01.彼女の仕事
薄暗い地下室の最奥。
酒と煙草の臭気に満ちた部屋の中でザイン・ガップは唇を噛んでいた。
「侵入者確認できました。【星の大鴉】だと思われます!」
「ハァッ!? オイ、どういうことだ」
報告のために部屋を訪れた部下の男に掴みかかり、ザインは唾を飛ばしながら激怒した。
星の大鴉────またの名を犯罪組織殺しの犯罪組織。
狙われた悪党は一切の漏れなく粛清されている。この国の暗部に関わる者ならば誰しも一度は聞いたことがある名前だ。
「クソ野郎ッ、どこから情報が洩れやがった……そもそも、見張りのバカどもは何をやってたんだ!」
「も、申し訳ありません。そ、それが、通信が途絶えてから間もなくアジトに入ってきたらしく、連絡が間に合わなかったんですっ」
部下の男はしどろもどろになりながら状況をザインに伝える。苛立ったザインは掴んでいた部下の男を突き放し、告げる。
「いいか、【星の大鴉】に目を付けられた以上タダじゃ済まねえ。これ以上の侵入を許すな。死ぬ気でそいつの首を取ってこい」
「りょ、了解しました!」
ザインの命を受けて男は飛び出して行く。その背中が見えなくなると同時に、ザインは逃走の準備を始めた。
(まともにやり合ったんじゃ勝ち目が無え。ダミーのダクトを通っていけばバレずに表へ出られるが────)
そこまで考えを巡らせたところで爆発音と共にアジトが揺れた。あまりの衝撃にザインはたたらを踏む。
「今のは……まさか」
爆発の音源は部屋の外。つい先ほど部下が出ていった方向だ。
脅威が寸前にまで近づいてきていることにザインが気付くと同時に、開け放たれたままだった扉の向こうから何かが飛来した。
「なんだッ?!」
すんでのところでザインはそれを避けた。
部屋に積まれていた紙を巻き上げ、ザインが愛用していたデスクを轟音と共に破壊し、壁に衝突したところでようやく物体は動きを止める。
何事かとザインが確認すると、それは先ほどまで会話をしていた部下の男だった。腕があらぬ方向に折れ曲がり、歯が数本欠けている。息はあるようだが医者にかからないと命が危ういと見える。
「こんばんは。調子は如何かしら、ザイン・ガップさん」
冷涼とした声が室内に響いた。ザインが恐る恐る振り向くと、そこには鴉を模した仮面を付けて、漆黒のローブに身を包んだ人間が立っていた。フードまで被っているため、全身が黒で埋め尽くされている。
「時間が無いから早速本題に入るけど、貴方たちは違法薬物である魔法の実を流通させていた。間違いない?」
声は認識阻害によってノイズが混ざっているものの、口調からしてその人間は女性であるらしい。感情の窺えない声で淡々と事実確認のみを行う姿は不吉な予感をもたらす。
突然始まった駆け引きに、ザインは狼狽した。
「ま、待ってくれ、お前が星の大鴉か?」
「私の質問に答えなさい。関係ないことを口にした瞬間、貴方の命は無いと思って」
「わ、分かった、答えよう」
威圧感を増した少女の前に、ザインは両手を挙げて膝をつく。
ごくり、と生唾を飲み込み彼は口を開いた。
「魔法の実なんて知らない。俺たちは指定された商品を運搬する業務を請け負っているだけなんだ。貨物の中にそういったものが入っていても俺たちに確認の術はない」
「その商品については知らされていなかった。そういうこと?」
「ああ、その通り────」
ザインが言い切る前に、少女はその場に足を叩きつけた。
放射状に捲れ上がる床板。内臓を震わせる振動。鼓膜を叩く破壊音。
飛び散った破片がザインの頬を掠めた。
「ウチの諜報員は優秀だから。それと、体内で魔力を練るのは止めなさい。返り討ちに遭うのは貴方の方。ここまで言えば、あとは分かるでしょ?」
「…………お、俺たちは魔法の実の運搬と販売を行っていた」
「その商品が違法薬物であると知った上で?」
「ああ……」
「そう。貴方たちが携わったのは運搬と販売だけ。嘘偽りは無い?」
「ああ、本当だ。信じてくれ」
魔法を使った反撃の機会は潰され、誰かが助けにくる気配もない。正面から殴り合って勝てない相手だとザインは重々承知している。もはや彼に成す術はなかった。
「運搬と販売、ね……。つまり、栽培に携わる組織は別にいる、と」
「…………」
「そこは黙秘なの。まあいいか、それを聞き出すのは私の仕事じゃない」
少女はつまらなさそうに言ってのけると、一歩、ザインに近づいた。
「待て、待ってくれ! 取引をしよう!」
「……取引?」
「ああ、俺の知っている情報は全てお前……いや、貴女様に差し出そう。そこらに転がってる部下の身柄も騎士団に引き渡すなり自由にしてくれて構わない。その代わり、どうか俺だけは見逃してくれ」
「……はぁ」
少女は一つ溜め息を吐くと、もう一歩ザインに近づいた。
「そ、そうだ、組織の資金も明け渡そう! 何だったら【星の大鴉】の傘下に入ってもいい! 俺は優秀な参謀になれるぞ!」
「…………」
もはやザインの声は少女に届いていなかった。
拳を振り上げた少女は仮面の奥で瞳を剣呑に光らせる。
「取引できる段階なんて、とっくに終わってんの」
衝撃がザインの身体を叩く。
その言葉の意味を理解する間もなく、ザインの意識は闇に落ちていった。
◆
目標の男が地に伏したことを確認した仮面の少女は右耳のイヤリングを指で弾いて揺らした。
「こちら、【星】。敵勢力の殲滅及びメインターゲットの無力化に成功」
『こちら、【審判】。いやあ、見事な手八丁、いや口八丁かな? 君の前だと、街を支配する大悪党も子犬みたいだねぇ』
耳に着けた装飾品を通して聞こえてくるのは軽薄な青年の声と気の抜けた拍手の音。
仮面の少女は通話相手の姿を思い浮かべて小さく舌を打った。
「皮肉はいいから指示を頂戴。これから私はどうすればいい」
『作戦が予定より早く終わったし、僕とディナーなんてどうだい?』
「死にたいの?」
『あはっ、そう怒らないでくれたまえ。冗談はさておき、作戦に変更は無いよ。これから【死神】と一緒にそちらへ向かって尋問を行う。僕たちが到着するまで残党が現れないか警戒しておいてくれ』
「了解」
通信を切った少女は頭部を覆い隠していたフードを取り、美しい翡翠色の髪を露わにした。
「はぁ……早く帰りたい」
場にそぐわぬ愚痴は、年相応の少女のものだった。