グレートインパクト
(エ、エリス!何で、ここに?!)
驚き過ぎて零れるばかりに目を見開いた林太郎の顔をさっと一瞥してから、エリスは健吉ににっこりと微笑んだ。
「うん。ここら辺じゃ有名だよ。学校の途中の商店街にあるんだ」
健吉が何故か困り切った表情でエリスに笑顔を返した。
「何だ、この外人の女は?」
身を固くして喋らなくなった林太郎から、顰め面のままで万年がエリスに顔を向けた。
目の覚めるようなエリスの美しさを目の当たりにして、万年は目をぱちぱちと瞬きさせながらその顔を見つめた。万年に見つめられたエリスも、大きな青い瞳を彼の正面に据えた。
途端に、火で焙られたように万年の頬が真っ赤になった。
「相沢君。この見目麗しい異国の女性の方は、どちら様でしょうか?」
瞬時に丁寧語になった万年に健吉が説明する。
「エリス・ワイゲルトさん。アメリカから岨野山田高校に昨日転校して来たんだ。僕と林太郎君のクラスメイトだよ。エリスちゃん、彼は上田万年君。駅の反対方向にある帝峰学園に通っている高校二年生だよ」
健吉に紹介されたエリスが万年に向かって丁寧にお辞儀をした。
「エリス・ワイゲルトです。健吉君のお友達ですね。よろしく」
未だ呆けた表情で立ち竦んでいる林太郎に、健吉が説明を始めた。
「あのね、林太郎君。エリスちゃん、清掃の時間になってやっと目を覚ましたんだって。僕がエリスちゃんの鞄を保健室に届けに行ったら、エリスちゃんが家まで一人で歩いて帰るってきかないっていうからさ、心配した井坂先生に付き添いを頼まれたの。帰り道は一緒だから」
「「帰り道が一緒?」」
林太郎と万年の口が同時に動いた。
「そう。あの駅前のタワーマンションの最上階に住んでいるんだって」
「それはすごいな」
都心の超一等地ほどではないが、再開発された駅前は地価がかなり上昇している。タワマンの最上階であれば、その値段は億は下らないだろう。
(エリス。君はこの世界ではお金持ちの娘に生まれ変わって、優雅な生活をしているんだな)
林太郎の胸に熱いものが込み上げた。
自分と出会った頃のエリスはベルリンの貧困層地区で母親と二人で暮らしていた。
恐ろしく古い石造りの建物の一番端に、レンガを積んだだけのかまどと狭い台所、それから小さな部屋二つの住居だ。
どこもかしこもえらく古びていたが、それでも自分の部屋に花を飾り、その横に佇んで自分をはにかみながら見る少女の姿は、林太郎の目にどれほど切なく映ったことか。
それはさておき。
「で、健吉。お前はいつから、そこにいたんだ?」
恐る恐る林太郎が聞いてみると、健吉の顔が今まで以上に引き攣った。
「そ、そうだね~。ええ、と…」
「兄貴の秘蔵□□□□□□□ファイルあたりからかな?」
口籠る健吉に代わって、エリスが微笑みを崩さずに言った。
「それから、△△が×××したらこうなったと、○○さんが☆☆☆と、あとは■録濡」
「スト―プッッ!!」
目の前で轟いた雷鳴に恐怖し耳を塞いだ格好で、林太郎は絶叫した。
要するに、エリスに全て聞かれていたということだ。
「森さん。あのような会話は、住宅が立ち並んだ公道で怒鳴り合いながらするものではありませんよ。健全な市民の方から変質者と見なされて、警察に通報されますよ」
エリスはにこやかな表情で恐ろしい言葉を放った。
林太郎と万年はゆっくりと辺りを見回した。
幼稚園バスのお迎え時間帯なのだろう、赤ん坊や幼子を抱えた若い主婦たちが身を寄せ合って、怯えた表情で林太郎と万年の様子を窺っている。
「あ、どうも、お騒がせしました」
ぺこぺことお辞儀する林太郎に、若い主婦が顔を赤らめながらくすくすと笑った。自分達に丁寧に頭を下げて謝るっている高校生が超イケメンと気付いたからだ。
林太郎は爽やかな笑顔を主婦に振りまきながら、腕を組んだままふんぞり返っている万年の腕を掴んで速足で歩き出した。
公園の角を少し曲がって主婦の集団が見えなくなるところまで来ると、林太郎は万年の腕を棒きれでも投げるように離し、その顔に向かってがなり立てた。
「この馬鹿!お前のせいで若いお母さん方から危うく変質者扱いされるところだったじゃないか!」
「はあ?何、言ってんだ。猥談を仕掛けて来たのはきさまが先だろうが」
万年が飄々(ひょうひょう)とした顔で林太郎に事実を告げた。
「うるさい!お前が俺の前に現れなければ、あんな惨事は起こらなかったんだっ!」
頭に血が上った林太郎は拳を握り腕を振り上げて万年を殴ろうとした。
「だめだよ林太郎君、亀ちゃんを殴らないで!エリスちゃんがびっくりしてるじゃないか」
気弱な声を出しながら、健吉が林太郎と万年の間に割って入ってくる。
(あ、そうだ、エリスがいるんだった)
狼狽しながら腕を下ろすと、林太郎は少し離れて立っているエリスにそっと目をやった。
エリスは顔に何の表情も浮かべることなく林太郎を見ていた。
少し瞬きが早い。林太郎の乱暴な様子を見て、怖がっているのは明白だった。林太郎はエリスを見ていられなくて目を逸らした。
エリスにこれ以上、恰好の悪いところは見せられない。
「…ごめん。つい、かっとなって」
林太郎は万年に渋々謝った。謝ったはいいが、その後どうしていいか分からずに、口を噤んだまま俯いた。
エリスは地面から視線を離さない林太郎と、その隣でおろおろしている健吉、それから自分を無遠慮に眺め回している万年の顔を交互に見つめた。誰も言葉を発することもなく、気まずい空気が流れていく。
「私、帰るね。健吉君、送ってくれてありがとう」
エリスが静寂を破り、健吉に手を振って歩き出した。
「あ、うん。さよなら、エリスちゃん。気を付けて帰ってね」
重い雰囲気の中、健吉が努めて明るい声を出す。すたすたと歩き出したエリスの後ろ姿を見送ろうと、林太郎は顔を上げた。
二十歩ばかり足を進めてから、エリスが突然立ち止った。金色の髪をたなびかせて後ろを振り向くと、公園の片隅に所在なく立っている林太郎達に、にやりと笑ってウインクした。
「またね(シー・ユー・トゥモロー)、チェリー君」
エリスは身を翻すと駅の方向へと足早に歩き出した。
(は、い?)
エリスから放たれた衝撃の言葉に林太郎は愕然として、その場に硬直した。
(エリス。今、何て、言った?)
どれほどのショックが林太郎を襲ったのか、彼の脳内視野を覗いてみよう。
空気を切り裂さく金属音を立ててエリスの操縦するF16戦闘機が林太郎の頭の上を飛び去って行く。
そう思ったのも束の間、空を垂直飛行して機体を林太郎の方向に戻した戦闘機の中で、エリスは口の端を小さく持ち上げて皮肉そうな表情を作ると、躊躇することなく林太郎にロック・オンした操縦席のミサイル発射ボタンを押した。
超低空で巡航ミサイルcherryがマッハ2の速度で飛んでくる。真正面の、しかも超至近距離からミサイル攻撃を受け、哀れ林太郎は一瞬で灰燼と化してしまった。真っ白になった脳内で“再起不能”の赤い文字がゆっくりと点滅している。
さすがは優秀な林太郎だ。エリスから受けたショックを表現豊かに(?)映像化している。ディテールにこだわり、しかもフルカラーだ。しかし、ちょっとやり過ぎ感はある。(作者反省)
(そんなお下品な言葉使う子じゃなかったよね!?どうしちゃったのエリス?!生まれ変わってから、一体、何があったの?)
「お、お、おい!あの女、今、とんでもないことを口走ったぞ」
エリスの言葉に、やはり呆気に取られていた万年がようやく口を開いた。
「わあ。僕、外人の子にネイティブ・イングリッシュで、さよなら言われたの初めてだよ」
興奮気味に目を輝かせる健吉に、万年は両の拳を激しく上下させてまくし立てた。
「馬鹿、そっちじゃない。後半の方だ!お前、聞いていなかったのか?!」
「聞いてたよ。やっぱ、発音が違うよね。チェ」
エリスの口真似をしようと口を尖らせた健吉を、万年は慌てて止めた。
「言うなっ!お前、何でそんなに嬉しそうにしているんだ!?女子にあんなことサラッと言われて、傷付かない男子がどこにいる?少しは傷付けよ!傷付くんだ、相沢っ!」
「え~。だってあれ、林太郎君に言ったんでしょ?僕たちが傷付く必要ないじゃん」
「あ、そうなのか?何だ、俺達の事じゃないのか」
健吉と万年は無言で林太郎に目をやった。
二人の憐憫に満ちた視線を感じて、林太郎が我に返った。
「俺だけって…違うだろ!!お前らだってそうじゃないか!俺をそんな憐みの目で見るのは許さんぞ!」
林太郎は真っ赤になって健吉と万年に叫んだ。
「エリスちゃんは林太郎君を見て言ったんだよ。僕達は関係ないもん」
「そう。俺達は関係ない」
片頬を持ち上げながらうんうんと頷く二人に、林太郎は必死の形相でかみついた。
「ふざけるな!俺は、キ、キ、キ、キスはしたことあるんだぞっ!」
小学校六年生時、林太郎は体育館の裏に呼び出されてバレンタインデーチョコを渡しに来た同学年の女の子に抱き着かれてキスを迫られたことがある。
急接近してきた女の子の顔を避けきれずに、その子の唇と林太郎の唇が激突した。互いに自分の前歯で上唇の中をざっくりと切ってしまい、両方の口から鮮血がだらだらと流れ出したという体験をした。
そんなスプラッタな惨状でも、キスと呼ぶならキスである。
「ふん。お前らは、まだキスも経験したことないだろう?残念だったな。ははははは」
林太郎は頬を引き攣らせて高笑いした。
何が残念なのかは皆目見当つかないが、何とも不毛な言い争いであることは確かだ。
「それにしても、あのアメリカ人の女はきさまが嫌いみたいだな」
万年は少しの間、エリスの帰った方角を眺めてから林太郎に嫌な笑いを顔に浮かべた。
「相沢には普通に優しいのに、森にはえらく無愛想だ。どうせスケベなきさまのことだ。金髪碧眼の少女が珍しくて、あの娘の尻でも触ったんだろう?」




