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02.シルフィ・エリアルの日常Ⅰ

「シルフィさまー! 朝ですよー! しつれいしまーす!」

「んぅ…………」


 朝日が差し込む素朴な部屋に目覚ましの声が響き渡る。黒いワンピースの上から白いエプロンを纏った少女はノックすらせずに主人の部屋へと入り込んだ。

 部屋の主である少女────シルフィはベッドの上で呻き声をあげた。


「朝ですよ、シルフィ様! あさ! あさ! あさ! あさ────っ!」

「うるっさぃ。わかってる…………」

「分かってるなら起きてください。学校に間に合わなくなりますよ?」

「今日はサボる……」

「もー。お寝坊さんにはイタズラしてもいいですよね?」


 従者の少女はシルフィの耳元に顔を近づけ、色気のあるウィスパーボイスで囁きかける。

 シルフィは理性よりも先に本能で身の危険を感じ、バネ仕掛けの様に上体を跳ね起こした。


「おはようございます、シルフィ様」

「……おはよう、アーニャ」


 身を起こした少女の肩口に、生糸の如く繊細な翡翠色の髪が広がる。次いで、閉じられていた瞼が持ち上がり美しい碧眼が姿を見せた。


「それでは、朝食の準備をして参りますね~」


 主人の目覚めを確認した従者────アーニャは鼻歌を奏でながら部屋を出ていく。


「……むり、ねむい」


 アーニャの姿が見えなくなったことで再びボスンと枕に顔を沈めるシルフィ。

 その後、シルフィの二度寝に痺れを切らしたアーニャがフライパンとスプーンを打ち合わせる金属音でシルフィを叩き起こす。

 これが、シルフィ・エリアルの朝の一幕であった。


 ◇


 シルフィとアーニャが住まう家宅は豪勢なものではなく、質素倹約の様相を呈していた。お金が無いわけではない。住人がインテリアに無関心なことが原因である。

 リビングに置かれているのは木製テーブルと椅子が二脚。片隅には布がかけられたテレビと、それを置くための台。壁にかかった時計は装飾の少ない安物。

 唯一彩りがあると言えるのは本棚だろう。中にはアーニャが熟読した料理本がズラリと並んでいた。


熊豚ベアホッグのベーコンとスクランブルエッグです。パンに乗せて食べてください」

「ありがとう。今日の新聞はある?」

「こちらに」


 制服に身を包んだシルフィは朝食の席に着く。香り立つ従者の手料理を口に運びながら朝刊の一面を眺めた。


『空から落ちてきた? Aランク冒険者ノット・ファースデン氏 死亡』

『逮捕者続出 暴かれるサウスボーデンの闇』

『聖騎士セト・トイラーク またもお手柄』


 シルフィはコーヒーを一口呷り、聖騎士についての記事に目を通す。


『トイラーク氏は九日、ユートラント市を中心に活動していた麻薬密売組織を検挙した──』

『関連組織について調査は続いており──』

『一連の活躍を受けて騎士団はトイラーク氏に一等聖騎士の授与を表明している────』


「……大変そう」

「何か面白い記事でもありました?」

「ううん、世間は物騒だと思ってね。アーニャも気を付けて」

「シルフィ様がアーニャの心配!? 今日は槍でも降るんですかね」

「その前に私の雷が落ちそうだけど」


 ごちそうさま、と食事を終えたシルフィは時計で時刻を確認し、気怠げに通学鞄を背負った。

 玄関の鉄扉に手をかけたところでシルフィはアーニャを振り返る。


「ああ、今日は定例会だから帰りが遅くなるかも。お腹が空いたら先に食事を済ませておいて」

「承知しました。行ってらっしゃいませ、シルフィ様」

「行ってきます」


 シルフィが扉を開けると、鉛色の空が彼女を迎えた。

 気分まで重たくなりそう、とぼやきながらシルフィは傘を手に取って学校へ向かった。


 ◆


 法治国家であるエスリアでは「子どもに教育を受けさせる義務」が存在する。子どもを持つ保護者は特殊な事情が無い限り子どもを学校に通わせなければならない。エスリアの教育制度では中等部までの学費(制服、教材、給食等を含む)が無償であるため、金銭的に問題を抱えた家庭でも子どもを学校に通わせることは可能になっている。

 さて、高等部の一年生であるシルフィが通う先は国立ノグマ学園。生徒数六千人を誇り、エスリア国ユートラント市では最も規模が大きい教育機関の一つである。五歳から入学を受け付けており、主に一般教養と魔法学の習得を教育方針としている。

 高等部は中等部までの校舎とは別の地区に学舎を構えているため、学園内で見かけるのは十五歳から十八歳までの生徒が主になる

 高等部に通うようになってから二か月経った今日この頃。シルフィが学校の敷地に足を踏み入れると視線の針が彼女を突き刺した。


「おい、あれって」

「始めて見たけど、あの子がそうなの?」

「あれが例の……」


 周囲の生徒はシルフィの姿を見て小声で噂を交わし合う。その内容には嫌悪も好意もなく、ただ純粋に興味だけが含まれていた。


(アレのせいで……)


 今日は出くわしませんようにと祈りながらシルフィは俯きがちに歩く。いつもなら何事もなく教室に辿り着くところだったが、今日の彼女は運が悪かった。


「待っていたわよ、シルフィ・エリアル!」

「出た……」


 教室の前で仁王立ちしていたのはサラ・トレイクという少女。紅色の二つ結びを肩口に下ろし、鋭い目つきでシルフィを見つめている。

 対するシルフィは「朝から面倒ごとに邂逅してしまった」と口をへの字に曲げていた。

 このサラ・トレイクという少女、人目を引く紅髪に端正な顔立ち、学園内でも屈指の成績を誇る優等生なのだが、何かにつけてシルフィと関わりを持とうとするのである。

「目立ちたくない」を信条としているシルフィにとっては迷惑な話であった。


「遅刻寸前の登校とは、随分な身分じゃない」

「……夜更かしして寝坊したからね」

「ふんっ、シルフィらしい不健康な生活習慣ね。早寝早起きを心掛けなさい!」


 サラは腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。心配しているのか貶しているのか分からないな、とシルフィは首を傾げた。

 尚も自信ありげな少女サラによる絡みは続く。


「喜びなさい、シルフィ。サラは今日の放課後ヒマなの」

「よかったね」

「何を他人事のように受け流そうとしているのよ。サラが暇だということは、つまり、直々にアナタを特訓してあげる時間があるということよ!」


 特訓とは、シルフィの魔法の特訓のことを指す。十六歳になったシルフィは幼少期と変わらず【火球】といった初歩的な魔法さえ使うことが出来ずにいた。そこで、魔法の扱いに長けているサラから目をかけられたのだが────。


「頼んでいないし……そもそも、今日の放課後は用事があるから」

「なんっ……そ、そう。それなら仕方ないわ。特訓は明日に持ち越しね!」

「明日は用事ができる予定があるから……」

「用事が出来る予定って何!? 初めて聞いたけど、とにかく明日は空けておきなさい。いいわね」


 矢継ぎ早に台詞を吐いたサラは急ぎ足で教室に戻って行った。

 ぼんやりとその背中を見送るシルフィの耳に、再び話し声が届く。


「あれ、シルフィさんイジメられているの?」

「さあ、学年主席の考えることは分かんないからなぁ」


 ハッと我に返ったシルフィは視線を振り切るように自分に割り当てられた教室に入っていく。今日も朝からサラのせいで意味もなく目立ってしまったと深い溜息を吐くのだった。


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