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11.アーニャの災難Ⅰ

「ごめんなさいシルフィ。今日の放課後は特訓ができないわ」


 シルフィが聖騎士ミリルとの戦闘を終えてから翌日。放課後の校舎内でシルフィに相対したサラは申し訳なさそうな顔をしていた。


「あー、大丈夫だけど……何かあった?」

「実は親戚が仕事先で事故に遭ったらしいのよ。命に別状は無いと言っても、心配だからお見舞いに行くつもりなの。だから今日はごめんなさい」


 頭を下げたサラは早足で帰っていった。

 どうしたものかとシルフィは考える。しばらくサラとの特訓の日々が続いていたせいで、いきなり空白の時間ができてしまった。


「とりあえず帰るか」


『なんでも屋』で仕事中のアーニャのところへ遊びに行ってみようか、などとお気楽に考えながらシルフィはその場を後にした。




 ボーデン地区の雑居ビル。不景気なテナントが肩を並べる廊下を歩いて行き、突き当たりのオフィスの扉を開けようと手を伸ばしたシルフィは、中から怒声が聞こえてきたことでその動きを止めた。


『テメエ、この仕事が受けられねえとはどういう了見だ! アァ!?』

『ですから何度も申し上げておりますように、このような依頼は騎士団に持って行ってくださいよ~』


 一方は男の声だ。その大きな声は扉一枚を隔てた外にまで響いてくる。それに対するのは聞きなれた少女の声──アーニャである。困ったような声をあげているところから、男にいちゃもんを付けられているのだと容易に想像できた。

 シルフィは介入するべきかと逡巡する。面倒ごとの予感がヒシヒシと伝わってくるのだから、このまま回れ右をして帰ろうかという考えがシルフィの脳裏を過った。しかし、それも一瞬のことだった。


『このクソアマ────!』


 暴力の気配。シルフィは反射的に扉を押し開けて突入する。気を張ったシルフィであったが、既に片は付いていた


「あれっ、シルフィ様どうしたんですか?」


 何事もなかったかのようにアーニャがシルフィの元へ駆け寄る。部屋の中にはくたびれた男が地に伏していた。


「シルフィ様もアーニャにご依頼ですか?」

「いや、遊びに来ただけよ。その、後ろでダウンしてる人は?」

「ああ、交渉決裂で襲い掛かってきたので殴り倒しました。正当防衛ですよ~」

「アーニャが無事ならいいんだけど……」


 アーニャのことを思って飛び込んだシルフィであったが、痛い目を見ていたのは男の方だったらしい。男のボロ布を纏った姿は見すぼらしく、どことなく鼻を刺す腐臭も漂ってくる。シルフィは思わずといった様子で顔を顰める。


「なに、この人」

「サウスボーデンのスラム街からいらっしゃったお客様です。神隠しが起きていて、おちおち夜も眠れないから解決してくれ~って、しつこくて」

「ああ、例の……」


 シルフィは記憶の糸を辿る。いつか聞いたアーニャの話では「サウスボーデンで人攫いが頻発しているらしい」ということだった。


「騎士団に頼んでくれって話じゃなかった?」

「アーニャも再三そのように申し上げているんですけど、全く聞く耳を持たないんですよね~。もう怖いし面倒くさいんで、この人を騎士団に突き出しちゃいます?」

「軽い注意で終わりそうだけど。それこそ、この男が大罪を犯していない限りは」

「あ、そういえばお客様とは全然話が噛み合わないんですよ。視線もフラフラしてますし、オクスリ処方されてるんじゃないですか?」

「どうだろう……」


 世界には色々な人がいるからね、と言葉を濁そうとしたシルフィであったが、彼女の視線は男の棒切れのような細腕に釘付けになった。

 素早く男の傍に膝を立て、腕を持ち上げて観察を行う。男の腕には幾つかの注射痕が見て取れた。


「アーニャの予想は間違っていないかも」

「あー……本当ですか?」


 シルフィの言葉に、アーニャは「面倒なことになった」と顔を歪める。

 その後、通報を受けて駆け付けた騎士は気絶した男を縛り上げ、事情聴取のためにアーニャの同行を求めた。


「シルフィ様ごめんなさい、晩ご飯の作り置きはしていないのでアーニャの帰りを待っていただくことになりそうです……」

「問題ないよ。アーニャの分も私が作っておくし」

「え゛っ……いやっ、うーん────外食してきてもいいですよ?」

「遠慮しないで。普段お世話になってるから、今日くらい私が手料理を振舞うよ」

「気持ちはありがたいんですけどぉ……あっ、じゃあ、火は使わないでくださいね! 危ないので!」

「はーい」


 尚も何か言いたげだったアーニャは騎士に連れられていった。

 シルフィはその姿を見送って小さく頷く。


「まずは食材を買いに行きますか」





 シルフィは肉、魚、野菜と一通りの食材を調理台に並べて一息ついた。


「さて、何を作ろう」


 エプロンを纏ったシルフィは腰に手を当てて考える。とりあえず使えそうな食材を買ってきただけであり、献立を考えていなかった。

 シルフィは他にも使えそうなものがないかキッチンを漁っていく。調味料棚にカレー粉の余りが入っていることを確認した。

 今夜はカレーだ、と決定したことで使われる予定のない材料が冷蔵庫の中に眠ることになる。後日、それら大量の余り物を消費するためにアーニャが奮闘するハメになることは想像に難くない。

 シルフィは野菜を水で洗い流し、乱切りしていく。皮を綺麗に剥けなかったために見た目はお世辞にも良いとは言えない。

 妥協の下処理を終えたシルフィは野菜を火にかける。日常的に料理をしない彼女には火加減が分からない。火が通っていないことに比べればマシだという考えのもと、強火で焦げるまで炒め続けた。


「あれ、水ってどれくらい入れればいいんだろう……」


 煮るという段階になって初めて「分量」を気にし始めたシルフィ。多いに越したことはないだろうと鍋がいっぱいになるまで水を入れることにした。ついでにこの段階でカレーの粉を投入する。

 不必要な隠し味を投入し、吹きこぼれと格闘しながらシルフィがカレーを完成させたのは調理開始から二時間後のことだった。


「うん、力作」


 シルフィが満足げに頷いたところで、玄関扉を開く音がキッチンに届く。シルフィが出迎えに行くと、疲れた顔をしたアーニャが帰って来た。


「おかえり、アーニャ」

「ただいまですシルフィ様。あー、騎士様のお話が長すぎですよぅ。げっそりです」


 アーニャが連れていかれてから三時間。従者の少女の疲労度がうかがえる。

 折よくアーニャが帰ってきたため、シルフィは食卓へカレーと付け合わせのパンを並べ始めた。その様子を見たアーニャは怯んだような顔をする。


「シルフィ様、火を使ったんですか?」

「あっ……そういえば使わないように注意されてたね。忘れてた」

「怪我がないのであればいいのですが、一人の時に火を使われるのは心臓に悪いですね」

「ふふっ、さすがに火の扱いでヘマをするような歳でもないよ」

「それはその通りなのですけど……」


 目の前に並べられた料理にアーニャは微妙な顔をする。まるで、食べる前からその味を理解しているような表情である。


「それじゃ、食べましょうか」

「は、はーい」


 食前の挨拶の後、二人は焼いたパンをカレーに浸す。口に運ぶと、焦げた野菜の苦味と薄いカレーの味がした。


「…………」


 沈黙が食卓を包む。アーニャは探るような視線をシルフィに送り、シルフィは想像以上の「不味さ」に手を止めていた。


「絶妙に美味しくないね」

「そ、そんなことないですよー?」

「いや、なんか水っぽいし。カレーってここまで美味しくなくなるんだ」

「えーと…………」

「カレー粉を加えたら美味しくなるかな?」

「そういう発想はオススメできませんよ、シルフィ様……」


 不味すぎて食べられないというほどではないが、進んで食べようとは思えない程度の味に二人の食事の手は早くも止まり始めていた。


「なんかごめんね……」

「いえいえ、お気持ちだけでも嬉しいですよ。次はアーニャと一緒に作りましょうね?」

「うん……」


 シルフィの料理の腕前を知っていたアーニャは優しく慰める。幾度も手を止めながら完食したアーニャであったが、キッチンの鍋の中にこれと同じものが並々と溜められていることを知って小さな悲鳴をあげた。


 ◇


「あの男性はどうなったの?」

「あー、それがですね……」


 食後のコーヒーを口に運ぶシルフィとアーニャは同卓に着いて言葉を交わす。


「例の注射痕は依存性の薬物を注入した傷痕でした。騎士様の話によると、サウスボーデンを中心に流行っていたものらしいんですよね。と言ってもその販売元は殲滅されましたけど」


【星の大鴉】が輸送ルートを潰し、表向きは騎士であるセトが白日の下に晒した先日の一件は広く波紋を広げているという。


「薬物の効果は幻聴、幻覚、高揚感で、効果が切れると緊張と苛立ち、発汗が見られるそうです。アーニャのところに来た人はこれから施設に回されて治療に集中するようですよ。その後に投獄は免れませんが」

「長時間拘束されていたようだけど、アーニャは何か訊かれたの?」

「軽い状況説明をしました。正当防衛とはいえ殴り倒してしまいましたからね。まあ、相手の精神状態も考慮して注意だけで帰らせてもらいました。それよりシルフィ様、少し気になる情報を口の軽い騎士様から教えていただいたのですが──」


 アーニャは一口だけコーヒーで喉を潤し、僅かに上体を前に傾けた。真剣な話なのだとシルフィも小さく頷く。


「オクスリを嗜んでいた男性の話にあった神隠しは既に騎士団が調査を進めていたらしいのです。騎士団が人攫いと睨んでいる一連の出来事は数年前を皮切りにサウスボーデンやクメズメだけでなく、お隣のシュタール皇国やアストライツェン国でも同様に発生しているようです。特に去年から被害が如実に現れるようになったらしく、年間行方不明者の三割が人攫いによるものだと考えられているそうです」

「それほどの広範囲に渡って行われるということは国際的な犯罪組織の可能性がある、と」

「はい。しかも一年前からというと────」

「アーニャと私が出会うきっかけになった事件が起きた時期と合致する」


 シルフィは椅子に深く腰を掛け直す。コーヒーを啜ると、香り立つ苦味が鼻腔を抜けていった。脚を組んで考えるのは過去の出来事。

 シルフィとアーニャが出会った、あの日の惨禍。


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