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部活に入ろう


 林太郎は丸椅子に座って、井坂から渡された冷たい濡れタオルを自分の鼻梁に押し当てていた。

 今週に入って三度目の保健室である。


「体調が悪いなら無理して学校に来なくていいんだぞ」


 胸のあたりが血でべったりと汚れている自分のワイシャツを井坂が畳んでビニール袋に入れるのを、林太郎はぼうっとした表情で見ていた。

 ワイシャツは可愛い方で、健吉がバックパックと共に届けてくれた現国の教科書とノートは、まるで惨殺された被害者の遺留品のような凄まじい状態になっている。


「ひははへんへい。ほうはなひはほはひはしは」


「…何を言っているのか皆目見当がつかんのだが」


 林太郎は濡れタオルを膝に置いて、両方の鼻の穴から脱脂綿を取った。


「もう鼻血は止まりました」


「そうか?もう少し脱脂綿で栓をしておいた方がいいんじゃないのか?」


「いえ、大丈夫です」


 どんなイケメンであっても、両方の鼻の穴に脱脂綿を突っ込まれていては、ただのお笑い要員である。 

「しかしまた、随分と大量に出血したな。原因となる心当たりはあるのか?脳外科で精密検査してもらったほうがいいかもしれんぞ」


「いや、本当に、のぼせただけですから」


 原因は分かっている。チョコレートの食べ過ぎだ。それからおうがいの…。


(どっちも恥ずかし過ぎて、口が裂けても言えないけどな)


「井坂先生。俺、今日も早退していいですか?」


「そうしなさい。実はもう鈴木先生の車で送って貰えるように手配してある」


 ぐったりとした林太郎に、井坂は心配そうに頷いた。

 有難いことに林太郎の家庭の状況を配慮してくれているらしい。健吉がバックパックと一緒に持って来てくれていた体操着を着ると、林太郎は保健室まで迎えに来た鈴木と一緒に校舎を出た。

 

 車だと十分もしないで自宅に着いた。

 マンションの前で鈴木にお礼を言ってから、林太郎はいつもは使わないエレベーターで三階の自分の家に向かった。家に入ると林太郎は物凄い勢いで自分の部屋に直行して、荒々しくドアを閉じた。

 

 家で一人、さみしいと思う時もある。

 しかし今、この狭い2LDKのマンションの中に一人だけというのが、どれほど有り難く、救われる状況であるかを林太郎は噛みしめていた。



((林太郎や、今日は大変な一日だったのう))


 頃合いを見計らったおうがいが、おずおずと林太郎に話しかけて来た。


「全てきさまのせいだろうがぁー!好々(こうこうや)を演じて許しを乞うても無駄だからな!」


 林太郎は座っていたベッドから立ち上がってゴミ箱に丸めたティッシュを放り投げると、両足を踏み鳴らした。


「それに、まだ午前十時だ!今日という日は十四時間も残っているんだぞ」


((まあ、そう怒鳴らずに。怒るとまた鼻血が噴き出しちゃうよ。それからちゃんとパンツ履こうね。誰も見ていなくたって、お尻丸出しじゃ恰好悪いよ))


「き、きさまに言われんでも、履くわっ」


 林太郎は急いで下着とスラックスを引き上げた。


「おうがい!お前のせいで、クラスで二度目の醜態を晒してしまったではないか!それも、今回は両方の鼻の穴からの大出血だぞ!」


 ぎゃあぎゃあ怒鳴る林太郎におうがいは不貞腐れた声を出した。


((余は、お前に寸止めを食らったのだ。おあいこじゃん))


「ふざけるな!学校での立ち位置が危うくなっちまっただろ。俺は中学の時から血の滲むような努力をして、やっと今の地位を築き上げたんだぞ。一体どうしてくれるんだ!」


((立ち位置って何?林太郎はそういうの嫌いなんじゃなかったの?))


 逆におうがいに突っ込まれて林太郎は言葉に窮した。


「あ、いや、そう、なんだけど」


((君は今までみたいに女生徒に囲まれながら男子生徒の羨望の眼差しを浴びたいんだ。それでいてエリスと両想いになりたいんだ。それってかなりご都合主義だよね?))


「いや、だから、そんなんじゃない、から」

 おうがいに痛いところを突かれた林太郎はますます口籠った。


((だったら、いいじゃない。林太郎、君はエリスだけを見ればいい。だって君はエリス一筋なんだろう?あんなに可愛くて賢くて心根の美しい少女は世界中探したってどこにもいないよ。そのエリスと恋人になれれば、他に何もいらないじゃないか。鼻血を噴いて女生徒に引かれるくらいが君には丁度いいんだよ))


「そうか、そうだね。おうがい君の言う通りだ!」


((ふふふ。女子とお茶したこともない童貞小僧めが。完全に余の術中にはまりおったわ))


 おうがいに忍び笑いを漏らされているのにも気が付かないで、林太郎は拳を握りしめ、きらきらと目を輝かせて天井の照明を見上げた。


「俺にはエリスしかいない…んだけど、どうやったら彼女を振り向かせることが出来るのかな」


((それにはやはり、エリスの関心を買うことが先決だ))


「鮮血?」林太郎は首を傾げた。


((先決だ。ここは一つ恰好良いところをエリスに見せねばならん)) 


「カッコイイところって…。鼻血噴いたばっかりで何も考えが浮かばないよ」


((気持ちは分かるが、鼻血からは、一旦離れようね。幸い、エリスはお前の後ろの席だ。物理的観測からすれば、鼻血はエリスの視界には全く入らなかったであろう))


 物理的観測からすれば、もっと恥ずかしい状態であったのだが。おうがいはその思考を林太郎の頭からさっさと排除した。


((例えば、部活に入るとか。それにはやはり運動部が良いであろう。お主、中学時にサッカー部に所属していたくらいだから、運動神経は悪くないのであろう?サッカー男子は女生徒に人気があるのではないか?))


「そうかも知れないけど、高校入ってからはボールに触るのって、体育の時だけだしな」

 林太郎は顎に手をやって暫し考えた。


「成績上位って、恰好良い部類に入らないかな。それだったら、今のままでいい訳だし」


((安易だぞ、林太郎。社会に出たら学校の成績など通用せんのだ))


 おうがいは林太郎をしみじみと諫めた。


((今はいいんだぞ、今は。だがな、おっさんになってみろ。法事の時にしか顔を会わせない親戚の婆さんどもに“○○ちゃんって学校の成績は(・)良かったのよねえ”と、嫌味にしか聞こえない褒め言葉を口にされて腹を立てるのが関の山だ。それにこれからはA・Iの時代になると上田万年(かずとし)も言っていたではないか。いくらお前の頭が良くてもA・Iには敵わない。それどころかお前のような人間こそがA・Iに職を奪われる時代が来るのだぞ))


「うわぁ。格好良いどころか、随分と暗い話になってきたな」


((まあ、それはさておき、青春を力一杯謳歌している男子(おのこ)の姿こそがエリスの心を捕える。余が言いたいのはそれだ。転生前のエリスの恋人だった余の助言(あどばいす)に間違いはない。だから林太郎、部活に入って青春の汗を流すのだ))


「でも、部活を始めるとエリスと一緒に帰る計画がおじゃんになってしまう」


 しゅんとした顔の林太郎に、おうがいが新たな知恵を授けた。


((ならばエリスに部活のマネージャーを頼んだらどうだ?エリスは家事一般、特に裁縫は得意だから、ユニホームの破れなどを嫌がらずに繕ってくれるだろう))


「それはいい!俺はお世話されるのは得意中の得意だからな」


 林太郎は誇らしげに笑うと、拳を天井へと突き出した。


「そうと決まれば、明日にでも運動部に入るぞ!」


 力強く頷いた林太郎はそのままベッドに転がって、昼飯も食べずに爆睡し、起きた頃には辺りは真っ暗になっていた。


「うわ、ヤベェ。また寝過ぎちゃった」


 林太郎は慌ててバックパックから大量の鼻血で汚れたワイシャツを取り出すと風呂場に持って行った。 こんなものが母親の目に入ったら大変だ。チョコレートの食べ過ぎが原因と分かっているので、ばれたら大目玉を食らうだろう。

 

 証拠隠滅しようと血染めのワイシャツを風呂場でごしごし洗っていた林太郎だったが、普段より早めに帰宅した恵子に見つかって悲鳴を上げられた。


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