10.聖騎士vs【星】Ⅲ
中距離から音を置き去りにした初撃。ソニックブームを伴う突きは【星】の胸元に吸い込まれる────ことなく、剣先を指で弾かれた。
「……っ!?」
「速いね」
私の攻撃をいなした【星】は反撃の一撃を叩きこむ、かと思いきやバックステップで距離を取った。まるで実力を測ってやると言わんばかりの悠然とした立ち振る舞い。
体幹を取り戻した私は続けて魔法を放つ。
「【風弾・連】!」
不可視の弾丸を打ち込む。連なる魔法は二十発。
しかし、そのどれもがステップだけで躱された。外した魔法が地面に刺さり、土を捲り上げる。
私はこの一瞬の攻防で悟る。実力は向こうが数枚上手だ。
全力を賭して五分に持ち込めるかすら怪しい。こちらの増援を待つべきか────いや、私ならやれる。
「【飛燕】!」
「【牛王加護】」
放った斬撃は堅固な竜の鱗さえ切り裂く一撃。しかし、それも躱されることなく受け止められる。敵の体には傷一つ付いていなかった。せいぜい、外套が破れただけ。人間の堅さを優に超越している。恐らく、先ほど唱えられたのは防御魔法の類なのだろう。
私は歯噛みしながらも攻め手を緩めることなく追撃を掛ける。
上段からの振り下ろし、推進力を利用した蹴り、横薙ぎ払い、後ろ回し蹴り、足先からの【風弾】、突き、斬り上げ。
息つく間もない連撃の全てが避けられ、いなされ、防がれる。
「くっ……!」
体勢を立て直すために後ろに跳躍した私は剣を構えなおす。
対面する【星】は飄々といった様子で首を鳴らした。まるで、準備運動だとでも言いたげに。
「冗談キツイですね……」
「心中お察しするわ。そこそこ腕が立つようだけど……運が悪かったと諦めて」
こんな化け物がエスリアには潜んでいたというのか。
私は焦燥に苛まれながらも分析を続ける。諦めてなどいない。心の火に薪をくべるのだ。
【星】は未だ攻撃のモーションを見せていない。【飛燕】に対して防御の魔法を唱えていただけで、あとは回避に徹している。
狙うなら、そこしかない。
「攻撃はして来ないのですね」
「したいのは山々なんだけどね……」
「ふむ……」
現状、【星】は「攻撃を仕掛けてこない」のではなく「攻撃する手段を持ち合わせていない」と見るのが正しいだろう。つまり、回避や防御に専念する間は攻撃する余裕が無い────ということか。
勝機が見えてきた。
「【風雲の開闢】」
私は捨て身の自己強化を行う。守りを捨て、速度と攻撃に全てを割り振った無双の型。
魔法によって強化された脚力で一足に跳ぶ。
「ハアァッ!」
気合と共に【星】へ切迫。
急速にスピードを上げた私に、さしもの【星】も息を呑んだ。
「閃っ!!」
首を切り落とすための横一閃は躱される。空を切った剣が大気を巻き込んで低音を生み出した。
続けざまに剣を振るう。右、左、フェイント、突き。速さは私の方が上回っている。
私の剣が【星】の動きを捉え始める。
押し通せる────そう私が確信した直後、私は目を疑った。
「【光走】」
魔法を唱えた直後、【星】の動きが目に見えて変化した。私の剣撃は【星】を捉えることができず、またしても速さで置いて行かれた。
攻め手を緩めることはしない。しかし、【星】は余裕をもって私の攻撃を捌ききる。
────次元が違いすぎる。
幼少の頃、剣技を教えてもらってから他人に屈したことは一度たりとも無かった。人であろうと、魔物であろうと、私のスピードについて来ることなど不可能だと思っていた。
しかし、目の前の敵は私が知る誰よりも戦いが上手かった。躱し方も、防ぎ方も、最小限の動きで隙が無い。効率的な戦い方の見本であるかのよう。
初めて喫する敗北の予感に私の身は一瞬、怯んでしまった。
甘くなってしまった踏み込み。弱る剣の軌道。
戦闘に熟達した相手が見逃すはずもなく、私の攻撃は白刃取りで受け止められた。
そして次の瞬間、私の剣は中ほどから折られていた。素手で、純ミスリル製の刀身を、まるで麩菓子を潰すような感覚でポキリと。
ついでに、剣を叩き落とされる。
「化けも────」
引き攣った喉から漏れる悲鳴が最後まで出ることは無かった。
【星】は低い姿勢で懐に潜り込み、ショートレンジ。
「────捕まえた」
気が付くと、私は抱きしめられていた。
場違いなほどに甘い花の香りが鼻腔を擽る。
絶望する私は抗うことすら出来ず、顔がくっつきそうな距離でカラスの仮面に目を奪われる。
「おやすみ────」
首の後ろに衝撃が走る。
私が最後に見たのは翡翠色の────────。
◇
眼前で倒れ伏した騎士の手足を拘束具で縛り、【星】────シルフィ・エリアルは息を吐く。
危なげない戦闘ではあったものの、ミリルの動きには目を見張るものがあった。
「【星】。おつかれ」
戦闘が終わったことを確認した【死神】シノ・デスピアが建物の影からひょこっと顔を出した。
「もうちょっと早く来てよ」
「バスで来たから。やむなし」
「お気楽なものね……」
こっちがバチバチやり合っている間もこの少女はバスに揺られていたのかと考えると、シルフィに要らぬ徒労感がのしかかった。
シルフィは一先ず報告のために耳たぶの通信機を指で弾く。応答したのはアジトに帰還中のロキだった。
『お疲れ様、おかげで逃げ切れたよ。あと半刻もしないうちに服従魔法の効果が切れるから、早々に離脱してくれ。その前に騎士団の助勢が到着するかもしれないけどね』
言いたいことだけ言い残してロキは通信を切った。
服従魔法とは、ロキが使用した人払いの術である。魔法耐性が一定値以下の者に服従を強いる禁忌の外法。ロキがクメズメ市民に下した命令は「十三番通りから離れること」と「怪しい格好をした人間を見ても違和感を覚えないこと」、そして「魔法にかかっている間の出来事は忘れること」の三つ。
つくづく馬鹿げた魔法だとシルフィは苦い顔をする。こんなのが敵にいたら厄介どころの騒ぎではない。
シノは横たわるミリルに近づき、その容態を確認する。反応が無いことを確かめたシノは自身の影をミリルの耳から脳へ伸ばし、侵入させた。ビクン、とミリルの身体が小さく跳ねる。
「この女、手こずった?」
「いいえ、全く。私の手が届く範囲で、この人が脅威になることはないかな」
「でも戦闘にそこそこ時間かかってた」
「初めから殺す気で臨んでいたら、誇張抜きに一秒足らずでこの騎士の身体は粉微塵になってたよ。時間がかかったのは、傷つけないように無力化する隙を伺ってたから。罪なき人間に刃は立てない、これが私たちのポリシーでしょ。相手から襲い掛かってきたとはいえ、正義はこの騎士の方にあるもの」
【星の大鴉】は悪を討つ悪。正義が相手にあるのならば、大人しく身を引かなければならない。
戦闘員であるシルフィは誰よりもそのことを教え込まされてきた。
「面倒だね」
「仕方ない。私たちの真なる目的のためにはね」
「そんなもんか。ん、記憶処理終わったよ」
「お疲れ様。騎士団が到着する前に逃げるよ。捕まって」
「え……一人で帰れる」
「バカ言ってないで。呑気に帰ってたら捕まるでしょ」
「いや、でも、だって────」
シルフィの提案に言葉を濁し始めたシノ。その様子を見たシルフィはやれやれと呟いて、シノの腕を強引に取る。
次の瞬間、シルフィとシノは空を飛ぶ、もとい跳んでいた。
「あ、あわ、あぁ────」
建物の屋根伝いに跳躍するシルフィの背で、ぐるぐると目を回しながら悲鳴を漏らすシノ。一回のジャンプで百メートルほど進むため、その速度と高度は恐怖の一言であった。
バサバサと外套をはためかせるシルフィは、肌を刺す冷たい空気に仮面の奥を顰める。
「寒い……変温魔法を使える人が羨ましい。私もそういう便利な魔法が使えたらなぁ」
「あばば、あばばば────」
十一月下旬の夜は寒い。
早く帰ってアーニャの手料理をゆっくり食べたいものだ、とシルフィは空を駆けながら呟いた。




