3.自分の幸せを手に入れるために他人の幸せを奪う
チャイムが鳴って、わたしは目を覚ました。どうやら、授業に退屈してうつらうつらしていたらしい。何か夢を見ていたが、目を覚ました途端に忘れてしまった。よくあることだ。
4時間目が終了した。生徒たちは一斉に教科書とノートをしまい、お弁当を出したり財布を手に購買に向かっていたりした。わたしも昼食にしようと、手を洗うために席を立つと、クラスメートの野田つばさが青い顔をして教室を出て行くのが見えた。
わたしは何やら嫌な予感がして、彼女の後を追った。
「野田さん!」
わたしはふらつく彼女を後ろから抱きとめた。
「あ……神代さん?」
「大丈夫? 様子がおかしかったわよ」
「ごめんね。具合が悪かったんで水を飲みに行こうとしたのだけど」
「うん、水を飲んだら、一緒に保健室行こう?」
「ありがとう。ごめんね」
「どうした? 天音?」
顔を上げると、隣のクラスの倫がわたし達を心配そうに見つめていた。
「あ、倫君。うん、彼女、同じクラスの子なんだけど、具合が悪くなったみたいで」
「手、貸そうか?」
――何だろう、その申し出はとてもありがたいのに、受けてはいけない気がした。
「ううん、」
「大丈夫です。ご心配おかけしてすいません」
わたしの拒否の言葉に被せるように、つばさが倫の申し出を断った。既にわたしの手をかけさせているので遠慮したのだろう。彼女は病弱だったが、必要以上に他人に迷惑をかけたがらない女の子だった。
「そうか? それじゃ、天音、頼むぞ」
そう言って、心配そうな顔を残しつつ、その場を去っていく。何故だかわたしはそれにホッとしていた。そして、つばさを自分の方に寄り添わせながら、水飲み場へと向かった。
「よっ」
放課後、わたしが生徒玄関から校門まで向かう途中の道のりで、後ろから声を掛けられ、振り返った。倫だった。
「お前もいいとこあるじゃないか」
「え?」
「昼休みの事だよ。天音はあまり他人と係わりたがらないと思ってたけど、あんなに親切に優しく出来るじゃないか。見直したよ」
「そんなこと」
あれは偶然と気まぐれの結果だ。けれど倫が褒めてくれた事が嬉しくて、わたしは顔に血を上らせたのを隠すために俯くだけだった。
「あの子は大丈夫だったか?」
「うん、あれから保健室のベッドで休んで、しばらくして家に帰ったみたい」
「そうか。……ま、大事がないならよかった」
「うん」
「天音、今日は一緒に帰ろうぜ。久し振りに天音といろいろ話をしたい」
「え、あ、うんっ」
その日の出来事がきっかけで、わたしの生活に劇的な変化が訪れた。次の日からつばさによく話しかけられるようになり、友達――そう言っていいだろう――になった。彼女と話すうち、その生き様にわたしは惚れた。それは、日々常に幸せを求める生き方とでもいうべきか。
負の感情を持ったとき。未来に漠然と不安を持ったとき。辺りを見回してみればそこかしこに、その時の自分の心に必要なものが転がっている。とても単純だったが、彼女との会話を意識してみると不思議とそれが本当のことであることを実感する。わたしが明確に目的意識を持って医大を目指すようになったのもそのおかげだ。以前は、自分の成績に見合った大学をと漠然と近くの医大を進路にと目指していたが、医療について意識しながら生活していると、街角の病院施設やマスメディアなど、教科書では得られない知識と意識がすぐそこにあることに気づく。自分の目指す医療の道の重要性を肌で感じることができると、こんなにもモティベーションが変わるものなのか。わたしはつばさに感謝せねばなるまい。
そして、もうひとつ――倫とわたしの距離も縮んだ。彼から言葉を掛けられるのを待っているだけでは我慢できなくなって、偶然を装って彼との会話の時間を作り、やがて偶然を装う必要もなくなった。そしてある日、一緒にわたしの家で受験勉強をしているとき、わたしの方からベーゼをねだって、それからそういう関係になった。恋愛的接近をする相手が手近な幼馴染の親戚というのが、わたしらしい情けないところだが、それでも倫はわたしを受け入れてくれた。
やがて医科大学に進学した時には、わたしは既に研究医の道を進むことを決めていた。以前、つばさから聞いたのだが、彼女の持病は、症例も少なく、原因が不明瞭で治療方法が確立できないものらしい。彼女のためだけに、という訳ではないが、自分の能力を活かして、出来る範囲でそういった人たちを救いたい。それがわたしの目標だった。そしてわたしは、医師免許の取得と同時に人体シミュレーションソフト開発プロジェクトに参加することが決まった。




