21.外界遠足Ⅲ
断裂した空間に呑み込まれたシルフィ、サラ、リリアの三人は空を飛んでいた────否、空から落ちていた。
彼女たちが飛ばされた先は外界第一区画上空。眼下には冬季特有の厚い雲が広がっている。
それは、侵入者を排除するためにユンドが仕掛けたトラップであった。正規の手順を踏まずに結界へと侵入した者達を直接手にかけることなく始末するための殺人装置。
(これっ、まずい────!)
シルフィが自身の状況を把握するまでに数秒の時を要した。その間に、自由落下によって加速した体が寒雲の中を突き抜ける。水蒸気によって濡れた体が寒天に凍てつき、その表面は氷が張った。
十二月のユートラントは東から西にかけて風が吹く。きりもみ回転でユートラント方面へ落下していく最中、シルフィは必死に思考を巡らせていた。
(私だけならこの状況を凌げる。だけど、サラとリリアを庇うにしても、私の魔法だと彼女たちの肉体にダメージが入りすぎる……!)
風圧に揺れる視界の中、空中で分かたれてしまった二人を目で追う。サラは恐怖に強張った顔をし、リリアはショックのためか表情が消えていた。
「サラ! リリアっ!」
シルフィは喉を傷めるほどの声量で呼びかける。反応したサラとリリアは正気を取り戻したのか、驚いたような顔を見せた。
既に高度は下がり、豆粒ほどだった森の木々やユートラントの町並みも徐々に鮮明になりつつある。
地上に墜落するまでの時間は三十秒ほど。
「シルフィ、リリア、手を取って!」
意識を覚醒させたサラは叫ぶように指示を出した。
空中で姿勢を操作してシルフィが手を伸ばすと、サラはその手を掴む。リリアも同様にサラの手を掴んだ。そして、シルフィとリリアも手を取り合う。
三人が輪になることで空気抵抗が増して落下速度が緩和された。
しかし、依然として殺人的な速度で落下は続いている。
地上まで五百メートルを切っていた。
「サラ、ここからどうするの!」
シルフィは耳元で轟音を響かせる風の音に負けないように声を張り上げる。
このまま取れる手段がないのであれば、苦渋の選択肢としてシルフィは奥の手を使わざるを得なくなる。シルフィの言葉に対し、サラは叫ぶ。
「私に任せなさい! 【グラビティアクション】!」
瞬間、ググッ、とシルフィは上に引っ張られる感覚を覚える。
サラが唱えた魔法。それは────
「なにこれーっ!?」
「重力操作よっ、だけどっ──!」
リリアの問いにサラは苦しげに返す。
重力操作魔法。その難易度は上級に分類され、扱えたとしても精々がリンゴを浮かせる程度の魔法だと言われている。
しかし、サラはユートラント延いてはエスリア一の天才児と呼ばれる少女であった。膨大な魔力量に任せて三人にかかる重力の方向を操作してみせた。
「さすがに、制御が厳しい……っ」
サラは強く唇を噛む。魔力の消費が激しいのか、寒風吹きすさぶ上空であってもサラの顔は赤く火照っていた。
「がんばってトレイクさん!」
「サラ!」
「あと、もう少……し」
三人は徐々に速度を落とし、高度を下げていく。地上まで百メートルほどになったところで────固く握られていたサラの手から力が抜けた。
「トレイクさん!?」
「サラが魔力切れを起こしてる!」
魔力切れ────急性魔力中毒とも呼ばれるそれは、瞬間的に過剰な魔力を使用することで発生する一過性の症状である。軽度のものでは気を失うだけで済むが、ことこの状況においては致命的なものだった。
サラが気絶すると同時に魔法も効力を失う。シルフィたちは再び重力による加速を始めた。
地上に墜落するまで数秒もない。シルフィには迷っている時間が残されていなかった。空中姿勢を変えて、力を失ったサラを左脇に、涙目になりつつあるリリアを右脇に抱えた。
「リリア、衝撃に備えて! 【光走】・【金剛塞】!」
シルフィは流れるように詠唱を紡ぐ。しかし、魔法の効果は可視化せず、見た目に変化はない。
「エリアルさん、何を?!」
「リリア、お腹に力を入れて! 跳ぶよ!」
刹那、花火を打ったような爆音がユートラントの上空に響き渡る。
シルフィは空を跳んでいた。爆発の音源はシルフィの足元。音速を超えて繰り出される足の振りぬきによって空を蹴っていた。空気を足場にすることで落下速度を緩和させる。
「うっ! ぐふっ! ぶふっ!」
リリアが断続的に悲鳴を上げる。シルフィが空気を足場にするたびに、その衝撃がリリアにも伝わるためだ。
そして────
「着地!」
「ぐえっ!」
とうとうシルフィは着地を果たした。蛙を潰したような声がリリアから漏れるが、結果的に三人が落下死することはなかった。
シルフィは抱えていた少女二人を地面に下ろす。サラは気を失ったままで、リリアは涙を流しながら嘔吐いている。
シルフィは周囲に視線を巡らせて環境の把握を行う。どうやらここは湖のほとりであるようだった。森林の中にぽっかりと口を開けた湖の周りは低木が囲んでいて視界が悪い。
間に合わせではあるが安全を確保できたと知って、シルフィは安堵の息を吐く。
「よかった、皆生きてた」
「何だったのさっきの……うっぷ、ムリ、吐きそう」
「湖が近いからそこに吐いておいで。私はサラを看ておくよ」
「うん……」
リリアはとぼとぼと足を引き摺りながら歩いて行った。
シルフィは仰向けに横たえられたサラに視線を遣る。オリエンテーション中は変温魔法によって厳しい寒さを妨げていたサラであったが、現在はその魔法も効力を失っている。薄着のサラの肌はこれでもかというほど白くなっていた。シルフィは着ていた上着をサラに纏わせる。
妙にスッキリした顔のリリアが戻ってくると、火の魔法で熱源を確保した。
シルフィ、リリア、落ち葉のベッドで眠るサラの三人で焚火を囲む。
「回復魔法はかけておいたよ。内臓にダメージがあったら大変だからね」
「ありがとう。意識を失ったままのサラが怖いけど……脈も呼吸も安定しているから一先ずは安心かな。唯一不安なのは低体温による症状だけど、それもないみたい」
「よかった。いや~、それにしても死ぬかと思ったよ」
カラカラと笑うリリアは、少女然とした見た目に反して図太いらしい。先ほどまで死の縁にあったとは思えない陽気さであった。
シルフィとしても色々と話しておきたいことを抱えていたが、とりあえず心の内に仕舞っておく。話題にするべきは、これからの行動だろう。
「それにしても、ここはどこだろうね~?」
「外界第一区画より東かな。最初は風で西に流されていたけど、サラの重力操作でかなり東に押し戻されていたから」
「ということは、ここは第一区画以上の深層区画ってこと?」
エスリア国ユートラント市が人類の最前線であり、東へ行けば行くほど外界における深度は深くなる。つまり、シルフィたちが不時着した湖のほとりは魔物の棲まう地点である可能性が高い。
故に、いつまでも呑気にしているわけにはいかなかった。
これからどうする、とシルフィが問いかけようとしたところで、ガサリと背後の草陰が揺れた。
「────っ!」
噂をすれば。シルフィは即座に立ち上がり、寝たきりのサラを庇うようにして臨戦態勢を取る。リリアもシルフィの横に並んだ。
徐々に低木の揺らぎは大きくなり、枝葉を掻き分けるような音が場を支配する。
迫りくる脅威に対してシルフィはジリッと地面を踏みしめる。
魔物が出るか竜が出るか。
しかし、シルフィの視界に現れたのはどちらでもなかった。
「ドラアァッ! おおッ、何かと思えば人じゃあないか!」
「グライアルさん、危ないですよ……」
大音声と共に現れたのは筋骨隆々の武人。その後ろにはモノクルをかけた青年が付いてきていた。




