22.外界遠足Ⅳ
「なにーっ!? 異空間に放り込まれて空から落ちただーっ!? おとぎ話みてえだなぁ!」
シルフィとリリアが事情を説明すると、ガタイの良い男──グラハム・グライアルは咆哮のような大声を上げた。
グラハムの隣にいた青年──マルク・リッツェは煩わしそうに耳を抑える。
「グライアルさん、声がでかいです。養生している方もいらっしゃいますし、声を聞きつけて魔物が来たらどうするんですか」
「おう、それはすまねえことをしたな! ガッハハハッ!」
「ボクの話を聞いてました?」
注意しても声の大きいグラハムに対し、マルクは苦い顔をする。
邂逅を果たしたシルフィたちは座って焚火を囲み、情報の共有を行っていた。サラは未だに気を失ったまま、グラハムたち冒険者が所持していた簡易寝袋の中で安静にしている。
「改めてお尋ねしますけど、グライアルさんとリッツェさんは冒険者なんですよね」
「おうよ、オレたちはギルドからの依頼でこの辺を散策していてな。そしたら近くでデケエ音がしたもんだから、魔物かと思ってこっちまで来たんだ」
シルフィの問いに対してグラハムは鷹揚に頷いた。彼らは首に提げていた冒険者証を提示してみせる。その階級はAランク────国でも有数の冒険者であることを示していた。
「しかし、転移によって空に飛ばされたという話が事実なのであれば、色々と厄介なことになりそうですが」
「厄介、というのは?」
顎に手を当てて唸るマルクに対し、シルフィは聞き返す。
「実は、数年前から『空から人が降ってくる』という都市伝説がありまして。以前は信憑性のない話だったのですが、最近になって噂で済ませられなくなりました」
マルクは一度間を置くと、潜めるような声を出した。
「高位冒険者のノット・ファースデンという男がいたんです。彼は非常に優秀な魔術師でしたが、今から一か月ほど前にユートラントの市街地で変死体として発見されました。当時の現場に居合わせた目撃者は口を揃えて『空からファースデンが降ってきた』と言うんです」
話を聞いてシルフィは口を噤む。いつのものかは忘れたが、新聞でそのような記事を読んでいた。
リリアに目を向けると、彼女も黙り込んで聞いていた。
「結局、ファースデンの死は未解明のまま事件として扱われています。しかし、今しがたエリアルさんにしていただいた話を基にすると彼の死は恐らくそういうことなのでしょう。安全とされる第一区画に潜んでいた危険な結界。何を目的としているのかは不明ですが、彼も巻き込まれてしまった」
「……ぞっとしない話ですね」
マルクの推論にシルフィは腕をさすりながら相槌を打つ。一歩間違えれば自分たち──厳密にはシルフィは自助が可能だが──も死に至っていたのだと思うと、体の芯が冷えた気がした。
シルフィは直ぐ隣で寝顔を覗かせるサラの頬を撫で、次いでリリアに目配せする。リリアも顔を青白くしていた。
「そのような状況にありながら、お三方とも目立った外傷がなくて良かったです。ちなみにですが、どうやって助かったのかお聞きしても?」
「……この子が頑張ってくれたんです」
シルフィはサラの前髪をそっと手櫛で梳く。問いに対する曖昧な答えだったが、それ以上の追及は無かった。
理解力不足のせいで話に入ることが出来なかったグラハムは一区切りついたことを見計らってその巨躯を立ち上がらせる。
「なんだ、よく分からんが、いつまでも話し込んでるわけにはいかねえ。そこの紅の嬢ちゃんも医者にかかったほうがいいだろう?」
紅の嬢ちゃんことサラは一向に起きる気配がなく、外界で回復を待つことは得策とは言えない。シルフィはグラハムの言葉に首肯し、立ち上がる。
「まだお昼を過ぎたくらいだと思うんですが、ここからユートラントに帰ろうと思ったらどれくらいの時間がかかりますか?」
「ここは外界第三区だが、深度は浅え。魔物と戦闘にならなければ三時間も歩けば帰れるだろう」
「ボクたちも帰還の途中だったのでユートラントまで同行しますよ」
「ありがとうございます」
「よしっ、決まりだな! そんで、紅の嬢ちゃんはどうする? 俺が担いで運ぶか?」
「いえ、サラは私が責任を持って負ぶって帰ります」
シルフィはグラハムに有無を言わせず、サラを寝袋ごと自身の体に括りつけた。動作を確認するように二、三度上体を捻る。
「こりゃあ驚いた、翡翠の嬢ちゃんは見かけによらず力持ちなんだな!」
「まあ、それなりに鍛えていますから」
マルクは出発の準備が整ったタイミングで土魔法を用いて焚火を消した。すると────
「ふーむ、あの呪文の訛り方はやっぱり……」
マルクが魔法を唱える姿を見ていたリリアが小さく呟く。冒険者たちと合流してから口数が少なくなっていた彼女にシルフィは声をかけた。
「どうしたの、リリア?」
「ん? なんでもないよ~? さ、帰ろっか、エリアルさん」
リリアは屈託のない笑みを見せると、先導するグラハムの後ろについていく。シルフィはその態度に首を傾げるが、些事であると気にかけることなくユートラントへ向けて行軍を始めた。
幸運なことに道中は一切の戦闘が無く、街へ到着したのは夕刻。日照時間が短い冬の季節ではあるものの、視界は確保できる程度の薄暗さは保っていた。
街の入口で冒険者たちと別れた二人はそれぞれ病院と学校の二手に分かれる。事情説明という名の事後処理が待ち構えていた。
◇
「ただいま、アーニャ」
「おかえりなさいませ、シルフィ様。本日は込み入ってお話があります。晩ご飯の用意はできておりますので、そちらの席で」
「……了解」
いつになく真剣な様子のアーニャに、シルフィも気を張る。恐らくはシルフィの仕事に関する話なのだろうと推測ができた。
オリエンテーション、外界からの帰還、病院と学校の往復と数時間に及ぶ事情説明によってシルフィの疲労は相当なものだったが、話を聞くために食卓に着く。
今日のメニューはパンとカルパッチョ、トマトの冷製スープ。料理を口に運びながら、シルフィはアーニャの声に耳を傾ける。
「こちらを」
アーニャはシルフィに小冊子を手渡す。パンを口に含んだシルフィは表紙に目を通した。
『人と魔物の形質継承に関する考察 マリーデ・デューイ』
「これは……」
「デューイ邸のお手伝いとして掃除をしていた際に偶然見つけた書類です。転写魔法でコピーしたので現物ほど鮮明じゃないんですけど……サラ様のお母様────マリーデ様が学生の時の研究論文ですね」
ぱらり、とシルフィは頁を捲る。日時の欄には約二十年前の日付が記入されている。研究概要の項目では「魔物の有する特異な性質を人間に移植することで人類の可能性を飛躍的に向上させる」と述べられている。
シルフィは食事を取りながら繰り手を止めることなく読み進めていく。
魔物が持つ器官を移植によって人体に埋め込み、拒絶反応を薬物によって抑え込む──マリーデは倫理観の欠如した実験を展開していた。
『本実験では五人のサンプルを用意した。それぞれに吸血鬼族の形質を継承させていく。具体的な方法については対象の犬歯を摘出し、吸血鬼の歯牙を再植するという処置をとった』
「嘘でしょ……」
シルフィはついに手を止め、唖然とする。
そこには、図表を交えての残忍な研究結果が記されていた。
『一人目のサンプルAは十一歳の男性である。彼は移植後三十分で異常を来した。魔力を数値化するマジコスコープの値の推移(表1)を観察すると、魔臓から生成される魔力量が増加を続け、三十分後には飽和生成量に到達していることが分かる。この時点でサンプルAに発汗、発熱が現れた。その後、移植後一時間にしてサンプルAは死亡した。死因は魔力の過剰生成による魔臓の破裂に伴うショック死とみられる。
サンプルB(二十二歳男性)にも同様の症状が現れた。魔力の流れを感知する装置を用いたところ、魔臓から流れ出た魔力が全て再植した牙に向かって流れていることが分かる(図1)。これは、吸血鬼族の特徴の一つである「吸血時の魔法行使」に類似した性質である。
つまり、サンプルA、サンプルBは両名とも移植後から常時魔法を使用している状況に陥っていたと推察できる。
サンプルC(二十歳男性)を扱う際、魔法の起動について考慮した。通常、魔法の使用は意思と記憶によって引き起こされる。そこで、サンプルCには事前に手術の概要を説明しないまま施術した。全身麻酔から覚めた彼は二十時間ほど正常な状態を保持した。しかし、その後すぐに歯茎から出血が見られ、サンプルCの身体が牙を異物として排除を開始した。継続的な投薬による処置を施したが、再植から九十六時間ほどでサンプルCは絶命した。死因は前例と同じく魔臓の破裂によるショック死であった。彼は生前「自分の血が美味に感じる」、「水よりも血液が欲しい」という吸血本能を露わにしていた。サンプルCの本能が牙に魔力を送り込み始めたことが原因であると考えられる。
この時点での課題は魔法の起動と、吸血本能の意図的なスイッチングである。サンプルDでは────』
シルフィは口元に手を当てながら文書に目を走らせる。
実験報告書の最終項目では『試験は段階的に成功し、課題が明らかになった。また、魔力の強制生成を意図的に発生させられるという副次的な結果を得ることができた』と締めくくられていた。
シルフィは眉根を寄せた。
「非道徳的な実験をしておいて、そこに一言も触れていない。これが虚構でないのならばマリーデ・デューイという人物はバッシングを受ける程度では済まされない。彼女が服役したという事実はあるの?」
「いいえ、国立図書館に所蔵されている新聞には何も出ていませんでした。この研究が発表された日付の前後二か月分は読み込んだんですけど……」
「つまり、この事実は何者かによって握りつぶされた?」
「マリーデ様のお父様は当時の騎士団長ですし、シルフィ様の言う揉み消しは簡単だったんじゃないかと思います。ただ、発表の前に周囲に止められた可能性がありますけど。その書類もストレイラ様の書斎に埋もれていましたし」
「いずれにせよ、これはマトモなものじゃない。サラや、サラのお祖母様が口を噤むのも頷ける」
手元の資料をアーニャへ返したシルフィは深いため息を吐く。とっくに食欲は失せていた。
「……というか、なんで今日の晩御飯にトマトスープがあるのか分かった気がする。ちょっと不謹慎だし」
「さすがシルフィ様、察しが良いですね!」
にぱっ、と悪戯な笑顔を見せるアーニャに、ますますげんなりした顔を見せるシルフィ。アーニャはトマトスープを血液に見立てたのだろう。
「アーニャに恨まれるようなことをした覚えはないんだけど」
「えーっ! そんなこと言っちゃうんですか! こんなにもアーニャを放置しているのに!?」
「放置?」
「そうですよぅ。最近のシルフィ様と言えばサラ様がああだこうだ、仕事がどうのこうので全然アーニャの相手をしてくれないじゃないですか! アーニャはぷんぷんですよ」
「いや、この前の休みにハイフィルへ行ったじゃん。パンケーキが食べたいとかなんとかで」
「確かに行きましたけど、結局パンケーキ食べてないですし! アーニャとしては休日平日関係なく相手してほしいんですーっ!」
「えぇ……」
シルフィはアーニャの言い分に理不尽さを感じずにはいられない。しかし、ぶーぶーと騒ぎ立てるアーニャに折れたシルフィは手招きをした。
「分かったから、ほら、おいで」
「わーい!」
顔を輝かせたアーニャは席を立ち、すすすーっとシルフィにしなだれかかった。
「よしよし、今日は頑張ったね。えらいえらい」
「むふふー、もっと褒めてください」
「情報提供の報酬は二十万ネイでいいよね」
「……急に生々しい話題になりましたね」
「一応、私はアーニャの雇い主だからね。金銭については明確にしておかなきゃ」
「アーニャと籍を入れれば万事解決ですよ?」
「……冗談を言うのはこの口かー?」
「くふふっ、くすぐったいですシルフィさま~」
じゃれ合うシルフィとアーニャは束の間の休息を謳歌する。
アーニャが持ち帰った情報はシルフィを通してすぐさまクロハに伝えられた。
そして、この翌日。ユートラントを中心に散らばっていた事態は一点へと収束を果たし、急転することになる。