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岨野山田高校の有名人Ⅱ


「おい、今、何て言った?」


 林太郎が歯を剥き出してドラムの生徒に向き直った。

 見る間に(まなじり)がきりきりと持ち上がっていく林太郎の形相に、健吉はますます青くなった。


「あれぇ?お前、自分が今、全校生に何て呼ばれているか知らないの?だったら、もう一回言ってやるよ。“鼻血王子”様」


 ドラムの男子に腕を振り上げて突進しようとする林太郎を、健吉は両腕を衝立のようにして必死に抑えた。


「林太郎君、こんなところで喧嘩しないでよ~。先生に見つかったら大変だよ~」


「柳澤、お前も森にケンカなんか売るな。好機到来とばかりに、アイドル同好会の三年に先生にチクられるのが席の山だ。俺達の活動が停止させられでもしたらどうするんだ」


「確かにそうだな。森と殴り合いのケンカをして、隣の奴らに利を与えるような愚かな真似をするつもりはない」


 希輔に柳澤と呼ばれたドラムの生徒が、ふんと鼻を鳴らした。


「謝れというなら謝ってもいいけど、鼻血王子という名称は俺が付けたんじゃないからな」


「まあ、そうだろうな」


 林太郎は怒りを収めようと、振り上げた腕を胸の前できつく組んだ。それから登校途中に、いつも女子に取り巻かれている林太郎の姿を薄暗い目で()め付けながら校舎に向かう大勢の男子生徒を頭に思い浮かべた。


 鼻血を噴いた時点である程度噂になる覚悟はしていたが、変なあだ名で学校中に伝わるとまで想像していなかった。がっくりと肩を落とす林太郎の前で健吉がおろおろしている。


「小学生じゃあるまいし、鼻血を出したくらいで騒ぐ奴らもどうかと思うが、何せお前はこの高校の有名人だからな。気持ち良くはないだろうが、放っておけばそのうち誰も口にしなくなるさ。それでもしつこく囃し立てる奴がいたら、俺がそいつを黙らせてやるよ」


 野木希輔。明治の陸軍大将の生まれ変わりは、なかなかの(おとこ)である。


「…そりゃ、どうも」


「わあ、希輔君、カッコイイ!悪い奴から林太郎君を守ってあげてね」


 健吉が嬉しそうに手を叩くのを見て、林太郎の口がへの字に曲がった。


((良かったな、林太郎。天下の乃木将軍が味方してくれるとは、大変心強いではないか))

 嬉しそうなおうがいに、林太郎は心の中で犬がガウガウと噛みつくように怒鳴った。


(もとはと言えば、お前のせいじゃないかっ!授業中に破壊的なエロ回想しやがって)


((まあ、まあ。やらかしちまったもんはしょうがない。鼻の両穴から派手に血が噴き上がったお陰で、お前の下半身の状態には誰も気が付かなかったのだ。“鼻血王子”くらいのあだ名で済んで良かったではないか))


 まるっきり他人事であるかのようなおうがいに、林太郎は瞬間湯沸かし器の如く頭に血を登らせた。


(アレが誰かに知れて見ろ!俺はすぐさま今の人生を終了させて異世界に転生しなければならなかったんだぞ!もう出てくんな、クソジジイ!!)


 しかし、鼻血王子とはよく言ったものである。


 誰が付けたか知らないが、そのネーミングセンスに反応した大多数の男子生徒が喜々として学校中に広めていったのは、間違いないだろう。

 高校入学以来、健吉以外の人間には隙を作る事のなかった林太郎だが、普段、女子に取り囲まれてちやほやされているのが仇となったようだ。


 少しでも自分の味方をしてくれる人間(男子)がいるのは正直有り難い。だが、鼻血を出した事情が事情だけに、素直に喜べない林太郎である。


「なあ健吉。野木が意地の悪い奴らを(いさ)めれば、“ご免なさい森君を鼻血王子なんてふざけたあだ名で金輪際呼びませんお許して下さい”って、なるのか?こいつの腕っぷしは全くもって強そうには見えないけどな」


 健吉の目には、不貞腐れて偏屈な言い回しをする林太郎がひどく怯えているように映ったらしい。健吉は林太郎の両腕をぎゅっと掴んで、思いっきり優しげな表情をした。


「大丈夫。林太郎君は怖がらなくていいんだよ。だって、岨野山田高校の超有名人(スーパースター)から注意を受けた生徒が態度を改めないと思う?」


「すうぱあすたあ?」


 林太郎が健吉の言葉を変なイントネーションで繰り返した。


(旧校舎の片隅でバンドの練習している、こいつらが?学園祭での演奏で全校生にちょっとは名前が知れているっていう事かな)


「へえ、こいつ、俺らの事、全然知らないんだ?」


 林太郎の反応に柳澤が呆れ返った声を出した。よほど気に障ったらしく、希輔の隣にいる男子生徒もあからさまに不快な表情で林太郎を睨み付けている。


「まあまあ、田向(たむかい)、そんなにこいつを睨み付けるな。仕方ないさ、森はT大医学部現役合格に向けて勉強で忙殺されている日々を送っていからな。クラスの違う生徒の噂など気に掛けている暇はないだろう」


 そう言って、希輔は神妙な顔を林太郎に向けた。庇ってくれているのか、それとも嫌味なのか、判別がつけ難い。


「そうだよね。林太郎君は勉強で忙しくて他の事には目がいかないだろうけど、希輔君達のバンドは今、世界から注目浴びているんだよ!」


 瞳を輝かせながら喋る健吉に林太郎は困惑した。


「世界で、て?」


(ぼろ校舎の隅っこでエレキをがなり立てているこいつらが?)


「デモで作ったCDが有名な音楽プロデューサーの目に留まって、スポティファイで流して貰えることになったんだ。それが結構、評判が良くてね。特に欧米でファンが増えている」


 希輔の話に、林太郎は「へえ」と間の抜けた合いの手を入れた。


「実は大手プロダクションからプロデビューしなかとの申し入れも来ているんだが、ここの高校は在校生のプロ活動は禁止されているんだ。今更どこかの私立に編入するのも億劫だし、俺達は岨野山田が気に入っている。慌ててデビューしてその後鳴かず飛ばずというのもよくある話だ。卒業までの時間はバンド練習と作詞作曲に費やして、ゆっくりやって行こうというのが今の俺達のスタンスだ。(ちな)みに、お前は俺達のバンド名を全く聞いてこないから、こっちから教えてやろう。“デウカリオン”という名のバンドだ」


「はあ」


「なあ、相沢、森と話しているとムカつく感覚に陥るのは、俺の気のせいだろうか」


「うん、気のせいだよ、希典君」


 林太郎の人を小馬鹿にした態度に慣れ切っている健吉が希輔に断言した。


「よく分かったよ。野木達はすぐにプロとしてやっていける実力を持ったバンドなんだろう?」


「まあ、そういう事だな」


 希輔が長々と説明した言葉をそのまま要約して返しただけである。それを称賛と受け取って相好を崩す希輔を眺めながら、何て単純な奴らだと林太郎は心の内で嘲笑った。


「ところで、森林太郎。お前は伸びのあるいい声をしているな。練習すれば低音も高音も難なく出せそうだ」


「あ、そう?えへへ、そりゃあ、どうも」


 他人からは顔と成績のしか褒めて貰ったことのない林太郎は、(たちま)ちのうちに希輔どころではない崩れ切った表情になって、頬を赤らめ照れ笑いで頭を掻いた。


「実はボーカルを探しているんだが、なかなか俺の目に叶う奴がいなくてな。これはと思って声を掛けても、レベルが高過ぎるからと尻込みされる。どうだ森、ちょっとやってみないか」

 

 希輔の誘いに健吉が林太郎より早く反応した。


「わあ、いいじゃない。林太郎君はルックスもいいし、バンドのボーカルって、すごく似合ってるかも。カッコイイよ!」

 

 カッコイイ。


 その言葉をどれだけ切望していただろう。

 林太郎は頭の天辺から爪先まで、健吉の放った「カッコイイ」であっという間に埋め尽くされた。

 

 スポットライトの眩しい光を一身に浴びながら、ステージの中央で希輔達の演奏をバックに華々しく歌う自分を、特等席からエリスが恍惚の表情で見つめている光景を想像する。


(これだ。俺みたいなイケメンのナイスボイスがロックバンドのボーカルをやらなくてどうする!それも野木達は高校を卒業したら世界デビューするんだぞ。瞬く間にロック界のスターダムにのし上がれるではないか)


 他人のふんどしで横綱を目指すような計画が、林太郎の頭に出来上がった。

 

 あれ、あなたはT大の医学部に行くんじゃなかったの?と首を傾げたいところだが、エリスに恰好良い姿を見せたい思いで頭が一杯の林太郎には、万年(かずとし)どころではない滅茶苦茶な進路変更に何の抵抗も感じないでいた。

 まさに恋は盲目。見えない上に、爆走状態である。


「いいよ。俺、ボーカルやるわ」


 あっさりと引き受けた林太郎の手を、希輔はがっちりと握りしめた。


「よし。武士に二言はないからな。森林太郎、今日からお前は俺達のバンドのメンバーだ」


 希輔はエレキギターを持ち直して、ピックを弦に軽く当てた。


「それでは手始めに、俺達の音をお前の耳に叩き込むところから始めようか」


 希輔と田向、柳澤が息を合わせる。ワン、ツー、スリーと小さな掛け声の後。


「DEA――――――TH(デ―――ス)!!」

 

 電動鋸(チェインソー)で胴体をぶった切られる人間の断末魔の如き希輔達の絶叫と、エレキ&ドラムの高速演奏の大音響が林太郎を襲った。



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