬼の戦争は決着まで十年の時を要した。吸血鬼側は辛勝を収めたけど、種は絶滅寸前にまで追い込まれていた」
神竜ディオスは「魔竜」にカテゴライズされる魔物の超級個体である。いくら能力に優れた吸血鬼といえども、魔竜の前では無能も同然であったと文献が残っている。
十年にも及ぶ戦火の中で殊更に彼らを苦しめた物。それこそが、神竜から流れ出る血汐であった。
「神竜ディオスは遍くエネルギーを凝縮した生命体。吸血鬼がその血を浴びればどうなるのか────答えが私の目の前にある」
吸血鬼は魔力が込められた血を体内に取り込むことで能力を増強させる。実際、シルフィの血を取り込んだユンドは身体能力や再生能力を飛躍的に進化させていた。
それでは、血の吸収に長けた吸血鬼が生命力に溢れた神竜ディオスの血を取り込めば、その効果のほどは如何様になるか。
血中から膨大なエネルギーを引き出してしまい、一種の過剰摂取に陥ることとなる。
シルフィの魔法────爆発に際して、シルフィの血がユンドの傷口に付着。ユンドの肉体はシルフィの血液ごと「聖職者の血」を取り込んでしまった。
そして、直接体内に混ぜ込まれた血の力によって、吸血鬼は「際限なく身体を再生し続ける」能力を手に入れることになる。
彼の身を苛む奇怪な現象は、自身の能力の高さが招いた皮肉的な結末であった。
「人間たちを苦しめていた吸血鬼を絶滅寸前にまで追いやったディオスは、人々から神の使いと崇められ『聖職者』の異名が付けられた。『聖職者の血』は人にとって霊薬となり、鬼にとって毒となる。吸血鬼が血に溺れるとは、喜劇的な悲劇ね」
少女の口元はニヒルに歪められていた。
「かつて神竜ディオスの血を浴びた吸血鬼は身を苛む惨苦に耐えきれず、血を全て吐き出して灰になったと記されている」
不死たる者を討滅するには、死を望ませることが有効な某策である。横たわるユンドは呻き苦しむだけで、もはやそこに戦意は無い。
雌雄は決した。
「私たちは正義のために戦っているわけではない。だけど────」
シルフィの世界が、くらり、と世界が傾く。
「────貴方みたいな人間は、私の正義に反する」
シルフィは言葉を紡ぎ切ると、意識を落とし、倒れ伏す。
火の粉と月明りが照らす、とある北欧の森の中。
少女と吸血鬼の接戦は終結を迎えた。
◆
第一研究所玄関前。
約四百もの魔物を一掃したクロハは事後処理を行っていた。魔物の遺骸は疫病の蔓延を招く可能性がある。研究所の位置する場所は外界の非居住地域であるが、放置することはクロハの心象的にもよろしくない。
火葬。白骨となった魔物────元研究職員の前でしゃがんだクロハは瞑目し、手を合わせる。これが、せめてもの手向けになりますように、と。
「そういえば、ご遺体を火にかけると言うとカークは嫌な顔をしますね」
クロハは日本、カークは欧州の生まれであることから、文化の違いによって考え方も異なることが多々存在する。出会った当初は苦労したものだ、とクロハは仮面の奥で口元を緩めた。
腰を上げた黒髪の麗人は右手中指に嵌めた指輪を叩く。
「こちら【魔術師】、魔物化した者たちの掃討を完了しました」
「こちら【世界】、お疲れ様、作戦は完了したから帰還してくれ────と言いたいところなんだが、【星】から連絡が入ってないんだ。何かあったのか?」
「ええ、何者かと交戦していたようです。魔力場が傾いてしまって追跡は出来ていないのですが、近くには居る筈です」
「そうか……もしやすると、例の吸血鬼とやり合ってるのかもしれねえ」
「……っ! わかりました、すぐに探します」
「大丈夫か? 魔力場が安定していないと魔導士は厳しいだろ?」
「……吸血鬼相手に【星】を拾って離脱するくらいの余裕はあります」
「了解。そちらは【魔術師】に任せる。できればオレがそっちに行きたいところなんだが、転移魔法の冷却時間を待たなきゃならねえし、ちょっとした問題が起きてて手が離せないんだ……こりゃあ、作戦が終わったら猛反省会だな」
溜息を吐くカークの言葉に頷き、二言三言交わしてクロハは通信を切った。
「魔力場が傾いているので、頼りになるのは五感のみですか」
クロハは自分に言い聞かせるように呟く。
魔法場とは大気や地中といった場所に分布する魔力の存在量を示す疑似的な空間を指す。大規模な魔法を使うと場における魔力密度が高まり、安定して魔法が使えなくなる。その状態を「魔力場が傾く」と表現する。
クロハが耳を澄ませると、風の音に紛れて僅かな破砕音が届いた。
クロハが放った魔法の熱波によって燻る草木を掻き分けて歩くこと暫く。彼女はようやく開けた場所にたどり着いた。
地面には深い轍や血痕、近場の木の幹には弾痕まで散見された。クロハの胸の内に嫌なものが広がる。不安を押し殺して探し続けること数分。草陰に倒れる人の姿を発見した。
「────シルフィっ!」
クロハはコードネームで呼ぶことも忘れて駆け寄る。
シルフィの状態は一目で危篤と分かるもの。クロハは我も忘れて指輪に向かって叫ぶ。
「カーク! 聞こえていますかカーク! 今すぐミラーを派遣してください!」
『ど、どうした【魔術師】、転移魔法が使えないからすぐには行けねえって────』
「────ッ! 私が連れて帰ります!」
『お、おい────』
シルフィの傷口からは流血が続いている。クロハは焼灼止血を行って応急処置とした。
クロハがシルフィを抱きかかえて離脱した後、人気のなくなった戦場に小雨が降り始めた。
吸血鬼の影は既に戦場から消えていた。