閑話4:現状を憂う者
シルフィとサラが勉強会で盛り上がった翌日のエスリア国立病院。
リノリウム材の上を歩くのは屈強な老紳士、イヴァン・デューイ。廊下ですれ違う医療従事者は彼の姿を認めると驚いたように飛び上がり、深々と頭を下げる。権威者に媚びるようなその態度にイヴァンは顔を顰めつつ、軽く手を振って応えた。
やがて、彼が目的とする個室へと辿り着く。扉の横には入院患者「ミリル・デューイ」の名前が掲げられていた。イヴァンはスーツの襟元を正して扉を数度叩く。
返事を確認してイヴァンが中に足を踏み入れると白を基調とした空間が彼を出迎える。ベッドで上体を起こしている人物を視界に収めると、唸るように声を出した。
「壮健か、ミリル」
「はい、お祖父様」
「重畳だ」
イヴァンはベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろす。ガタイの良いイヴァンを支えた椅子はミシリと嫌な声を上げた。
「見舞いが遅れてすまない。仕事でアストライツェンに用事があったのでな」
「いいえ、こうして来ていただけただけでもありがたいです」
祖父と孫という間柄の会話にしては公的な口調のものが続く。それは、彼らの上下関係に起因していた。ミリルは騎士を志した時からイヴァンに剣の教えを乞い、彼女が騎士として入団した当初、祖父のイヴァンは騎士団長として前線を張っていた。
ミリルが聖騎士になった現在でも、祖父には頭が上がらない。引退したといえどもミリルにとってイヴァンは憧憬の対象であり、師匠であった。
「任務を途中で放棄したと聞き及んでいるが」
「……私もそのように聞いております」
「その様子だと記憶の処理を施されたか」
「はい。【星の大鴉】と接敵していたらしい……というのは事後報告で聞きましたが、私が何故任務を放棄したのか、何に敗北を喫したのか、誰に記憶を消されたのか。事件に関する主要情報が離散的に飛んでいて、記憶が曖昧なんです」
「概ね、意図的に情報を残すことで記憶の補完を行わせ、錯綜を狙っているのだろうな」
「トイラークさんも、似たようなことを仰っていました。私の担当した任務は彼が引き継ぐことになっています」
「セトか。アイツは頭が切れる。あとは任せておけばいいだろう」
「…………」
それは言外に、ミリルは動くなと言っているようなものだった。しかし、それも致し方ないと赤髪の聖騎士は俯く。此度の責任は任務を主導したミリルが負うことになっているため、暗黙の謹慎処分が課せられているのだ。現にミリルは快復したものの適当な理由を付けられて退院できていなかった。
屈強な老爺は間をおいて別の話題を切り出した。
「ギルドに依頼を出していただろう」
「【星】の捕縛についてですね……騎士団長の指示で指名手配をかけました」
「成程……ケイリー・トーンの指示だったのだな────」
イヴァンは現騎士団長の名を出し、顎に手を当てて唸る。それは、小さな違和感であった。しかし、その考えが言葉になることはなく、イヴァンは首を振る。
そこから暫く報告という事務的な会話が続き、一時間が経過しようという頃になってイヴァンが腰を上げた。重荷から解放された椅子がギギィッと嬉しそうに鳴いた。
「お帰りになられるのですか」
「ああ、あまり長居しても迷惑だろう」
イヴァンは部屋の扉に手をかけ、ふと思い出したように振り向いた。その表情はミリルに相対していた時のような厳めしいものではなく、家族を思いやるような優しい好々爺のものだった。
「そういえば、サラに友人ができたようだぞ」
「……っ! 本当ですかお祖父様、その話をもう少し詳しく聞かせて貰ってもよろしいでしょうか」
驚いたような表情を見せるミリルは、しかし、その口元に喜色を浮かべていた。これまでにない話の食いつき方にイヴァンは失笑を漏らしながら再びミリルの元まで戻り、椅子に腰かけた。椅子は断末魔を上げるようにグイィっと不気味な音を立てた。
「ストレイラから聞かされてな。名をシルフィ・エリアルというらしいのだが────」
イヴァンは朗らかにもう一人の孫娘について語り、ミリルは従姉妹の情報に耳を傾ける。
彼らはサラを猫かわいがりしていた。
サラの話で盛り上がった二人は「近々挨拶に行かねばならない」と結論付け、サラの友人シルフィに思いを馳せるのであった。




