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1. 夜中に目が覚めた時、傍に大切な人がいてくれると安心できる

 暗い天井が見える。怖い夢を見ていた。目が覚めた途端に怖かったという印象以外は忘却してしまったが、それはいつものことだ。顔を横に向けると隣の布団で彼が眠っていた。独りではないのだという証を得て、わたしは息をく。同時に目に入った置時計の夜光の針は、わたしが就寝してからまだ僅かの時間しか経っていないことを示していた。長い夢だったような気がしたのだが、錯覚なのだろう。

「ん……? どうした、天音あまね?」と、彼の声。

 わたしは声を出した訳でも、彼に触れた訳でもないのに、彼は目を覚ました。灯りの消された、僅かにカーテンから漏れ入る光のみの部屋の中で、彼がこちらを向いていることが辛うじて判る。わたしの視線を感じたのだろうか。こんな暗い空間で視線が届くなどということがあるのだろうか。それとも、これが愛の力というものなのか。

「起こしちゃった? ごめんね、りん君」

 でもわたしは、そのついでにとばかりに布団から手を出し、ねえ、と彼の布団を指差す。彼は、来い、と頷き布団を捲ってわたしを招き入れた。そこに潜り込んだわたしは早々に彼に抱きついてベーゼを求める。

「また怖い夢を見たのか」

 彼の口の中の苦味を覚えたころ舌が離れ、彼の手がわたしの髪をなぶった。

「うん、まだ心臓がドキドキ言っている」

 彼のもう一方の手をわたしの乳房の間に引き寄せる。彼はわたしの胸骨と乳房を弄びながら人間が夢を見るメカニズムを語った。人間は起きている間、作為無作為に拠らず吸収した事象の記憶を、その後の自分の活動に活かすことが出来るように睡眠中に脳内領域で整頓するという。わたしも、夜遅くまで難しい問題を考えて、いいアイデアが浮かばず悩んだときに、一晩寝て目が覚めたときには思いついていた、という事が間々ある。

「天音の仕事は特に頭と目を使うからな。夢で頭の中を整頓するときに、よりカオティックな映像を見せ付けられるんだろう」

 わたしの仕事というのは、コンピュータのソフトウェアの開発である。わたしは最近免許を取ったばかりの医師で、一般のプログラマーとしてそのプロジェクトに参加したわけではないのだが、この仕事の話が医大に来たときは既にプログラミング技術がそれなりのレベルであると認められて推薦されたのだ。

 そのプロジェクトは、汎用京速計算機を用いて人体のシミュレーションソフトを作ろうという壮大なものである。テーラーメード治療といって、同じ病気であっても患者の体質によって、異なった、それぞれ最も相応しい治療方法を選択し適用するのが目的だそうだ。医療ソフトのプログラムに於いては、やはり専門用語を元から知っていた者のほうが、開発効率がよいと判断されたようである。この開発によって医療に劇的な進展が望めるだろうと、わたしを推薦した先生は語っていた。

 患者の診断結果のデータをプログラムにインプットして、症状と体質を特定し、デジタルデータに変換する。そこから仮想空間内での時間を進め、同様にデジタルデータ化された治療を施してその効果を測定する。このシミュレータのメリットは、人体ではリスクがともなう実験を大量に行うことができ、かつ比較的短時間で結果が判ることだ。それゆえに、このソフトは、臨床例が少なく未知の領域の多い病気の治療の研究にも用いることができる。コンピュータ技術の進歩により、実用的な速度で複雑な人体をシミュレートすることも可能になった。だが、複雑さそのものが変わった訳ではない。シミュレータを形作るプログラムのコーディング作業の非常なる険しさを、わたしは今、身をもって感じている。開発と検証の双方をこなさなくてはいけないので、わたしの疲労も単純計算でその2倍だ。

「倫君」

 言って、きゅっ、と彼に触れる。

 わたしは一般的な女性と比較すると性欲が強い方なのかもしれない。性交を求めるのは大抵わたしの方からだ。彼はそんなわたしを嫌な顔一つせず受け入れてくれる。でも彼の愛を確かめたいわたしは、彼から求めてきてくれないのを不満に感じることもある。そんなわたし自身が少し嫌いで、でも、彼の側にいる事が、その嫌悪感を忘れさせてくれるので畢竟わたしは彼から離れられないのだった。

 彼の優しい手が、わたしの心を癒してくれる。彼との性交で心地よく疲れたわたしは、疲労を癒すための睡眠を取る事ができる。彼がいるから頑張れる。わたしのために、いとことしての彼から恋人、そして夫としての彼に転じてくれた倫に、永久とわの感謝をしたい。

 いとこ同士で恋愛関係になったことに、倫の両親である叔父夫婦はあまりよい顔をしてくれなかったが、倫が一生懸命その想いを伝え、最後には認めさせてくれた。それがわたしには嬉しくて、そして申し訳なかった。倫は優しい人だから。

 人見知りの激しいわたしは、小さい頃から友達も少なくその付き合いも浅かった。そんなわたしに、飽くことなく声を掛けてきてくれたのが倫だった。口下手なわたしのこころの内を、彼は無意識のうちに上手く引きずり出していた。そんな彼を疎ましく思ううち、いつしかそれを待ち望むようになっていた。わたし達は生まれたときから互いの家の行き来をして、気のおけない関係になっているが、家族ほど近すぎない微妙な距離にいた。わたしが彼に惹かれるようになったのは当然かも知れない。逆に言えば、彼がいなければ、わたしは誰とも恋愛関係を結ぶことなく一生を終えていただろう。

「やらしい女でごめんね」

 彼の肌のぬくもりを自分の肌で感じながら言う。

「俺の前ではやらしい女でいい」

 倫はわたしの耳元で囁き、続けてその耳を甘噛みした。

 彼の心も身体も全部欲しくなって。わたしは強欲に彼の愛情を貪った。

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