帰り道の猫
授業を終え、小雪と紗月がいつも通り二人で下校していた時のことだった。
「あ、猫だ」
小雪が一匹の猫を見つけて立ち止まった。
「おー、ほんとだ。野良猫はちょいちょい見るけどこの子は随分ときれいだね。飼い猫さんかな?」
紗月がそっと猫の方へ歩み寄ってみると、それまで何食わぬ顔でてくてく歩いていた猫が、ぴたりとその足を止めた。そうしてそのまま、じっと立ち止まったまま、静かに小雪たちの方を見つめてきた。自然と紗月も立ち止まってしまい、互いに微妙な間合いで見つめあう形となった。
「あーっと、これは……警戒させちゃったかな?」
じりじりと猫との間合いを詰めようとする紗月を、小雪は黙って後ろから眺めていた。
小雪はどちらかと言えば猫が好きな方だ。普段どこかで野良猫なんかを見かけたりしたときも、たいてい立ち止まってその様子をただ黙って眺めている。とりわけ珍しい出来事ではないはずだ。しかし、この猫からは、普段のそれとは別に、なんとなく特別な印象を受けていた。家猫っぽい雰囲気だからではないかと言ってしまえばそれまでではあるが、それ以上に小雪は、もっと吸い込まれていくかのような、運命的ななにかを感じていた。
紗月と猫の間の戦線が膠着状態になったあたりで、小雪はその場でしゃがみ込み、ゆっくりと紗月よりも前へと近づいて行った。紗月は突然の小雪の行動に、少しだけ「おや?」とでも言いたげな表情を浮かべたが、そう間もないうちに小雪と同じようにしゃがみ込んだ。
猫の方は小雪の前進に対応するように、二歩ほど後ずさりし、二人からの距離を一定に保とうとしていた。それ以上は動かない。依然として、猫はただ二人のことを見つめ続ける。
両者の間に沈黙が訪れた。しゃがんで猫の目線に合わせる女子高校生二人。微動だにしない猫。微妙な距離感。無言。淡々と淡々と、変化の訪れない、緩やかな時間が流れる。邪魔者はいない。見つめあうだけ。二人と一匹。何もない。止まった世界だ。ぼんやりと、ただぼんやりと。特別な表情を浮かべるわけもなく見つめあう。静かで、平凡で、面白みのない。けれど、心地よい。それは、いっそ息が詰まってしまいそうな、生きていることを忘れてしまいうな、そんな一瞬だった。
そうして全てが曖昧になろうとした時、いともたやすく現実は戻ってきた。
それまでピクリともしなかった猫が、突然、さも何事もなかったかのように背を向け、空き地の茂みの方へと姿を消してしまったのだった。
「あっ……行っちゃったねえ」
「……うん」
小雪は相槌こそは打ったものの、しばらくは猫の消えてった茂みの方を見つめたまま、立ち上がろうとはしなかった。紗月は既に立ち上がっており、そんな小雪を見下ろしていた。
少し強い風が吹いて、小雪は小さくくしゃみを漏らした。
「帰ろっか」
そう言って小雪は立ち上がり、少し笑みを浮かべた。紗月もまた、それに答えるように笑って、歩き始めた。
「うん、帰ろう」
二人は猫の消えた茂みを一瞥してから、いつも通りの帰り道へと歩みを進めていった。