転生前は何だった?
「ただいま」
林太郎の母の恵子が、両手に持ったスーパーのビニール袋をガサガサ言わせながら、ドアを開けて入ってリビングに入って来た。
夕時、リビングのソファに寄り掛かってぼんやりとテレビを見ていた林太郎は、いつもより二時間以上も早く帰って来た母の姿に驚いた。
「お帰り。母さん今日は出張だったのに、随分と早く帰って来られたんだね」
「何、言ってんの!」
林太郎の呑気な物言いに、恵子の顔がこわばった。
「林太郎、あんた、学校で貧血起こして倒れたんだって?何で連絡寄こさないのよ」
(やばい。かなり怒っているぞ)
林太郎は首を竦めて上目遣いで恵子を見た。
「確かに貧血で倒れたけれど、そんなに大したことなかったから、母さんには連絡する必要ないと思ったんだ。って、何で俺が倒れたこと知ってるの?」
「健吉君のお母さんからメールがあったの」
(健吉の奴、親に余計なこと言いやがって)
林太郎がちっと舌打ちしたのを恵子が聞き咎めて、眉を怒らせ口をへの字に曲げる。
「あんたねえ、健吉君にメール返していないでしょ?」
「?」
恵子は、息子の要領を得ない顔を呆れ顔で眺めながら溜息を付いた。
「健吉君、学校帰りに林太郎の様子を見に家へ寄ってくれたのよ。インターホン押しても林太郎が出てこないもんだから、すごく心配したみたい。それでスマホで電話したりメールしたりで連絡取ろうとしても、あんたが無反応だから、健吉君のお母さんから私に連絡が来たのよ。林太郎ったら、私の電話にも出ないんだもの、飛んで帰ってくるに決まっているでしょう?」
「あ」
林太郎は、ダイニングテーブルに置きっぱなしにしてある自分のスマートフォンを見た。
板チョコの半分を四等分に割って自分の口に次々放り込むと、おうがいはぱたんと口を閉じて静かになった。どうやら満足して眠てしまったらしい。
ホームルームの時間から精神的にオーバーヒート状態だった林太郎は、スマホを消音モードにしてからベッドに横たわるとすぐに寝入ってしまった。
目を覚ました後も、着信を確かめることなくそのままになっている。
林太郎はスマホの画面を開くと、着信数の多さに目を剥いた。
全部健吉からのものである。それもその筈、勉強に差し支えるなどの理由を付けて、女子とは一切メールしていない。
女子の誰かとアドレスを交換したら最後、無限の芋蔓と化した「おともだち」への返信に忙殺される日々を送らねばならなくなるからだ。
(それにしても、着信100って…。健吉、お前、ストーカー並みだぞ!)
“林太郎君、大丈夫?”の吹き出しが、ずらりと並ぶスマホの画面に溜息を吐きながら、林太郎は健吉に、“熟睡してた”と返信した。
すぐに“よかったあああ!心配してたんだからね―”と、健吉から連絡が入る。林太郎は再び、“ごめん。これから少し休む”とメールすると、スマホの着信音を消してリビングのテーブルの上に置いた。
「林太郎、あんた、お昼はちゃんと食べたの?」
母に聞かれて林太郎は自分が朝食の後、殆んど何も食べていないことに気が付いた。
「あ、いや…」
口にしたのは、おうがいに催促されて食べたチョコレートくらいだ。
「大したもの食べてない。チョコレートくらいかな」
「お弁当、食べなかったの?チョコレートだけじゃ、食事にならないでしょう?また貧血起こして倒れたらどうするの」
そう言って恵子は、ソファに座っている林太郎を酷く心配した表情で見た。
「ごめん。母さんがせっかく作ってくれたのに。家に着いたらすぐに寝ちゃって、夕方まで起きなかったから。今から食べるよ」
林太郎は母の顔をちらりと見てからテレビのニュースに目を移して喋った。
本当は自分の頭の中に突然現れたおうがいとやり合っていて、弁当を食べるのをすっかり忘れていたのだ。
多少、嘘をつくことになるので、ばつは悪い。
「もう夕方だもの、作ってから随分時間が経っているじゃない。傷んでいるかも知れないから、食べなくていいわ。今からシチュー作るから、待ってなさいね」
そう言うと恵子はスーツの上着を脱いで、椅子の背もたれに掛けた。
冷蔵庫のフックに掛かっているエプロンを着けるとキッチンに入って行く。シチューの材料を炒めている香ばしい匂いが、林太郎の鼻をくすぐった。途端にぐうと腹が鳴る。
(あ~腹減った。くそ、おうがいめ。あいつのせいで、昼飯抜きになっちまったじゃないか)
おうがいに向かって罵詈雑言を並べ立てようとした林太郎だが、彼がまた林太郎の中で騒ぎ出すのを恐れて、慌てて思い浮かべた悪口を頭から追い払った。
林太郎が起きてから一時間以上が経過したが、おうがいが喋り出す気配はない。
(そういえば、あいつ、久しぶりに覚醒したから疲れると言っていたな)
林太郎は親指を顎に当てて考えた。
(転生って、死んだらすぐに生まれ変わるってことだよな。こいつが死んだのは一九二二年だから、今から九七年も経っているのか。俺の前に一人か二人は、生まれ変わっていていてもおかしくないって事だよな。そいつらの記憶はないが、一体どんな人生を送ったんだろう?)
林太郎はソファにだらしなく寝そべって想像を巡らせた。
(超グラマーな美女だったりして。んふふ)
にやにや顔の林太郎の頭の中で、おうがいの声がした。
((ふん、若造めが。下らない事を考えておるわ))
(寝坊助め。やっと起きたか)
林太郎は鼻を鳴らした。
(そりゃ、そうだろう?俺に転生する前の人間がどんな人生だったのか、すごく興味あるよ。お前、俺に転生する前の事は覚えているのか?)
((多少は、な))
(へえ。じゃあ、教えてくれよ。俺に転生する前の俺ってどんな奴だったんだ?本当に美女だったらいいな。言い寄ってくるスケベな男どもを尽く骨抜きにして大金を巻き上げ、何不自由なくゴージャズな一生を送っていたとか)
自分の妄想にだらしなく相好を崩した林太郎に、おうがいは冷や水を浴びせるような低音のおどろ声を発した。
((お前は輪廻転生に全くの無知蒙昧だな。一つ、昔話を聞かせてやろう))
おうがいは低く咳払いをすると、林太郎に語り始めた。
((昔、あるところに名立たる高僧がいた。
その高僧が臨終際に“自分は死んだらすぐに生まれ変わるので、体に写経を記しておいた。
体に写経がある赤子を探すように”と、弟子達に言い残してこの世を去った。
高僧を看取った弟子達は言いつけ通り、写経が体に記されて生まれた赤子を必死で探した。
だが、何処にもそんな赤子はいない。
諦めかけた弟子達の耳に、ある噂が入った。その話を聞いた弟子達は、よもやと思いながらも噂の場所へと急いだ。
その場所は牛舎だったのだ。
噂は本当だった。高僧が己が体に書いた写経が、子牛の尻にはっきりと記されてあったのだ。
弟子達は仕方なく、高僧の生まれ変わりである子牛の鼻輪に縄を付けて寺に引っ張って行くことになった。
※作者、うろ覚えのお話でした。ご清聴ありがとうございました。<(_ _)>
よいか、林太郎。人が人に生まれ変わるとは限らんのだ。
それでも知りたいなら教えてやろう。
お前に生まれ変わるすぐ前が何だったのかを、な。覚悟は出来ておるな?お前の前世は…))
「わああっ!いいです!やっぱり、やめておきますっ!」
ソファから飛び起きて正座すると、大声を出してテレビに両手を振る林太郎に、テーブルに皿を置いていた恵子が怪訝な顔をした。
「どうしたの?急に悲鳴みたいな声出して」
自分の脇にあるリモコンのスイッチを素早く押してテレビを消すと、林太郎は恵子に引きつった笑顔を向けた。
「テ、テレビで、健康体操ってのをやっていたんだ。手を振りながら大声を出すと、脳の血流が良くなるんだって。俺、今日、貧血だったから、効果あるかと思って…」
恵子は自分に向かって大げさに両手を振って奇声を上げる林太郎を怪訝そうに見つめた。
「何だか、インチキっぽいわね。テレビの情報を鵜呑みにしちゃだめよ」
「そ、そうだね」
林太郎は、はははと空笑いをして、額にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭った。林太郎の頭の隅で、おうがいがくすくすと笑っている。
((馬鹿め。まんまと引っかかりおったわ。死んだ後のことなど、誰が覚えているもんか))
(くそっ!自分自身をからかうとは、何という性悪じじいだ!)
「夕飯出来たから、食べましょう。林太郎?」
拳を握りしめて震えている林太郎に、シチューをよそった皿を持ったままの恵子が真剣な表情で言った。
「林太郎、あんた震えているけど、そんなに具合悪いの?今の時間ならまだ間に合うから、病院に行こうか?」




