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さらば!おうがい君※

五章も十五話となりました。あと少しで完結です。

イラスト、がんばって描いたら少女漫画みたくなったぞ~。

ドレスのおてほんは、でずにーのお姫様です。


「…林太郎?林太郎!」

 

 がっくりと床に両膝をついた林太郎に向かって、エリスは叫んだ。そのまま崩れ落ちそうになる体を支えようと、エリスは林太郎の正面に回った。自分も膝を床について、彼の胸に頭を押し付けて両肩に腕を回した。


「林太郎!お願い、意識を戻して!」


 林太郎を抱きしめ揺さぶりながら必死で叫ぶエリスに、林太郎がうっすらと目を開けた。


「エリス?」

 泣きながら自分の体にしっかりと腕を回しているエリスの頭を、そっと撫でる。


「りん、た、ろう?」

 目に涙を溢れんばかりに溜めたエリスを、柔らかな表情でおうがいは見下ろした。


「エリス。君にやっと会えたね。私はおうがいだ。君の前世の“エリス”の恋人だよ」


「あなたが、おうがい?」


 零れ出る涙を拭おうともせずに、エリスはおうがいを見つめた。


 自分の前にいるのは顔形から体格まで、寸分違わず林太郎である。だが、エリスを見つめるその瞳は落ち着き払っていて、林太郎のものよりも、黒さが際立っていた。


 表情もずっと大人びて、男らしいものに変化していた。大口を開けて無邪気に笑う林太郎とは全く別の微笑みが口元に浮かんでいる。エリスは顔を赤らめて、少しの間、大人の林太郎に見惚れていた。それから慌てた顔をして、おうがいに尋ねた。


「ねえ、おうがいさん!林太郎はどうなったの?林太郎はどこにいるの?!」


「林太郎は、今、この中で眠っているよ」


 おうがいは自分の頭を指差した。それから、不安を隠せない様子のエリスに微笑みながら言った。


「君の不安はよく分かる。でも大丈夫。林太郎の意識が眠っているのは少しの間だけだ。私が君と話を付ければ、彼はすぐに戻ってくる」


「本当ですか?」


 エリスは縋るような表情でおうがいに詰め寄った。その目には怒りと猜疑心が現れ始めている。


「私の中の“エリス”と同じく、あなたも自分の肉体が欲しいだけなんじゃないの?!」


「エリス、それは、違う」


 おうがいは首を振った。


「“エリス”は君の人格を押し退()けて君に取って代わろうとはしない。ただ、君を純粋に心配しているだけなんだよ」


「昼夜構わず私の中に出現するあの子が?信じられない」


 苦しそうに顔を歪めるエリスに、おうがいは悲し気に目を(しばたた)かせた。


「確かに、“エリス”は私とは違うやり方でしか君と意志疎通できない。彼女は君と言葉を交せないから、前世の記憶の映像を見せて、君と交信しようとしているんだよ。だから、君が彼女を拒否すれば、それは全て辛い記憶となって、君の心に刻み付けられてしまうだろうね」

 

 おうがいの言葉にエリスは、はっとした。

 

 拒否。そうだ。私は彼女を拒否している。彼女の弱さ、生き方、その全部を。

 愚かな女だと切り捨てて、自分は絶対“エリス”のようにはならないと、絶えず自分に言い聞かせながら行動してきた。

 

 エリスの目に、涙が溢れた。


「だったら、私は、どうすればよかったの?」


 泣き崩れるエリスを、おうがいは優しく抱き寄せた。


「“エリス”が“エリス”であるように、君は君のままでいい。林太郎が大好きな君でね」


 おうがいはエリスの髪を撫でながら、その頭の上にキスを落とした。


「林太郎は本当に私のことが好きなの?(しと)やかで、純真な“エリス”ではなくて?」


 語尾を震わせて喋るエリスの肩を、背中を、おうがいの手がゆっくりと(さす)った。それはまるで幼子を安心させようとしている父親の手のものだった。


「エリス、不安だったんだね。私が断言する。林太郎が愛しているのは前世のエリスではない。君だ。だから、エリスを受け入れてあげてくれ。君の前世だった少女を」


 おうがいの言葉に、エリスは声を上げて泣いた。エリスが泣き止むまで、おうがいはその体を抱きしめていた。


「エリス。君にも頼みがある。どうか“エリス”に、君の体を貸してあげて欲しい」


「え?」


 驚いて顔を上げるエリスの頬に伝う一筋の涙を、おうがいは優しく人差し指で(ぬぐ)った。


「これは林太郎にも伝えてあることだ。ほんの少しの時間でいい。“エリス”を表に出してくれないかな? 私が彼女に会うことが叶えば、前世の記憶に絡めとられている君の心を解き放つことができる」


 エリスはおうがいの胸に置いた顔を上に向けて、その目を覗き込んだ。恐ろしく真剣な瞳がエリスを見返す。


「…そうしたら、林太郎を、私に返してくれるのね?」


「勿論だよ。エリス、君の愛する林太郎を、すぐにその腕に返すよ」


 おうがいはエリスの両腕を優しく持ち上げて立ち上がらせた。


「私は“エリス”との約束を果たしたいんだ。彼女が死んでしまっても、一度たりとも“エリス”を忘れたことはない。私の肉体が滅ぶ瞬間まで、“エリス”を想っていた。だから、亡霊となって、百年以上もの間、この世を彷徨(さまよ)っていたのだ。エリス、君を見つけたからこそ、私は林太郎に精神を宿した。お願いだ。私を君の中のエリスに会わせてくれ!」


 おうがいの指がエリスの肩に食い込んだ。この痛みには覚えがあった。林太郎がエリスを離さないと叫んで力を込めた、あの指の感触だ。


「おうがいさん。あなたは、“エリス”を、とても愛しているのね」


 エリスは瞳を射抜くような強い視線で、おうがいを見た。おうがいは目を逸らさない。


「ああ。愛しているよ。林太郎が、君を愛しているようにね」


 おうがいの慈しみを湛えた優しい眼差しが、エリスの瞳を貫いた。


「分かりました」


 エリスは意を決して、おうがいに頷いた。


 早く林太郎に戻って来て欲しい。いつもの林太郎に。それだけしか頭になかった。


「それで、どうすれば私の中から“エリス”が現れるの?」


「目を閉じて。全身の力を抜いて。そうだ、エリス。全てを私に(ゆだ)ねてくれ」


 瞼を落としたエリスから次第に体の力が抜けていった。

 おうがいはぐったりとしたエリスをしっかりと抱きかかえた。首を仰け反らせて目を閉じているエリスの後頭部をゆっくりと持ち上げて、その耳元に口づけするようにして囁いた。


「エリス。私だ、林太郎だ。君の元に戻って来たよ。さあ、出ておいで」




 エリスの瞳が開いた。

 顔を持ち上げて林太郎を見る。両手がそろりと持ち上がり、その頬をそっと撫でた。


「林太郎…」


「エリス。やっと会えた」


 林太郎はエリスを両腕に包み込んだ。エリスも腕を伸ばして林太郎に背中にしっかりと回した。


「とても、とても長い時間、君を待たせてしまったけれど、エリス、君への約束を今ここで果そう」


 林太郎はエリスの右手を握りしめ、華奢な腰に左手を置いてゆっくりとステップを踏んだ。




「ペテルブルグの城はそれは荘厳だったよ」


 林太郎はエリスが身を横たえているベッドの脇に腰かけながら土産話を披露していた。

 天方伯のロシア外遊からベルリンに帰って来て二日が経っていた。つわりが酷いエリスはあまり食べ物を口にできずに貧血を起こしている。少しでも体を休ませようと、林太郎はエリスを早くにベッドへと運んで、外遊話を聞かせていた。


「ロシア貴族の盛装はそれは(きら)びやかだった。宮廷に仕える官女達のドレスも贅を尽くしたものでね。豪奢な宮殿の中をドレスの裾がひらひらと舞う姿は天女(ホーリィ)のようで…」


 天女と聞いて首を傾げているエリスの頭を撫でながら、林太郎は言い直した。


「ドレスの裾が、近くの寺院に飾ってある絵画の熾天使(ミカエル)のローブのように、ひらひらと舞っていた」


「ねえ、林太郎。ロシアの貴族のお姫様は、とても綺麗だった?」


 十七歳の少女は、ロシア貴族の淑女の話を目を輝かせながら熱心に聞いている。林太郎はエリスの服に目を落とした。染色もされていない簡素な木綿のドレスだ。清潔ではあるが、洗濯を繰り返した生地はごわついて、生成り色から薄い灰色へと変色していた。


「綺麗か。そうだね。ドレスは綺麗だったよ」


 エリスの頭を撫でている手をそのまま頬へと持っていく。細い顎を指で摘むようにして、林太郎は少女の顔を持ち上げた。


「だけど、君の方がずっと綺麗だ」


 林太郎の言葉に、エリスは目を(しばたた)かせて、うっすらと頬を赤く染めた。


「私が、ロシア貴族のお姫様より綺麗なの?」


「ああ。君の方が数倍綺麗だよ」


 エリスははにかみながら、林太郎の指に自分の指を絡めた。その表情に、愛おしさが込み上げた。林太郎はエリスの体を持ち上げてベッドに座らせた。


「君がロシア貴族ような絹のドレスを着たら、その美しさにどれだけの人が目を見張るだろう」


「私がそんな綺麗なドレスを着たら、林太郎はどうするの?」


「勿論、君とお城の中でダンスするのさ。ロシア貴族達は君と私に羨望の眼差しを向けるだろうね」


 弾けるような笑顔でエリスが林太郎に抱き着いた。林太郎はエリスを抱きしめたまま立ち上がった。痩せてしまったエリスの体をいたわりながら、林太郎は小さくステップを踏んだ。


「いつか君に純白のドレスを着せるよ。エリス。君の金色の髪に赤い薔薇を飾って」


「約束よ。林太郎。その日をずっと待っているから」


 古くて狭い屋根裏部屋で、林太郎はエリスと口づけを交した。

 

 


 林太郎はエリスの腰にしっかりと手を回すと、その細い体を一回転させた。


 制服の濃いグレーのスカートが(ひるがえ)ったかと思うと、一瞬にして丈の長い純白のドレスに変わった。綺麗に結い上げられた金髪は赤い薔薇で飾られている。白いロンググローブを嵌めたエリスの両手に林太郎が手を添えた。林太郎自身も艶のある黒い燕尾服に身を包んでいた。


「さあ、エリス。踊ろう」


 二人が踊り出した空間は薄暗い体育館ではなかった。

 林太郎の記憶にあるペテルブルグの宮殿だ。金箔を施された彫刻で縁取られた豪奢な壁と支柱に囲まれた大広間で、林太郎とエリスはオーケストラが奏でるワルツに合わせて軽やかにステップを踏んだ。

 くるくると身を翻らせてエリスが踊る。ドレスの裾が何度も美しい弧を描いた。




 ふと、林太郎は意識を取り戻した。


 エリスを抱きしめるようにして立っている自分に気が付いた。自分の腕の中に何故エリスがいるのか分からないまま、林太郎はエリスをぼんやりと見下ろした。エリスも寝ぼけたような表情で林太郎を見上げていたが、次第に頭がはっきりとしてきたらしい。


 自分が林太郎に密着しているのに驚いて、顔を真っ赤にして林太郎から飛び退いた。


「私、一体、どうしたのかしら」


「エリス!あれを、見て!」


 こめかみを押さえて頭を振るエリスに、林太郎が体育館の中央を指差した。

 

 そこにはおうがいと“エリス”がいた。


 純白の美しいドレスを着た“エリス”をリードしながら、おうがいが優雅なダンスを披露している。

 “エリス”は美しく澄んだ瞳をおうがいに向けていた。おうがいを見つめる青い瞳には、前世の酷い仕打ちへの怨嗟など微塵もなかった。ただ愛しい者への愛情で満ち溢れているばかりだ。

 挿絵(By みてみん)

 おうがいが“エリス”を大きくターンさせた。

 しなやかに円を描いて舞う“エリス”の美しさに、林太郎とエリスは息を飲んだ。

 小説「舞姫」のなかのエリスが、高貴なものへと昇華した舞の姿を、二人の前に余すところなく披露したからだ。


 それは、おうがいにだけ見せる彼女の愛の舞だった。


 “エリス”の手をおうがいが掴んだ。自分の体に抱き寄せて、その背中にしっかりと腕を回す。“エリス”の小さな顔はおうがいの広い胸に隠れて見えなくなった。

 

 おうがいは林太郎とエリスを見た。


「ありがとう、エリス。君の人生に幸あらんことを願う」

 

 慈愛に満ちた表情でおうがいはエリスに声を放った。“エリス”を抱いたままくるりと一回転する。その背には大きな白い翼が生えていた。

 おうがいは林太郎の顔にしっかりと視線を当てて微笑んでから、悪戯っぽくウインクした。


「林太郎!いい男になれよ!」


 おうがいの声が体育館に響き渡った。

 同時に、両翼が開いた。


 次の瞬間、二人の姿は、煙のように消え失せた。




 後には、体育館の暗い空間だけが残った。


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