30.決戦Ⅴ
ユンド・トレイク──旧姓ユンド・ファルロットは軍事系有力者の家の一人息子としてこの世に生を受けた。両親は共に国で有数の魔術師であり、冒険者としても名声を得ていた。
両親からは日々「強くあれ」と教育され、幼少の頃より戦闘訓練を施されていた。
「立て、ユンド。お前がファルロットの名を背負うには、あまりにも貧弱すぎる」
「お父様……あ、脚が凍ってしまって動けません」
「それはお前の弱さだ、ユンド。お前が弱いから私の攻撃を受けて立てなくなるのだ」
「ああ、なんて不甲斐ない子なのかしら。お母さんは悲しいわ。アナタは本当に私たちの子なの?」
「お父様、お母様……」
ユンドには戦いの才能が無かった。父から攻撃魔法を受けては、母に嘆かれる。訓練と称されて行われる拷問はユンド少年の肉体と精神に過大な傷を残していった。
彼が十五歳になる頃、両親は突然に他界した。外界の未知領域開拓のために出向した先で未曾有の能力値を誇る魔物──吸血鬼に襲われて無惨にも殉職を遂げたのである。
天涯孤独の身となったユンドは悲嘆に暮れるよりも先に狂喜乱舞した。自分を縛り付けていた生けるトラウマがいなくなったことにより、彼は晴れて自由の身となったのだ。
しかし、虐待紛いの教育はその人間性を大きく歪めてしまっていた。
暫くは平穏な日々を過ごしていたユンドであったが、十七歳の時、事件に巻き込まれる。ユートラントの裏路地を歩いていた際に暴漢に襲われたのだ。巷では有名な無法地帯であったが、ユンドは知らずに足を踏み入れてしまった。暴漢に囲まれ、所持金を奪われ、しこたま殴られた彼の脳裏には幼少期に受けた「教育」がフラッシュバックしていた。
『ユンド、お前は弱い』
『弱い人間に生きる価値などない』
『強くなりなさい、ユンド』
父母が言っていたように、弱い人間は搾取されるだけなんだ。
全身に大怪我を負いながら生還したユンドは強迫観念のように「強さ」に囚われるようになった。
彼は手始めに戦うための技を手に入れようとした。しかし、三日と経たずに挫折することになる。天才と謳われた父の指導のもとにあっても成長できなかった人間が、どれだけ修練を重ねようと意味を成さないのだと自覚した。
そこで、彼はとある結論に至る。戦うための技ではなく、力を手に入れればいいのだと。そして、その力は自身を虐げていた父母よりも強い存在──魔物のものを取り込めばいい。
これが、狂人「ユンド・トレイク」誕生の瞬間だった。彼はただ、強くなりたかった。
そのために────そのためだけに、数多の人生を狂わせる悪鬼と化したのだ。
◇
ユンドはシルフィの殴打によって研究棟を飛び出して、研究所外周の森にまで吹き飛ばされていた。
辺りの草木はクロハの魔法による熱波を受けて発火し、松明のように夜の帳を晴らしている。
ユンドの後を追ってきたシルフィは煤を掃うようにローブを軽く叩いた。
シルフィを前に、ユンドは仰向けのまま語り始めた。
「魔物の力を十全に引き出す力を手に入れてから、何人もこの手で殺めてきた。掃き溜めに住むゴミ共の首を捻じ切った時、初めて強くなれたような気がしたんだよ」
シルフィはトドメを刺すために近づくが、途中でその足を止めた。それは直感とも呼べるだろう、本能での判断だった。
「だがな、どれだけ強くなろうと私の前に現れるんだよ。夢枕に立つ父が『お前は弱い』と……毎日毎日毎日毎日ッ! 呪いのように語りかけてくる! この恐怖が分かるかシルフィ・エリアル!」
「…………」
「ああ、君のような強者には分からないだろう。常に他人を弱者と定められる君のような存在に理解できるはずがないとも。だからこそ、今宵、私の人生の一部に君の骸を刻むことにした。我が覇道の集大成に、陰惨な過去を清算する。真の強者を討ち滅ぼし、『私こそが強者である』と嗤うのだ」
徐に起き上がったユンドの肉体は完全に再生していた。欠損した腕や折れた歯も再生し、その見た目は以前にも増して禍々しいものへと姿を変えている。
丸太ほどの太さになった腕は筋肉が隆起し、額からは「鬼」を示す角が露わになる。壮年の男の姿など、既にどこにも無かった。
シルフィは仮面の奥で苦い顔をしながら数歩距離を取る。
「……当初の目的では貴方を生け捕りにして情報を吐かせる予定だった。けれど───そうね、貴方は此処で始末しておくべきかもしれない。その能力はあまりにも危険すぎる」
「ほう、たった一度の攻防で吸血鬼の真髄を見抜くか────ククッ、ようやくこの身体にも慣れてきた頃だ……二回戦を始めようじゃないか」
ユンドは自身の指を噛み切り、地面に血を滴らせる。
不可解な行動にシルフィは一層警戒を強めた。
「【血精】ヴラドカニパ」
ユンドの手の内に鮮血を体現した長剣が現れる。【血精】とは自らの血を消費して武器を精製する、吸血鬼が持つ種族特性の一つである。
吸血鬼が他の魔物と隔絶した強さを誇る理由は、このように柔軟な戦闘スタイルを有することにある。人間と同等の知能を持ち、複数の能力を組み合わせる吸血鬼は強くあるために運命づけられた種族ともいえる。
ユンドは刃を上段に構えると縮地の如くシルフィへと詰め寄る。
「貪り喰らえ、ヴラドカニパ!」
「加速、【光────防御、【鉄塊纏】!」
ユンドの振り下ろしは直線軌道を描かず、鞭のようにしなりを帯びて蛇行した。予想外の攻撃に、シルフィは回避行動をキャンセルし、両手を交差させて防御の姿勢を取る。
ヴラドカニパの剣先は意思を持ったように不規則な動きを続け────シルフィの背中に突き刺さる。
「いっ……!」
貫通には至らないものの、皮下数センチにまで刀身が及ぶ。痛みに呻くシルフィは背中に剣が刺さったまま、牽制の上段回し蹴りを放つ。
暴風を生み出す速度で振るわれるシルフィの蹴りは直撃しないが、至近距離のユンドを大きく吹き飛ばした。
肩で大きく息をするシルフィは僅かにふらつく。
(今の攻撃は何? 不可思議な軌道を描いたことはもとより、私の防御魔法を平気で貫通してきた。その上────)
「魔力の豊富な良い身体だな、シルフィ・エリアル」
「なるほど……吸血鬼の本領発揮ということね」
ユンドが握る血剣ヴラドカニパはシルフィの傷口から血を吸い取り、己の力に還元する呪具の役割を果たす。ユンドはその体躯を更に一回り大きく成長させた。
(生体を見透かす魔眼、急速回復に瞬間移動、今度は魔法貫通と吸血効果の武器生成────何でもアリのおもちゃ箱ね)
ユンドは再び血剣を構えると、その姿を夜闇に掻き消す。
その距離は十五メートルほど。先ほどまでのシルフィの体感だと、剣の変形を含めても攻撃の範囲外にある筈だった。
「捉えたッ!」
「なっ……」
シルフィの右手側の空間が裂けて、中からユンドが現れる。超反応により回避行動をとったシルフィは初撃を躱すものの、ユンドは攻め手を緩めることなく一太刀、二太刀と蛇腹の剣を浴びせにかかる。
対する少女は詠唱を紡いだ。
「二重加速、【歩音】・【光走】!」
シルフィが唱えたのは加速魔法の重ね掛け。瞬間的に瞬発力を上昇させ、敵の攻撃を躱しきる寸法だった。
「遅いぞ、シルフィ・エリアルっ!」
しかし、ユンドはシルフィの動きに付いて来る。身体能力が人間のそれを完全に逸脱したユンドは筋力をバネにしてシルフィに追いついた。
互いの視線が交錯するクロスレンジ。
ユンドは「したり」と口端を持ち上げる。彼の剣閃は確実にシルフィの体側を捉えていた。
しかし、それは拳闘術を主とするシルフィの間合いでもあり────星の少女は反撃に打って出た。
「攻撃強化、【勇猛の旋律】」
ユンドの剣を拳で弾いて懐へと潜り込む。不意のカウンターに体勢を大きく崩したユンドは回避の術を持たない。
がら空きの鳩尾へとシルフィの正拳突きが刺さる。
「カハッ────」
ユンドの喉から空気が漏れ、そのまま膝を折る。シルフィは追撃となる膝打ちを顎に叩き込み、打ち上がった頭へと回し蹴りを入れる。
────頭蓋骨の砕ける感触がシルフィの足に伝わった。
連撃によって血の跡を描きながら飛んでいったユンドは地に伏し、ピクリとも動かない。
「はあっ、はあ────やって、くれた、ね────」
シルフィは左手に走る激痛に顔を顰める。
彼女の小指と薬指は根元から無くなっていた。
(吸血鬼の剣を素手で弾いたのがマズかった。一瞬しか触れていないのに、根こそぎ持って行かれるなんて)
ユンドへの攻撃の始動、拳打ちでヴラドカニパに触れたシルフィの指は落ちていた。防御魔法を貫通する刃に勢いよく触れれば、深手を負ってしまうことも道理である。
シルフィはローブを千切り、片手で止血を施す。
血を失いすぎたことにより眩んだ視界に、重傷を与えた筈のユンドが立ち上がりかけている姿が飛び込んでくる。
「これだけ組織を破壊しても回復能力が上回るの……」
ユンドの驚異的な再生能力は純粋な吸血鬼を大きく上回る。それは、人間と吸血鬼のハイブリットが成した「種としての進化」であった。もしも、その脅威度にランクが付けられるのならば、世界最強の種族・魔竜に及ぶ「SSS」の称号が与えられるだろう。
それこそ、ユンドの肉体を塵芥のレベルにまで破壊しつくせば、回復は機能しない。しかし、それも既に叶わなくなってしまっている。ユンドは時を経るにつれ、そして、シルフィの血を取り込むにつれ、その再生能力を向上させていた。
まさに貪り喰らう不死。
いくらシルフィが技術的に優位に立っていたとしても、相手が生物の枠組みを超えている化け物ならば話は別だ。
ユンドはシルフィの眼前で、絶望を与えるように再起した。その身体は当然のように無傷────寧ろ、シルフィの血を身体に取り込んだことで身体機能を向上させている。
「【血精】ヴルゴーシュ」
ユンドが生成したるは紅血のナックル。両拳に嵌められたそれは、シルフィと同じく肉弾戦を得意とする武具であった。
拳を打ち合わせたユンドは挑発的に嗤う。
「血を失いすぎているようだが、果たして、いつまでもつか」
シルフィには軽口を返す余裕などない。不死身の敵に対して、如何に有効打を与えるか。
その戦術を組み立てるためにシルフィは一瞬────たった一瞬だけ隙を見せてしまった。
知覚した時には、ユンドの拳が腹部に刺さっていた。
「ぎっ────」
ユンドは転移魔法の応用で彼我の距離をゼロに縮める能力────縮地を持つ。その有効距離は短いものの、意識の埒外からの急襲にはこれ以上に無い効果を発揮する。隙を突かれたシルフィにとっては、ある意味不運ともいえる失態。
そして、シルフィが受けた攻撃は、ただの殴打ではない。
遍く魔力を貫通する【血精】による破砕は少女の臓物を直に叩いた。シルフィの体躯は毬球のように吹き飛んでいく。
ようやく勢いが止まった頃、倒れ込むシルフィは血反吐を吐いた。まともに食らったユンドの攻撃は、たった一撃でシルフィを窮地に追い込んでいた。
(失敗した────吸血鬼の攻撃は一度でも食らえば絶命に近づく。それが理解できていたから回避に専念していたのに────)
ふらつきながらも立ち上がったシルフィは口の中に絡みつく鉄の味を吐き捨てた。手痛い一撃は受けたが、死んではいない。殴られたことを意識した瞬間に後方へと力を受け流したため、辛うじて命を繋ぎ留められていた。
一方のユンドは大きく口を裂いて哄笑をあげる。
「どうしたシルフィ・エリアル。人類最強はそんなものか?」
強さを求め、力に溺れた彼は愉快で仕方がないといった様子だ。攻撃に際してシルフィの血を啜ったためか、その姿を更に凶悪なものへと変貌させている。
もはや、彼の成長を止められる者はこの世に存在しないだろう。
生かす殺すの段階ではなくなってしまった戦闘だが、しかしシルフィは────
(こいつだけは絶対に赦すわけにはいかない)
それは、純然たる怒りであった。
ユンドは研究員を始め、数十、数百ではきかない人々の命を弄んだ。
彼が造った麻薬は多くの人、家庭、環境を壊し、生き地獄を作り上げた。
そして何よりも、シルフィの親友であるサラの人生に暗い翳を落した。
シルフィは懐から一本の注射器を取り出す。中は暗く黒い液体で満たされていた。
シルフィはそれを掲げ────自身の内腿に位置する静脈へと針を突き立てた。
「私も命を懸けて、貴方を地獄に突き落とす」




