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亡霊たち


 三十分間の短いライブコンサートが終わると、すぐに片づけが始まった。

 数人の先生(屈強な体育教師メイン)が体育館に入って来て、アンコールをがなり立てる男子生徒(+(プラス)生田真紀)達を追い払うかのように、強制退去を言い渡したのだった。


 ここが学校という事を考えれば文句も言えず、学園祭実行委員の生徒達と一緒に、大人しく楽器を仕舞い始めるデウカリオンのメンバーである。


「林太郎君、すっごい迫力だったよ~!ライブは大成功だね」


 後片付けを手伝う健吉は目を輝かせながら、林太郎を手放しで褒めた。


「えへへ。そう?」


 照れ笑いを浮かべながら林太郎は頭を掻いた。どこから入って来たのか、部外者である真紀が、田向と柳澤にサッカーボールを突き出してデウカリオンのサインをねだっている。


「お前もデウカリオンのメンバーなんだからサインしろ」と、真紀にボールと油性マジックを押し付けられて、林太郎は希輔達のプロが書くようなサインの隣に“森林太郎”と漢字で書いた。


「おい、森ぃ。何だよ、これぇ?サインしろって言ったのに、フツーに漢字でフルネーム書いちゃって。恰好ワリイな」


「仕方ねえじゃん。サインって、俺、書いたのこれが初めてなんだしさ」


 ぶうぶう文句を言う真紀に困った顔をする林太郎を見て、皆が楽しそうに笑った。


「来年は森君もプロのサインが書けるようになっているわね」


 かおりが微笑みながら言った。


「来年は私は卒業していないけど、今日、高校生活最高の思い出が出来たわ。みんな、ありがとう」


「上倉先輩!自分達こそ素晴らしい思い出を作らせて頂いて、感動の極みでありますっ!」


 かおりの言葉に、生徒会と文化祭実行委員の男子生徒全員が目をうるうるさせている。


「さあ、あと少し頑張って片付けてしまいましょう」


 かおりの号令に、皆がきびきびと動き出す。体育館の床のモップ掃除まで終わらせると、解散になった。生徒会と実行委員は、かおりの予約したカジュアルレストランで、これから打ち上げがあるという。


「俺達もカラオケ店にでも行って、打ち上げしようぜ」


 柳澤の誘いに健吉と真紀が「行く!」と声を張り上げている。


「森、お前はどうする?」


 希輔に声を掛けられてはっとした林太郎は、残念そうな表情で首を振った。


「ごめん。俺、これから用事あるから」


 希輔は鋭い視線で林太郎を見てから「そうか」と言って、他のメンバーを引き連れて体育館を出て行った。健吉が心配そうな顔でちらりと林太郎に目をやってから、デウカリオンのメンバー達の後に付いて歩き出した。




 ぽつんと一人、林太郎だけが広い体育館に残された。


 文化祭が終わって一時間が過ぎた。

 校舎には誰もいなくなった筈だ。次第に薄暗くなってくる体育館で、林太郎は待った。

 

 かたりと、音がした。林太郎は弾かれたように顔を上げた。

 

 一枚のドアがゆっくりと開いて、エリスが入って来た。

 思わず近寄ろうとして、足を止めた。エリスは林太郎から顔を背けていたからだ。両腕も胸の下できつく組んでいる。全身で林太郎を拒絶しているように見えた。


「…来てくれたんだ。嬉しいよ」


 おずおずと話す林太郎の顔を見ないで、エリスが小さく頷いた。視線は床に落ちている。


「健吉君に、泣きそうな顔でお願いされたから。…ここの鍵、どうしたの?」


「そこのドアだけ、鍵掛けたふりして開けておいたんだ。先生に見つかったら、大目玉だな」


 エリスは林太郎に近寄ろうとはしなかった。

 二人の距離は一メートル以上ある。林太郎が急に手を伸ばしてきても逃げられるように、わざと離れているのが分かった。林太郎の胸が締め付けられるように痛んだ。


「教室では、あんなことして…怖い思いをさせてしまって、本当にごめん」


 林太郎は項垂れながらエリスに謝った。エリスは身じろぎしたが、言葉はなかった。

 少しの沈黙の後、林太郎は決意の表情をエリスに向けて言った。


「エリス。君に聞いて欲しいことがある。君の前世の“エリス”の恋人、“森林太郎”の話だ」


 林太郎がおうがいの名を口にした途端、エリスの肩がピクリと持ち上がった。だが、顔の位置も視線も変わらない。


「君が転校して来た日、俺は突然、自分が森鷗外、明治の森林太郎の生まれ変わりだと思い出した。あまりに突然思い出したもんだから、パニックになって、気を失った」


 エリスが驚いた表情で、顔を上げた。そのままゆっくりと林太郎に目を向ける。


「急に後ろを向いて私の名前を叫んで…。あの時が、そうだったの?」


「うん。あの時だ。あんまり格好悪いんで、本当は覚えてて欲しくないんだけれど」


 顔を赤らめて自分の足元に目を落とす林太郎を、エリスは見つめた。


「自分が森鷗外の生まれ変わりだって思い出したのはいいんだけれど、俺の頭の中に、前世の鷗外の意識がはっきりと芽生えてね、それが別人格となって、俺にあれやこれや話しかけてくるもんだから、最初、自分の頭がおかしくなっちまったんじゃないかって、思った」


 林太郎は言葉を切って、エリスを見た。エリスは零れんばかりに目を見開いて、林太郎を凝視している。


「だけど、明治の森林太郎の奴があまりにも理路整然と喋るもんだから、こいつの言う通り、俺の頭に前世の精神が居着いてしまったんだと理解した。同じ名前だとややこしいんで、俺は彼に“おうがい君”って名前を付けて呼ぶことにした。それから五か月間、俺はおうがい君と一緒にいる」


「あなたの前世は、話すことが、あなたと会話することが出来るのね?」


 驚きを通り越した表情をしてエリスが聞いてくる。その瞳は驚愕に揺れていた。


「私の中の“エリス”は過去の映像を見せるだけ。前世の記憶が映像になって昼夜構わず心の中に唐突に押し寄せてくるの」


(君の大好きな両親が離婚したからだ。それで君の心がとても傷付いたから、そうなった)


 林太郎は心の中で呟いた。


「おうがい君も、俺に前世の映像を見せることはあるんだけど、あいつは記憶と一緒に操作出来る能力を持っているから、不必要な映像をところ構わずっていうのは…あまり、ないんだけど…」


 現国の授業中にとんでもない(R18)映像を見せられた林太郎が鼻血を噴いてから、反省したおうがいが、その能力を大幅に自粛したのだ。こんな事、エリスには絶対話せないが。


「それでね、エリス。君がアメリカに帰ってしまう前に、おうがい君が“エリス”について、君とどうしても話がしたいんだって」


「あなたの前世の鷗外が、“エリス”の事で、私と話がしたいですって?」


 エリスは林太郎の言葉をなぞる様に口にした。少なからず不信感がこもった声だ。それが表情にも表れているのを見た林太郎は、只々頭を下げるしかなかった。


「ごめん。前世で、十九世紀のベルリンで、君にあんなに酷いことしたのに、本当に勝手ばかり言って。だけど、とっても重要な話なんだ」


 深く頭を下げる林太郎の目から涙が落ちたのに気が付いたエリスは、林太郎に一歩、近づいて、穏やかな口調になって話した。


「林太郎、あなたは“エリス”が死んだ時の記憶を思い出したのね」


 林太郎は俯いたまま頷いた。


 顔を上げられない。自分の不甲斐なさから馬車に轢かれて死んでしまった“エリス”が可哀そうで、エリスを直視することが出来ない。


「おうがい君にその時の話を聞かせて貰ったよ。俺は、最低な男だった…。あんな酷い記憶を持ったまま生まれ変わってしまった君に、絶望の中、十七歳で命を落としてしまった“エリス”に、どんな償いをしていいのか分からない」

 

 エリスはまた一歩、林太郎に近付いた。手を伸ばして林太郎の肩にそっと手を置く。


「林太郎。鷗外の重要な話って、何?彼は、私と直接話すことが出来るの?」


「ああ。話せるよ。俺の頭の中を、全ておうがい君に明け渡すんだ。そうすれば、あいつが俺の体を使って君と話せるようになる」


 エリスは大きく目を開いて、林太郎の顔をまじまじと見た。


「だけど、そんなことをしたら、林太郎の体が鷗外に乗っ取られてしまうんじゃないの?林太郎がいなくなってしまうなんて、私は嫌よ!」

 

 思わず口走ったエリスの言葉に、林太郎がはっと目を見開いて顔を上げた。涙で濡らした頬を持ち上げて笑顔を作り、自分のすぐ側に寄ったエリスをじっと見つめた。


「大丈夫。俺は、おうがい君を信じているから」

 

 林太郎は深く息を吸って吐き出し、目を瞑った。


(さあ、おうがい君。君の出番だ)

 

 自分の意識がすごい速さで遠のいていくのを感じた。暗く、暖かな漆黒の闇へと、真っ逆さまに落ちていく。


 意識が霧散する直前、林太郎は見た。


 翼を背中に生やした一人の男が自分の脇をすり抜けて、物凄いスピードで上へ上へと昇っていくのを、次第に霞んでいく視野に収めた。



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