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ツクモグマ

作者: 黒宮杳騏

ある朝、お気に入りのクマのぬいぐるみが突然喋り出した。


「おい、朝だぞ。起きなくていいのか?チコクって奴をするとマズいんだろ?」

ふにふにと柔らかい手が、私の頬をつつく。

私は、耳元で聞こえる聞き慣れない声と、頬に何かが触れる感触に驚いて飛び起きた。

「だ、誰っ?!」

低血圧の私がこんなに勢い良く、かつ明瞭な意識を持って起きる事なんて、そうそうない。

「誰?ってオレだよ、オレ。ここにはオレとオマエしかいないだろ」

そう言って二本足で立ち上がったクマのぬいぐるみは、短い腕を組んで明らかに不機嫌そうな声でこう続けた。

「呆けてる時間はない。早くいつもみたいに支度しないと、また『チコクだーっ!』って言う羽目になるぞ」

言われて気付く。今、何時だ?

慌てて時計を見ると、まだ急いで支度すれば間に合う時間だった。

私はほっと胸をなで下ろし、それから思い出して、すでにこれが日常だとでも言うように枕元に立ったままのクマのぬいぐるみをじっと見つめる。

「・・・何だ?」

「本当に動いてる・・・しかも喋るし」

その上、何だかちょっと偉そうな態度だ。

「だから何だ?」

両手を腰に当てて、溜め息混じりに小さく首を傾げるその姿は、まるで軍隊の上官のよう。

「あのー・・・なんで突然動いたり喋ったり出来るようになったんですか?」

思わず敬語を使ってしまった。

「知らん」

あっさりと切り捨てられ、昨夜まではあんなに可愛かったのに、と残念な気持ちがわいてくる。

可愛らしい見た目とは裏腹に、声は男の人のそれで、更に毒舌だ。

「まさか九十九神とか・・・じゃあ無いよね・・・」

確かにこのぬいぐるみはお気に入りのセレクトショップで買った一点物だが、そんなに年季が入っている訳がないし、怨念のような何かがこもっているとは考えられない。

「おい、ツクモガミってのは何だ?」

一人暮らし生活の長い私は、独り言に対して質問が飛んでくるなんて経験がないので非常に驚いた。

「えっ?!あ、あぁ・・・えーと、九十九神っていうのは、長い間大切にされたりしていた物に魂が宿る、というか何というか・・・例えば、その辺に転がっているお茶碗でも百年経てば勝手に動き出す、みたいな・・・?」

それを聞いたクマは、不機嫌さを隠そうともせずにフンと鼻を鳴らした。

「オレをその辺のガラクタと一緒にするな」

曖昧に笑ってごまかそうとした私を短い手で指差し、怒りを露わにする。

「ごめんなさい・・・そういうの詳しくないんで」

すっかり萎縮してしまった私を置いて、クマは勢い良くベッドから飛び降り、とことこと数歩進んでからくるりと振り返った。

「急いで支度しないと『チコク』するんじゃないのか?」

その言葉に、慌ててベッドから出てキッチンへ向かう。

取りあえず、今日の朝食は軽くパンと粉末スープで済まそう。

「おい、栄養バランスが偏ってるぞ」

ぬいぐるみの癖に『栄養バランス』なんて言葉を知っているのか。

いや、それ以前の問題として、なぜテーブルの上で両腕を組んで私の行動の指揮を執っているんだ。

「朝はそんなに食べないから・・・」

「何を言っている!朝食は一日の大事な活力源だ。疎かにするな」

苦笑いも一蹴され、返す言葉がない。

「と、とりあえず、今は冷蔵庫が空っぽだから、帰りに栄養ありそうなもの買ってくるよ」

慌てて言い訳をすると、ひとまず納得したらしく、うむ、と小さく首を縦に動かした。

「それから、摂取カロリーには気をつけるように。特に夜食に高カロリーな物を摂ると、あっと言う間に太るからな」

お小言が耳に痛い。

適当に作った朝食を済ませて、さあ着替えようと思った時に気付いた。

このぬいぐるみ、男の子なのか?

ショップで買った時についていたタグには『バニラ』と書かれていたけれど、話し声は完全に男の人の声だ。

「あのー・・・つかぬ事をお伺いしますが」

「何だ?」

いまだにテーブルの上で腕組みしているぬいぐるみが、私の顔を見上げた。

「えーと、あなたは男の子ですか?」

「それを聞いてどうする?」

栄養バランス云々言うなら察してよ、と思いつつ、理由を説明する。

「着替えたいんですけど・・・」

私が最後は有耶無耶にしてそう言うと、ぬいぐるみは合点がいったとばかりに小さく二度頷いてテーブルから飛び降りた。

「そういう事か。気になるなら後ろを向いておこう」

「すみません」

「普段見慣れているから気付かなかった」

言われて気付いた。

そうだ!この子はずっと同じ部屋にいたんだから、私の着替えなんて飽きる程見てる筈じゃないか!

でも、今更「こっち向いててもいいですよ」とは言いにくいので、そのまま着替える事にした。

後ろを向くって事は男の子なのか、名前は可愛いのに・・・なんてショックもあったけど、手早く身支度をして、「はい、もう済みました」とぬいぐるみ、もとい『バニラ』に告げる。

「よし、では行ってこい」

再びテーブルの上で仁王立ちすると、『バニラ』は玄関を差して私を見上げた。

「はい、行って来ます」

こんなふうに誰かと「行ってらっしゃい」「行って来ます」のやり取りをするなんて、一人暮らしをしてから初めてだ。

例え相手がぬいぐるみだとしても、何だか嬉しくなって、自然と笑みを浮かべていた。

「何だか嬉しそうだが、何かあったのか?」

『バニラ』は小首を傾げて私を見つめる。

「ううん、何でもないよ」

「じゃあ早く行け。また間に合わなくなるぞ」

「・・・うん、ありがとう」

私は『バニラ』の頭を軽く撫でてから、玄関へと向かった。

撫でるのは嫌がるかと思ったけれど、ぬいぐるみの性なのか『バニラ』はむしろ喜んでいたようにも見える。

「気をつけて行けよ」

「分かってる」

靴を履きながら受け答えをして、もう一度玄関に置いてある鏡で身嗜みを確認する。

そして、ちょっとだけいつもより大きな声で「行って来ます!」と言って、私は玄関の扉を開けた。

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