25.サラとのデート
研究所の襲撃は幹部全員の合意を得た。決行は会議から六日目の午夜。それまでに各員は計画をすべて頭に叩き込み、抜かりないように準備を整える。
会議から数えて五日目の午前。シルフィは休日であることを利用して惰眠を貪っていた。
シルフィの部屋を訪れたアーニャはベッドの中で夢を見ている主を優しく揺さぶる。
「シルフィ様、もうすぐお昼になりますよ。起きてくーださい。サラ様との待ち合わせに遅れますよー」
「うぅ……」
寝ぼけ眼を擦るシルフィは掛け布団を肩まで被りなおす。そんなシルフィの様子を見たアーニャはクスリと小さな笑みをこぼした。
「シルフィ様の寝起きは小さな女の子みたいですねー。起きてくださいシルフィちゃま~」
アーニャはシルフィの髪を手櫛で梳くように撫でた。
二人の呼吸と髪に触れる音だけが支配する部屋。時の流れが緩やかな空間の中で、ようやくシルフィは重たい瞼を上げた。
「……おはよう、アーニャ」
「おはようございますシルフィ様。お昼からのご予定に向けて準備を進めてくださいね」
「うん……」
「軽めのブランチをご用意いたします」
シルフィは上体を起こして相槌を打つ。アーニャが部屋から出ていく姿を見送ったシルフィは瞼を下ろす。「もう少しだけ……」と言い残して再び布団にくるまった。
◆
シルフィは、サラの誕生月が冬であることを頭の片隅に記憶していた。サラの退院後、放課後の教室でその話を口にするとサラは驚いた顔を見せた。
「よく覚えていたわね」
「そろそろだったような気がしたんだけど、どうかな」
「そうね……実を言うと二日後が誕生日なの。催促しているようで言い出しづらかったのだけど……」
「それなら、その日は一緒に誕生日を祝おう。快復祝いの意味も込めてさ」
こうして約束を取り付けたシルフィとサラはハイフィルを訪れていた。
時は十二月。細雪が宙を舞う繁華街にはカップルや家族連れの姿が散見される。
ダッフルコートに身を包んだシルフィは白い息を吐いた。
「サラはお昼ご飯食べてきた?」
「どこかで食べるものだと思ってお腹は空かせて来ているわ」
「了解。食べられそうな場所を探そうか」
休日のハイフィルは例の如く賑やかで、ともすれば以前アーニャと訪れた時よりも人で溢れかえっている。
どこに腰を落ち着けようかとシルフィが顎に手を当てて考えていると、サラから提案がなされる。
「近くに良い店を知っているからそこにしない?」
「お任せする」
サラはシルフィの手を引いてハイフィルのメインストリートを歩いて行く。やがて辿り着いたのは高級レストランの個室であった。
黒檀が囲む内装と、魔力光の灯す暖色が二人を包む。
メニュー表を手に取ったシルフィは、桁の一つ多い料金に目を丸くした。
「ここはお祖母様が経営するお店なの」
「ストレイラさんが?」
「ええ、本人は生来の料理好きが祟ったと言っていたけれど、味は本物よ。材料や調理法など細部までこだわった料理を提供しているわ。さっきシェフに話を通したから、好きなだけ食べて行ってちょうだい」
「ご、ごちそうさま……」
サラの手厚い計らいにシルフィは恐縮する。流石はお嬢様だと舌を巻きながら卵料理を注文した。
料理が届くまでの待ち時間で二人はこれからの予定を話し合う。
「この後の予定は何か考えているのかしら?」
「うん。せっかくハイフィルに来たから遊戯館に行こうかなって」
「遊戯館ですって……!?」
サラは前のめりになってシルフィの言葉に食いついた。
シルフィはその勢いに驚き────はせず、予想通りの反応だと頷く。
遊戯館とは若者の遊びの中心地であるユートラントで有数の娯楽施設を指す。
そして、シルフィはサラの友人として彼女のことを理解していた。
サラは友達がいなかったらしいし、遊びに行ったことなさそう……。
この失礼な考え方は的を射てしまっていた。自分と同年代の少年少女が集団で遊ぶ遊戯館に一人で入って行くのはそれなりに勇気が必要な行動である。かく言うシルフィも、アーニャという家族もとい同伴者ができてから初めて足を運ぶことが出来た場所であった。
シルフィはドヤ顔をする。
「サラは遊戯館に行ったことある?」
「……ない」
「ふーん……じゃあ私が案内してあげるよ」
「な、なんか上から目線ね!」
サラは頬を膨らませながらも目尻を下げている辺り喜悦が隠せていない。
「これが友達と遊ぶってことなのね……っ」と小さく呟いたサラの声はシルフィの耳に届いていた。
「早く食べて遊びに行きましょう!」
「時間はたくさんあるんだし、ゆっくりランチを楽しんでからね」
「わ、わかってるけど!」
年甲斐もなくそわそわとするサラの姿を見てシルフィの心も和む。
その後、届いた絶品料理に舌鼓を打ったシルフィは「今度はアーニャも連れてきてあげよう」と小さく呟いてレストランをあとにした。
◆
「くっ……なかなかやるわね」
「どうも……っ!」
遊戯館の三階。その一角でシルフィとサラは競い合っていた。
次々と現れる小さな的に矢が刺さっていく。リボルビング・ダーツと呼ばれる投矢遊びの一種で、魔法を用いないレクリエーションとしてエスリアでは広く親しまれている。
一般的なリボルビング・ダーツでは制限時間である一分以内にニ十の的を射抜けば優秀とされる。
しかし、サラとシルフィの戦いは一つ別の次元にあった。
シルフィの投擲は秒間三本の矢を的に刺す。魔法によって無限に供給される矢は彼女の手元で恐ろしい回転率を示し、撃ち落とされていく的は矢でめった刺しにされていた。
制限時間を迎えた時、シルフィのスコアは平均の約十倍の数値。これは、先手でプレイしたサラよりも高い得点であった。
「よし、勝った……っ」
「純粋に悔しいわ! もう一度勝負よ!」
「何度でも受けて立つよ。私が負けることは無いと思うけど」
「言ったわね! 今に見てなさい!」
シルフィの挑発に上手く乗せられてしまったサラであったが、流れるような手さばきで見事に一回目のシルフィの得点を超えて見せた。
「むっ……」
「ふふっ、サラにかかれば余裕よ。こちらの勝ちは固いかしら?」
「まさか。私はまだ実力の六割も出していない」
後攻のシルフィは両手で合わせて六本の矢を構え、一投のもとに射出────そのどれもが的に命中した。先程よりも更に増した猛勢は、サラだけでなく一般客の目も惹き付ける。
結果、シルフィはサラに大差をつけての圧勝を成し遂げた。
大敗を喫したサラはぶるりと身を震わせる。
「さすがサラの見初めた────ふ、ふんっ、今回はサラの負けにしておいてあげる」
「いい勝負だったね」
サラとシルフィは握手を交わす。友人同士のレクリエーションである筈なのに、オーディエンスからは拍手喝采であった。
◇
場所は変わって遊戯館の四階。座卓に置かれたボードゲームを囲んだサラとシルフィは思い詰めた表情を浮かべている。
「…………」
「…………」
彼女たちの間に言葉はない。その視線の先は盤面で陣地を取り合う軍隊に釘付けであった。
『ユグドリア』。七種三十個の駒を動かし、資材と陣地を奪い合う戦略型ボードゲームである。
魔法によって動く騎兵たちに的確な指示を与えることで自軍を有利にし、相手の王を討つか最終ターンを迎えた時に豊かな国力を持っていた方が勝利という明快なルールであった。
簡潔、故に難しい。シルフィは持ち時間を精いっぱいに使って長考していた。展開は終盤、一進一退の攻防が続いている。
「遊撃兵をこのマスに移動。相手の重装兵と相討ち」
シルフィが駒に触れると騎兵の人形が自動で動き出す。壮大な演出の末、サラ軍の歩兵と刺し違えた。
手番がサラに移る。赤髪の少女もまた、口元に手を当てて熟考していた。
三十秒、四十秒。静寂が支配する個室の中で「あ」というサラの漏らした声は厭に響いた。
「このマスに斥候を移動。陣地を確保してターン終了」
「え……?」
サラの取った手にシルフィは疑問の声を漏らす。それは一見して悪手であった。シルフィとしては無視しても構わないような、盤面に影響の少ない動き。だからこそシルフィは攻勢に打って出た。一手分の余裕を得たシルフィは守りを割いて軍を前進させ、陣地を拡大させる。サラもどうにか凌ぐが、シルフィの攻め手が緩むことは無い。あと一手で王の首を取れる────というところで、シルフィの王は討たれていた。
「あれ……」
「ふふっ、数手前の斥候が効いたわね」
シルフィが攻めに出ている間、一人でせっせと行軍を続けていた斥候は暗殺者へと役割の進化を遂げ、一足飛びにシルフィ王の首を取ったのだ。
頭脳戦に敗北したシルフィはガックリと肩を落とす。
「こんな負け方って……」
「サラ軍の勝利ね!」
「でも、これが現実だったらサラの国は領土の殆どを失っている。国益に繋がらない戦争は民草の疲弊を招いて第三の国に侵攻されるだけだよ?」
「ヘリクツじゃない! 勝ちは勝ちでしょ!?」
「……次は負けないから。このボードゲームを買って、自宅でアーニャ相手に研鑽を積んでおく」
「……それならサラも買うわ。お祖母様やお手伝いさんたちと戦って経験値を増やしておくから」
シルフィが修練を積むというのなら、サラもそれに張り合う。
競い合う関係の少女たちは、互いに互いを認め合う関係になっていた。
ハイフィルからの帰路。シルフィとサラはデューイ家が用意したリムジンに揺られていた。座席と運転席の間には仕切りがあり、彼女たちの会話を聞く者はいない。
結局、少女たちは競技系の娯楽にばかり興じていた。思い出作りのための遊びには目もくれず、ひたすらに競い合う。二人が遊戯館を出た後も燻る火花が散っていた。
「今日は最高に楽しかったわ。戦績はイーブンくらいかしら」
「そうだね。私が一つ勝ち越してるけど」
「でも、得点率はサラの方が上よ」
「……むぅ」
「あら怖い。昔の張り合いのなかった頃のシルフィとは大違いね」
サラの冗談めかした言葉にシルフィはバツが悪そうに頬を掻いた。
「……前に、私がサラのライバルにはなり得ないって言ったとき、サラは言ってくれたじゃない。シルフィほど素敵な人はいない、って。だから、サラがそう思ってくれているのなら、私はサラの期待に応えたい」
「……そんな気恥しいこと言ったかしら」
「もう……」
サラが魔力切れで伏してから一回目の見舞いの時の出来事である。
『……私はサラと張り合えるほど立派な人間じゃないよ』
『そんな悲しいことを言わないで。アナタほど素敵な人を、サラは見たことがないから』
このやりとりはシルフィの心持ちを変えることになった。
「私って魔法が使えないし、サラほど優秀な成績を収めているわけでもないでしょ。どうして私に入れ込むのか訊いてもいい?」
シルフィはサラに問いを投げかける。先の言葉は常々シルフィが抱いていた疑問であった。
対するサラは困ったように頬を掻いた。
「そうね……こんなことを言って信じてもらえるか分からないけれど────一目ぼれだった、と表現するのが正しいのかもしれないわ」
サラは事も無げに「一目ぼれ」という言葉を持ち出した。
サラはその真意を述べる。
「初めて見た時──新入生挨拶の時に壇上からアナタを見た時、正直に言うと恐怖を覚えたわ。サラの身に宿る眼がシルフィのことを危険視したの。とんでもない量の魔力を有した人間がいるぞ、と」
サラは右目の縁をゆっくりとなぞった。
「それでも、危険を放置するわけにもいかないと思ってシルフィに近づいた。そして、近くに立って初めて気が付いたの。ああ、この子もサラと同じなんだって」
同じ。
シルフィは黙ってサラの言葉の続きを促す。
「凄く哀しい目をしてた。誰かに裏切られて、傷つけられたような顔。それを理解した瞬間、サラがこの子の傍にいなければと思うようになったわ。ライバルなんて適当な立場を付けて、特訓を理由にシルフィと一緒にいられる時間を増やそうとしたの」
「……そっか」
シルフィはサラに体を寄せた。彼我の距離が縮まったことで、サラの熱がシルフィに伝わる。
暫く居心地の良い静寂が二人を包んでいた。サラは、感傷に浸るように口を開いた。
「今日はシルフィと過ごせて本当に楽しかった」
サラは笑顔を見せる。しかし、その笑みに僅か影が差した。
「少し、昔話をさせて。サラは両親から誕生日を祝われたことがなくてね。小さいときは、周りの子どもが羨ましかった。サラにはどうして両親がいないのだろう、って己の境遇に枕を濡らした夜は数えきれなかったわ」
サラの浮かべた笑みは酷く儚い。
シルフィは細く頼りないサラの手を握る。
「きっと、彼らはサラのことを娘だなんて思っていなかったのね……そのことを理解してから、サラは自分のことが嫌いになった。どうして愛されない人間に生まれてしまったのだろう。どうしてサラは『トレイク』として生まれてしまったのだろう────そう考える自分の浅ましさも嫌だった」
サラは小さく震えて、シルフィの肩口に顔を埋めた。
「デューイの家の人はサラに優しくしてくれた。でも、本当にサラが欲しかったものは両親からの愛情だったのかもしれない。だってサラは、サラ・トレイクなのだもの」
「……っ」
シルフィは、その言葉に顔を歪める。サラの両親がどのような人物で、サラのことをどう思っているのか。
シルフィは資料を通じて知っていた。
サラの想いが叶うことのない願いであることを知っていた。
「大丈夫。私ならサラに愛情を分けてあげられる」
「うん……うん、ありがとう」
それは気休めのような言葉だが、シルフィの本心でもあった。
シルフィとて、両親から見捨てられた身である。
彼女たちの境遇は悲痛な運命の先で絡まっていた。
シルフィは庇護するようにサラの痩躯を抱きしめる。
腕の内の慟哭が消えるまで。
◆
「ごめんなさい、変な雰囲気にしちゃって」
「ううん、サラのことをちょっとだけ知ることが出来て良かった。もっと私の胸の中で泣いていいんだよ?」
「な、泣いてなんかないし!」
何はともあれ、シルフィとサラはボーデン地区まで帰ってきていた。シルフィの家の前でリムジンから降りた二人は別れの挨拶を交わす。
「夜は家族の人と誕生日を祝うんだっけ」
「ええ、お祖母様が腕によりをかけてケーキを作ってくれているから、あまり帰りが遅くなりすぎないようにしないといけないわ」
シルフィとサラは最後に一度だけ手を取り合った。
「今日は本当にありがとう、シルフィ」
「うん、こちらこそ楽しい一日だった。お誕生日おめでとう、サラ」
相好を崩したサラはシルフィの手を離し、車の中へ戻って行った。
車が出発する寸前、ウィンドウ越しにシルフィは言葉を残す。
「サラ、帰ったらサプライズがあるかも」
◇
シルフィを見送った後の車内。サラはほんの少しだけ感傷に浸っていた。
「期待していた……なんて言ったら笑われるかしら」
サラは車窓から流れ行く景色をぼんやりと見つめる。
シルフィから貰った思い出はかけがえのないものであった。幼少の頃より「友達」というものがいなかったサラには「休日に遊ぶ」というイベント自体が稀有で、今日の出来事は彼女にとって一生の思い出になるだろう。
しかし、思い出は思い出であり、記憶は経年によってセピア色に劣化していく。
だからこそ、サラは形に残るプレゼントが欲しかった……というのはワガママだろうか。
「ただいま帰りました」
気落ちした、というほどではないが心のうちに靄を抱えたまま自宅の玄関を潜ったサラは、出迎えた祖母が手に箱を持っていることに首を傾げる。
「おかえりなさい、サラちゃん」
「お祖母様、それは?」
「うふふっ、サラちゃん宛の郵送物よ。差出人はシルフィちゃん」
「……!」
サラは目を見開くと、ストレイラから箱を受け取る。自分の部屋で開けてらっしゃい、と促されるままサラは急ぎ足に自室に向かった。
トクトクと跳ねる心臓を落ち着かせながら丁寧に包装を解いていく。中から出てきたのは一枚のメッセージカードと、一対の空色のリボン。
『親愛なる友人 サラへ
お誕生日おめでとう。直接手渡すのも恥ずかしいし、サプライズということで。いつもお世話になっているから、プレゼントのリボンはそのお礼。大切にしてくれると嬉しい。
サラのライバル兼友人として相応しくなれるように頑張るから、どうか近くで応援していて。
これからもよろしく、親友。
シルフィ・エリアルより』
サラはメッセージカードを胸の内に抱いてドレッサーへと向かう。二つ結びにしていた髪を解いて、空色のリボンで再び結い上げた。
燃えるような赤髪と対比するように映えるシルフィからの贈り物。
鏡に映る自身の姿を見て涙目になるサラ。
「シルフィ……」
晩餐の準備が整うまで、彼女は何度も何度も繰り返し親友からのメッセージを読んでいた。
◆
シルフィが帰宅すると、従者のアーニャが出迎えた。
「おかえりなさいませ、シルフィ様。夕飯の支度は出来ておりますよ」
「ありがとうアーニャ、いただくね」
食卓に着くと、シルフィには馴染のない料理が置いてあった。丼鉢の中にはコメが敷き詰められ、その上に卵でとじられた熊豚の肉が乗せてある。
甘い香りがふんわりとシルフィの鼻腔を擽った。
「これは?」
「カツドンという料理です。クロハさんにレシピを教わったんですけど、縁起のいい食べ物だそうですよ」
「へーぇ……いただきます」
口に含んだカツは甘く、サクサクとした口当たりの良い食感がシルフィの口内に広がる。美味しいと感想を述べるシルフィを前に、アーニャは胸の前で祈るように手を組んだ。
「シルフィ様……アーニャにはこれくらいのことしかできませんが、応援しています。頑張ってください」
「任せて」
従者の少女は主を想い、主の少女は安心させるように従者の頭を撫でた。
皮肉なことに、サラの誕生日の翌日の午夜、彼女の両親が勤める研究所はシルフィら【星の大鴉】によって殲滅が開始される。
この夜は作戦決行前夜であった。
十全に英気を養ったシルフィは、ユートラントに蔓延る巨悪を討つための決戦の地へと向かうことになる。