17.月と太陽、そして世界
翌週の定期試験を問題なく通過したシルフィはサラに断ってから学校を出る。向かう先は路地裏のボロ小屋。今日は月に一度の定例会の日であった。
頭痛を催すような奇怪な空間を潜り抜けて会議室へと辿り着く。大理石の円卓を囲む十脚の椅子は既に七席埋まっていた。クロハ、ロキ、セト、ミラー、シノに加えて少女が二人、隣り合わせで座っている。
そのうちの一人、灼けるような夕日色の髪を携えた少女【太陽】ヒナ・ユニウェルは席を立ってシルフィに飛びつく。
「おねーちゃん会いたかったよ~!」
「久しぶり、ヒナ」
「私もいますよお姉さん」
「ルナも、おかえり」
ヒナに次いで、彼女の双子の姉である【月】ルナ・ユニウェルもシルフィに寄り添う。彼女たちが用いる「姉」の呼称は尊敬と親愛を込めたもので、決してシルフィがユニウェル姉妹の実姉であるということはない。
【星の大鴉】という異端者が集まる組織の中で彼女たち双子は珍しく年相応に素直な人間である。故に、その様子を眺めていたミラーやセトは苦笑を浮かべ、シルフィは困ったように頬を掻いた。ロキが茶化すようにヤジを飛ばす。
「シルフィちゃんはモテモテだね。やっぱり前線で戦う戦闘員は扱いが違うのかな」
「モテたいのなら、まずはその胡散臭さをどうにかするべきですよ、ロキさん」
「おいおいルナちゃん、僕みたいなのはミステリアスっていうんだぜ?」
「ミステリアスってのはミラーみたいなのを言うんだぞふしんしゃー!」
少し冷やかしをしたばかりにルナとヒナから痛烈な批判を浴びたロキは顔を引き攣らせてたじろぐ。ロキは救いを求めるようにシルフィへと視線を移すが、彼女は冷めた顔でロキを眺めるだけだった。
「欲求不満ならミラーお姉さんが相手してあげよっか?」
「い、いや、遠慮しておくよ……」
ミラーがウインクを飛ばすとロキは鳥肌を立てて首を横に振る。
シルフィはユニウェル姉妹を落ち着かせ、ようやく腰を下ろすことが出来た。シルフィに資料が行き渡ったところで、これまでの会話を傍観していたクロハが音頭を取る。会議は厳粛さとは程遠い雰囲気で始まった。
今回の会議の主題は外界調査の進展報告と、クメズメ市での顛末。
「まずはルナ、お願いします」
「はい。私たちは観測地点をヴァジマからモスクワへと移しました。クロハさんが仰っていたヤロスラフスキー駅を発見し、次回からシベリア鉄道に沿っての探索が可能となりました」
「大きナ進歩だ。ようやくココまで来たカ、ッて感じダな」
「インカーさんからも確認の報告が上がっています。新しい基地の安全が確保できたそうです」
【星の大鴉】が掲げる一大目的──外界に君臨する魔竜を討ち滅ぼし、人類の生存圏を取り戻す──のために、外界の調査に関する前線の押し上げは最重要事項であった。機動力、戦闘力ともに申し分ないユニウェル姉妹と、外界に住まう【隠者】クロロ・インカーなる人物によって進められていた探索任務は一先ずの成功を収めていた。
しかし、とルナは言葉を続ける。
「やはり移動手段の問題は解決に至っていません。機動力の高い私たちでも往復に一か月の時間を要します。万一、インカーさんが魔竜の発見に至ったとしても、大所帯での移動となると到着まで三週間は要するかと」
彼らにとっての大きな問題。それは、物理的な距離にあった。水は魔法で作り出し、食糧は魔物を狩ることで手に入れられるが、遠距離の移動は困難を極めていた。瞬間移動でもできなければ解決できない。そして、瞬間移動は魔法が発達した現代においても未解明の事象であった。
目下、クロハの企てる外界プロジェクトは少しの進展を見せたという報告をもってルナの発言は締められた。この報告会より三日後、再びヒナとルナは外界へ出立する。今度は二ヶ月の時を要して前線の押し上げを図るという。
報告を聞いていたシルフィは心の中でユニウェル姉妹の健闘を祈った。
そして、次いで言葉を発したのは、先日ミリルの襲撃を受けたロキだった。
「前回の定例会でセトが持ち帰った青白い粉は薬物標本に載っていない新種の薬だった。そして、ミラーさんが集めてきた情報をもとにクメズメ市にある販売組織のアジトを突き止めたまでは良かったんだけど、そこで聖騎士ミリル・デューイとバッティング。手痛い攻撃を貰った上に件の組織を取り逃がしてしまって任務は失敗、情報収集も振り出しに戻ったよ」
やれやれとロキは首を振る。ターゲットの組織は警戒度を引き上げただろうが、対人情報収集のプロであるミラーの手にかかれば一月もしないうちに新たな拠点を特定するに至るだろう。任務は未達成であるが、取り返しの付かない致命的なミスを犯したわけではないため非難の声は上がらなかった。
一方で、ロキはセトに批判的な声を送る。
「お宅の同僚さん、お転婆だったね。問答無用で攻撃を仕掛けてくるあたり、随分と凶暴なお嬢様みたいだ」
「彼女は正義感が人一倍強いからな。毒を持って毒を制する我々のような存在を赦せないのだろう」
「そういうのを愚直って言うんだぜ。頼むからああいう手合いの手綱は握っておいてくれ」
「文句は騎士団長に言え。今回の件は自分にも知らされていなかったのだ」
セトとロキの間に冷たい火花が散る。険悪な雰囲気になりかけたところで手を叩く音が会議室に響き渡る。
「済んでしまったことを言い争っても仕方がないです。セトはミリル・デューイ及び騎士団の動向を注視してください」
クロハが場を取りなす。
その後、並行して進められている小規模任務についての経過確認が行われて一連の報告は終了。新たな任務の割り振りが行われ、この日の会議は閉会を迎えた。
◇
シルフィはクロハを呼び止め、だだっ広い会議室にはシルフィとクロハの二人きりになった。
「こうして二人きりになるのは随分と久しぶりのような気がします」
「そうだね、クロハさんに言われて一人暮らしを始めてからだから……一年ぶりぐらい?」
「昔は四六時中一緒に居ましたのに。アーニャさんに取られてしまいましたね」
クロハはクスクスと笑いを漏らす。シルフィは僅かに顔を赤らめる。
「ず、ずっと一緒にはいなかったでしょ」
「ふふっ、そういうことにしておいてあげます。それで、学校はどうです。友達は出来ましたか」
「学校はそれなりに楽しんでるよ。友達は一人だけ、それっぽいのはいるけど……」
「あら、友人は良いものですよ。人生を豊かにしてくれます」
「だってそういうのよく分からないし……」
「協調性を持てば自然とできるのではないですか」
「そんな単純なものかな。というか、それって暗に私に協調性が無いって言ってる?」
むっ、とした表情を見せるシルフィに、クロハは「どうでしょう」と慈母のような笑みを返す。
クロハはそっとシルフィに近づくと優しく頭を撫でた。シルフィにとってクロハは魔法の師であり、育ての親である。実の娘のように扱われるとシルフィは強く出られなくなった。
「それで、今日は何か用事ですか?」
「うん、見てほしいものがあって」
「これは……」
「すごく古い本なんだけど、クロハさんなら知ってるかもしれないと思って買ってきたの」
シルフィは古書店で購入した本を取り出す。本を受け取ったクロハはパラパラと頁を捲りながら、その表情を驚愕へと変えていく。
「これ、学校の教科書ですね。しかも、私が使っていたものに似ています」
「本当? だとしたら、相当な価値があるんじゃないの」
「確かに文献としての価値は高いですが……読めるのは私かカークぐらいしかいないでしょうね。私が学生だったのは三百五十年も前のことですから」
クロハは懐かしむように目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。シルフィはクロハに寄り添い、教科書を覗き込む。
「何が書いてあるの?」
「シルフィに教えた内容と同様のものですよ。それにしても、活字の日本語を見たのはいつぶりでしょう……技術の大規模遺失が起きてからなので彼是三百年ぶりですか。意外と読めるものですね」
クロハは興味深いと読む手を進め、遊び紙まで到達すると本を閉じた。
「これ、持って帰ってもいいですか?」
「うん、クロハさんのために買ってきたものだから。価値が分かる人の手元に置いてある方がいいと思う」
「ありがとうございます、大切にしますね」
クロハは古書を胸に抱くと、乙女のような笑みを浮かべる。シルフィは滅多に見ることのできないクロハの表情に瞠目した。
シルフィは話題を切り替えるために一度咳ばらいし、真剣な表情でクロハに相対する。
「それと、もう一つクロハさんに伝えておきたいことがあるの」
シルフィが話しておきたいもう一つの事柄。それは、シルフィが魔法を出力できる可能性が出来た事────サラによって編みだされた血液から魔力を抽出する手法についてだった。
◆
シルフィがいなくなった会議室には神妙な面持ちをしたクロハが一人、深慮に囚われていた。
「血液から魔力を吸い出して魔法を代替行使する……ですか」
人並みに魔法が使えるようになるかもしれないと報告してきたシルフィのことを思い出しながら、クロハは顎に手を当てた。
「よう、お悩み中か」
そんなクロハに声が掛けられる。クロハが応じて視線を遣ると、その少女は不敵な笑みを浮かべた。膝まで伸びた長髪に、右目を隠した長い前髪。シャンデリアの光を弾く白髪は滑らかさを携えている。
鋸歯を覗かせる白髪の少女は大理石の円卓に腰かけた。
「出掛けていたんですか?」
「ああ、ミラーと一緒にギルドに行ってきた。気になる情報も手に入ったし、もしかすると一気に状況が変わるかもしれん」
「重畳です。聞かせて貰っても?」
「後でな。それより、シルフィと楽しそうな話をしてたじゃねえの」
「盗み聞きとは感心しませんね」
「馬鹿言え、オレが帰ってきたときに話し込んでたお前らが悪いだろ。ここ、一応オレの部屋だぜ?」
「それは貴女が勝手に住み着いているだけでしょう……それで、どう思いました。先ほどの話」
「シルフィが話してた学友の話か。ありゃ、きな臭えわ。血中から直に魔力を吸い出せるのは吸血鬼の十八番だろう?」
「サラ・トレイクは日の下を歩く吸血鬼の可能性がある。そういうことですね」
白髪の少女とクロハが挙げたのは最上級魔物の名前である。吸血鬼は人と似た姿をとる「魔人」と呼ばれる種族で、高い知能と優秀な身体能力、人間に対する残忍性から危険視されている生き物だ。
人の住む町に忍び込み、人が枯れるまで血を吸い取る。彼らの特徴として日光を浴びると魔力を生成できなくなるという弱点があり、その弱点をも克服した吸血鬼を特に「デイウォーカー」という。
「魔竜の鱗が正常に国土を守っている今日日、何処から湧いてきたのやら」
「まだサラ・トレイクが吸血鬼と決まったわけではありませんよ」
「魔力を見通す瞳を持ち、シルフィのような濃密な魔力を持つ人間を好む。おまけに血中から魔力を抜き出して魔法を使って見せたという。疑うなって方が無理だろ」
白髪の少女は首を振る。ニヒルな笑みが特徴的なギザ歯を剥き出しにした。
血液からの直接的な魔力抽出は吸血鬼にしか成し得ぬこと。魔法の黎明期から現在に至るまで、そのような事例は吸血鬼がらみだと相場が決まっている、と白髪の少女は断定した。
「まあ、件の女が吸血鬼だろうとシルフィが臆さなければ秒殺できる。これについてはシルフィに任せるとして、だ。それとは別件で、ちょっと面白そうな話を小耳に挟んでな」
白髪の少女はクロハの横を通り過ぎ、部屋の最奥にある止まり木へと歩いて行く。
「今から一年前、シルフィたちが取り逃した人身売買組織があったろ。アレの搬送ルート──ユートラント先進医療研究所行きのゲートが特定できた」
少女の言葉にクロハは驚きの色を見せる。
「それは本当ですか」
「まだ確証を得たわけじゃねえ。飽くまで又聞きの話だ。だが、調べてみる価値はある。オレが直々に出向くよ」
少女が歩んだ跡に大きな白い羽が一枚ヒラリと舞い落ちていった。