三人の少女 ※
「ワイゲルトさん。昨日はお話しする機会がなかったから、今からどうかと思って」
堀田が冷たい微笑みを浮かべてエリスに言った。
「さすがアメリカ人ね、英語の発音が堂に入ってたわ」
「それはそうよ。だって、母国語だもの」
「なら、発音が綺麗なのも当り前よねぇ」
木野川と吉沢がわざとらしい溜息を付いて、首を振る。
「怜奈ちゃんだって帰国子女だもの、あのくらいの発音、どうってことないでしょ?」
「そうね。パパの海外赴任で五年間、アメリカの学校に通ったから。ネイティブな発音くらいは簡単よ」
怜奈は冷笑している口の両端をくいっと引き上げてエリスを上から目線で見つめると、椅子に腰かけている林太郎の傍らに立った。それから腰を深く屈めると、林太郎の肩の上に手を置いて体を密着させる。
堀田の胸が林太郎の頬にぐいと押し付けられた。
突然の出来事に、林太郎は目を剥いて固まった。
(んげっ。な、何が起こった?)
「森君も、私の英語の発音が綺麗だって、この前褒めてくれたもんね。でしょ?」
(はあっ?英語の発音どころか、俺はこいつなんか褒めた覚えは一度もないぞ!)
三人はもう一度エリスに鋭い視線を投げると、くすくすと笑いながら席から離れて行った。
その姿を林太郎は口を開けて呆然と見送った。
「こ、こえぇ…」
坂本がでかい図体に似合わない怯えた声を出した。
健吉も血の気が失せた顔で、エリスと林太郎の交互に目を向けるばかりである。
「はーあ。あいつら、また始めやがった」
真紀が林太郎の机に身を乗り出して嫌そうな声で呟いた。
「え?何を?」
きょとんとした林太郎に真紀が説明を始める。
「マウンティングだよ。クラスの最上位は自分達だって、徒党を組んでエリスを脅しに来たのさ」
「マ…」
(マウンティングだと?)
林太郎は激高した。
(人間社会にサル山の権力闘争なぞ持ち込むとは、何という低次元な奴らだ!それにお前らのちんけな顔が、どうしてエリスより上だというんだ?このペンペン草どもが!!)
心の中で罵詈雑言を吐いている最中の林太郎に、真紀がさらに嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「堀田怜奈はお前にべったりくっ付いて派手にマーキングしていったろ?あれは、お前に手を出すなって警告だよ」
「ぬぁにぃぃっ?!」
マーキングとは、動物が自分の尿をかけたり体臭を擦り付けたりして、縄張りや所有物を主張する行動だ。具体的には犬が片足を上げて電信柱に小便をひっかけているアレである。
「まあ、エリスは誰がどう見たってかなりの美少女だからな。飛び出した釘は叩き潰しておこうって魂胆さ。それにお前の近くに座っている女子って俺ぐらいだったのが、後ろに美人のエリスが座っちまったもんだから、嫉妬してんだろ。ヤな奴らだよな」
くっだらねえと吐き捨てて、真紀は舌を出した。今まで気にしたこともなかった女子の恐ろしい勢力図を目の当たりにして、林太郎はうーむと唸った。
(空耳か?今、生田が自分を女子って言ったような気がしたが…)
「生田よ、状況はよく理解出来たが、お前その諺、かなり間違っているからね。“飛び出した釘は叩き潰される”じゃなくて“出る杭は打たれる”だから。それ、小学生でも知っている諺なんだからね。大人になってから赤っ恥かかないように、正しく覚えておこうね」
「あ―。ここにもヤな奴がいたんだった」
真紀は顔を顰めて小指を耳の穴に突っ込んだ。林太郎はその腕を掴んで、真紀の耳元で声を顰めて囁いた。
「そんなことより、クラスで女子のいじめが始まるのは見るに耐えん。生田、お前、サッカーばかりでなく四人の武闘派兄どもに格闘技全般を叩きこまれているんだろ?お前の自慢の筋肉もりもりの腕を振り回して、目にもの見せてやれ。あの極悪女三人衆を正義の鉄拳で叩きのめすのだ」
「はあ?ふざけんな。堀田怜奈のバックに誰がいるか、お前だって知ってんだろう?」
真紀は林太郎を呆れたように睨みつけた。
「そこら辺の不良共だったら、絶対負けないぜ。だけど相手があの大根田じゃな。いくら腕に覚えがあるからって、俺は女だ。あんな凶暴ゴリラ男に敵う訳ないじゃないか。学校一の頭脳を使って、お前が何とかすればいいだろ」
そう言って、真紀はくるりと後ろを向いてしまった。
(あ、また言った。生田、お前、自分が女だって認識はあるんだな。…って、そんなの、今はどうでもよくて)
何とかしたいのは山々だが、真紀が言うように、堀田怜奈には大根田岩司という三年の男子がバックについている。
そいつは空手部の主将で黒帯の有段者だ。
筋骨隆々とした体躯は二メートル近い。顔はゴリラそのもので、それは凄い威圧感を放っている。
夜の繁華街を部の連中とぶらついている時に因縁を付けて来たチンピラヤクザ三人をものの数秒で叩きのめしたという、逸話の持ち主だ。
この男が堀田にぞっこんで、彼女の命令は下僕のように何でも聞くのだ。
不用意なことを言って堀田怜奈を怒らせると、大根田にボコられるのは明白だった。
堀田は林太郎に気があるから、大根田に殴られることはあってもかなり手加減が加えられ、それほど惨い暴力は受けないで済むだろう。
…いや、さっきの堀田の行為を木野川と吉沢に告げ口されれば、嫉妬に狂った大根田にボッコボコにされる可能性が高い。
(しかし、このままでは、あの性悪どもにエリスがいじめられてしまう)
いじめを回避する良い方法はないものかと林太郎が思案し始めた時、エリスが急に肩を震わせ始めた。
(エリス?!可哀そうに。やっぱり泣き出した)
「エリ…」
「ワイゲルトさん、大丈夫?」
林太郎がエリスに顔を向けて口を開くより早く、健吉がエリスに駆け寄った。
(おいっ健吉!何でお前はそんなに行動が素早いんだ!俺はまだエリスとまともに話もしていないっていうのにぃ!)
「おい、エリス。泣いてんのか?」
真紀が林太郎の席から身を乗り出して、体を縮めて震えているエリスに声を掛けた。
邪魔だとばかりに、真紀の腕が林太郎を押し退ける。真紀の腕力で、林太郎の顔はべったりと窓に張り付いた。
「お、おい。エリス、大丈夫か?」
坂本も心配そうにエリスに寄って行く。
「☆□△!!」
(坂本!何でお前がエリスを呼び捨てにするんだよ!)
そう叫びたいのだが、顔を窓に押し付けられたままでは、口が思うように開かない。
涙を見せなくないのだろう。エリスは両手で顔を覆って机に伏してしまった。
「そんなに怖かったのか?エリス、お前、佐々木の前では派手な行動取るんじゃないぞ」
「派手な行動?」
エリスは震えながら真紀に聞き返した。
「そうだ。お前、金髪と青い目の転校生だから、かなり目立つだろ?それに美人だしさ。あいつら、それが面白くないんだよ」
「そうなんだ。私が目立つと、彼女たちは面白くないのね」
「まあな。そういう奴らなんだよ。だからエリス、お前が大人しくしていれば、無茶な事はしないだろう。そのうち、あいつらの関心も別なところに移って…」
真紀は口を噤んで、目を見開いてエリスを凝視した。エリスは泣いているのではなく、笑っていたからである。
「く、くくくくっ」
エリスは両手で顔を隠すようにしながら、忍び笑いを漏らしていた。
林太郎の耳にも口に含んだその声が聞こえてくる。エリスは心底可笑しそうに笑っていたのだった。
(ま、まさか。あまりの恐怖で、一時的に精神がおかしくなったとか)
ベルリンで暮らしていた時の事を思い出して林太郎は青くなった。エリスの精神は繊細で、薄氷よりも脆かった。恐ろしく傷つきやすいのだ。
真紀と健吉、坂本と、真紀の腕で窓に押し付けられたままの林太郎が、酷く狼狽した表情で自分を見ているのにも気が付かず、エリスは笑い続けていた。
笑い疲れたのか、エリスは小刻みに揺すっていた肩の動きを止めた。顔を覆っていた手をゆっくりと外して、長々と息を吐いた。頬が朱に染まっている。
「うう、何だか、気持ち悪くなってきっちゃった」
エリスは細い指を口に押し当てた。そして、上目遣いに顔を上げると、はっきりとした口調で言った。
「お願い、健吉君。私を保健室に連れて行って」




