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すれ違う二人



 文化祭前日になった。

 

 朝のホームルームぎりぎりに教室に姿を現した林太郎に、健吉が心配で仕方がないという表情を向けてくる。

 

 健吉に向かって「おはよう」と小さく言ってから、林太郎は床に視線を落としたまま、自分の席に向かった。目を少し上に持ち上げて、ちらりとエリスを見る。

 

 林太郎が教室に入って来た直後から、エリスは横を向いて窓の外に顔を向けたままだった。林太郎は音を立てずに椅子を引き、静かに席に座った。自分の項垂れた背中をエリスに向けていると思うと、胸が詰まって息も出来ない。


 予鈴が鳴って、鈴木が教室に入って来た。教卓に両手を置いてクラスの生徒をぐるりと見渡す。


「今日は急なお知らせがあります。残念なお知らせです」


 自分の言葉にざわつき出した生徒を制して、鈴木は話を続けた。


「文化祭の後に、エリス・ワイゲルトさんがアメリカに戻ることになりました。エリスさんから皆さんに挨拶があるそうです」


 大きなどよめきの中、エリスが席を立って教卓に向かった。


 驚きのあまりに猛獣が唸るような真紀の怒鳴り声も、健吉の甲高い悲鳴も、どこか遠くから聞こえてくる雑音としか耳に入らなかった。エリスが自分の脇を通って教卓の前に行くのを、林太郎はぼんやりと目で追った。


「あまりにも急なので、皆さんもびっくりなさっていると思います」


 エリスの声が耳に入ったのは最初だけで、後は何を言っているのか分からなくなった。寂し気な笑みを口元に浮かべて話しているエリスをじっと見つめる。


 一瞬、目と目が合った。はっとした林太郎に、エリスは二度と視線を向けなかった。


「…というわけでアメリカに戻ることになりましたが、この数か月間の日本での高校生活は、私にとってかけがえのないものになりました。明日の文化祭を最後の思い出として…」


 最後。


 エリスの口から零れ出た残酷な言葉に、林太郎は顔を上げていられなくなった。


(こんなところで泣いたって、エリスに呆れられるだけだ)


 熱くなる目頭を乱暴に手で擦り、歯を食いしばる。おうがいが((林太郎))と、小さく自分の名を呼んだ。


 その、優しさが溢れる悲しい声に、林太郎は(大丈夫だよ)と応答し、机に顔を向けて微かに微笑んだ。


(おうがい君、大丈夫。俺は、大丈夫だから)




 明日の文化祭の準備で午後の授業はない。

 二年三組は社会問題の発表があるので、教室の机を別の場所に移動させなければならなかった。

 

 運搬役に選ばれた体格の良い男子生徒が、教室から机を抱えて旧校舎の空き教室へと運び入れる。結構な重労働だが、エリスの前に座って授業を受ける苦痛から解放された林太郎は、率先して机を運んだ。


「あ、そうだ。林太郎君、希輔(まれすけ)君から言伝(ことづて)頼まれたよ。机を運ぶのが終わったら、すぐにロック同好会に来るようにって。曲の最終打ち合わせがあるって」


 天板を重ね合わせて机を二つ運んでいく林太郎に、健吉がレポートの模造紙を壁に張りながら声を掛けた。


「分かった」


 エリスを見ると、真紀やくらら、坂本達と発表の打ち合わせをしていた。何でも、社会問題を文化祭で発表せよ提起した校長が、担当になったクラスに直接出向いて学生から説明を受けることになっているらしい。

 校長が生徒の間近に来ることなど滅多にないから、担当となった坂本達はレポートの説明の手順を必死で頭に叩き込んでいる。


 その輪の中に自分がいない寂しさを噛みしめながら、林太郎は無心で空き教室に机を運んだ。

 

 空き教室から帰ってくる途中の空中廊下で鈴木教諭に会った。


 会釈して通り過ぎようとすると、「森君、ちょっと」林太郎に手招きする。


「何でしょうか」


 林太郎は、鈴木の前で立ち止まった。


「うん。君の、成績のこと、なんだけれどね」


「はい」


 自分の顔を見つめて立っている林太郎に、鈴木はぼそぼそと喋り出した。


「九月始めに英語と数学、二科目の実力テストがあっただろう?森君の成績が、その、あまり、思わしくなくってね」


「ああ…」


 確かに、夏休みはデウカリオンのボーカルの練習に明け暮れていた。宿題は済ませたが、それ以上の勉強はしなかった。それが如実にテスト結果に現れたらしい。


「すいません。ちょっと勉強に身が入らなかったものですから」


 鈴木は困った顔をして、謝りながら自分に頭を下げる林太郎を見た。


「森君、僕は君の担任だけど、多少成績が下がったからって君に謝られることなんて、何一つないから。

本当は、僕もこんな話するのは嫌で仕方がないんだけれどね。君はこの岨野山田高校始まって以来の優秀な生徒だから、かなり期待していらっしゃる先生方も多いんだよ。特に上の立場にいる先生なんかはね。だからまあ、僕も学年主任として立場上、君に意見しなくちゃいけなくって」


「はあ」


 言葉を慎重に選びながら、鈴木は成績の下がった林太郎を注意した。


 どうしても二年生時は気持ちがだれるから、もう少し気を引き締めようとか。あと一年半で国立の大学受験だとか。


(俺の成績が落ちて、カツ入れるように校長に突き上げ食らったってわけか。学年主任って、中間管理職みたいなもんだからな。大変だな)


 表情だけ真面目に取り繕って、林太郎は適当に鈴木に相槌を打っていた。


「君が、ロック同好会に入ったのを心配している先生方も、少なからずいてね。その、彼らは、不良だから、あまり深く関わらないようにと」


「え?」


 鈴木の話がデウカリオンのメンバーに及んで、林太郎は目を剥いた。


「先生、あいつらは不良じゃありませんよ。ただ、ロック(メタル)が好きなだけで」


 林太郎の言葉に鈴木も同意したように頷いものの、困り切ったように口元を歪めた。


「分かっているよ。だけど、基準は人によって変わるから。上にいる人は、特にね」


 林太郎は首を九十度に曲げて俯き、自分の足元に目をやった。握った手に力を籠める。


「…ばかにすんな」


「え?何?」


 林太郎は俯いた顔を元に戻して、(まなじり)が持ち上がった目で正面の鈴木をじっと見据えた。


「先生、すいません。俺、岨野山田高校始まって以来の、期待外れな生徒になるかも知れません」


「もり、くん?」


 唖然とする鈴木に、「失礼します」と言って、林太郎はロック同好会に向かう為に踵を返した。


 まっすぐに背を伸ばし、肩を怒らせながら大股で自分の元を去って行く林太郎を見送りながら、鈴木は眉を思いっ切り下げて溜息をつき、自虐的な苦笑を浮かべた。


「あーあ。やっちゃったよ。これで校長先生にどやしつけられるの決定だな。でもね、森君。僕は君の“期待外れ”に、大いに期待しているからね」 




 文化祭当日になった。

 午前九時から午後三時半までは岨野山田高校の校舎は一般に開放される。

 土曜日ということもあって、他校生や親に連れられた小学生などが、売店やお化け屋敷を回ってはしゃぐ姿がそこかしこに見られた。

 岨野山田に進学を希望する中学生の姿も多かった。共学の文化祭に訪れて、イケメン男子学生や可愛い女子生徒の姿を目の当たりにして憧れを抱き、志望校を決める生徒も少なからずいるだろう。

 そういった点では、林太郎や上倉かおりなどは、大いに母校に貢献してると言えるだろう。



「暇、だねえ」


「まあ、仕方ないよな」


 健吉と林太郎は廊下の窓から顔を突き出して、ぼんやりと隣のクラスを眺めていた。

 社会問題のレポートの説明を持ち回りですることになっているのだが、硬いテーマのせいか殆んど人が入らない。林太郎達二年三組の両隣、二組と四組はお化け屋敷と喫茶店をくじで見事引き当てていた。


 日曜に開催される高校の文化祭とあって、岨野山田校内は大変な賑わいを見せていた。

 二組のお化け屋敷には大勢の小学生が歓声を上げていて、四組の喫茶室ではパティスリー・ニシモトのケーキが食べられるとあって大変な盛況ぶりだ。


 両隣の賑やかさとは正反対の、自分のクラスのあまりの静けさに(わび)しさを覚えながら、暇を持て余した林太郎は椅子に背をもたれ掛けさせて、足を組んで揺らしていた。


「あ、ここよ」


 他のクラスの数人の女子生徒が教室に入って来た。健吉が「お客さんだ~」と嬉しそうな顔をして椅子から立ち上がろうとしたが、女子生徒達が林太郎に寄って行くのを見て、再び椅子の背もたれに腕を預けた。林太郎が目当てだと分かったからだ。


 自分を取り巻いて喋り始めた女の子達を無視して林太郎は立ち上がり、健吉に「ちょっと便所行ってくる」とぶっきらぼうに告げると、教室を出た。後には、ぽかんとした健吉と女子生徒が残された。


 校舎の廊下をあてどなく歩いた。

 皆、笑顔を輝かせて文化部の催し物を見て回っている。彼らの楽し気な表情を自分の目に収めながら、林太郎は虚ろな表情でエリスの姿を探した。真紀達と他の教室に遊びに行っている筈なので、一つ一つ教室を覗いて回る。

 どこに行ってしまったのか、人で溢れ返っている教室と廊下をいくら探しても、エリスの姿はなかった。


 明日にはもう、この学校からエリスの姿は消えてしまう。


 自分の前から、エリスは姿を消してしまう。


(だから。その前に、どうしても伝えたいことがある)


 エリス。


 口の中でその名を呼ぶと、林太郎の目が潤み、胸に熱いものが込み上げてきた。


(君と、君の中にいる”エリス“に聞いて欲しいことがある)


 林太郎は廊下の端まで行ってから校舎の一階に降りて行った。一学年の教室にもエリスはいなかった。

 三階に上がると上倉かおりの姿があった。


 慌てて回れ右しようとして、かおりに捕まった。ライブでお世話になっている生徒会長を、教室にやってきた他のクラスの女子のように無下に扱うわけにもいかず、林太郎はかおりと暫く会話する羽目になった。


 かおりから解放されて時計を見ると、既に三十分近くが過ぎていた。いくら社会問題が人気がないとはいえ、いつまでも健吉一人に任せているのも気が引ける。

 林太郎は自分の教室に戻ることにした。途中でエリスにばったり会わないかと期待したが、やはり姿はない。


(もしかして、家に帰っちゃったのかな。いや、まさか。だって昨日、文化祭を最後の思い出にするって言ってたもんな)


 教室に入ると、さっきと同じように、健吉が一人でだらんと椅子に腰かけていた。

 林太郎の姿に、「あ、林太郎君、お帰り~」と、気怠げな表情を向けた。健吉の様子は、誰一人として説明を聞きに来た人がいないのを物語っていた。


「健吉、ずっと一人だったのか?」


「うん。さっき、林太郎君がトイレに行っちゃったでしょ。そうしたらすぐに女の子達も教室出て行っちゃって。それから僕一人。咳をしても、鼻をすすっても、ずっと一人だったんだよ~。誰も興味を示さないで素通りしていっちゃうんだよ?あんなに頑張ってレポートを仕上げたのに。悲しいよ~」


「…そうか」


 顔をしょんぼりと俯かせる健吉を見て、林太郎も切なくなった。お祭り騒ぎの文化祭で、世界の貧しい子供達の現状を伝えようとしたって、無理があるのは重々承知している。


(だけど、こうも関心を持たれないと、何だかなぁ)


 林太郎は壁に貼ってあるレポートと、がらんとした教室を見渡した。エリスの寂しそうな顔が目に浮かんでしまい、はっとする。


「そうだ。あのさ…エリス達はどこに行ったか、知ってる?」


 林太郎の質問に、健吉は目を見開いた。


「エリスちゃんなら、今から十分くらい前に真紀ちゃんと一緒に教室に戻って来たよ。エリスちゃん、林太郎君がどこに行ったか聞いてくるから、すぐ戻るよって言ったんだけど…林太郎君、なかなか戻ってこないから、待ちくたびれて、真紀ちゃんと出て行っちゃった」


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