殺し合う人、滅ぼすヒト
<S.E 83 7月24日 第7リユー -パクス->
――人は際限なく争う。闘争は人間の本性である。たとえその結果、自らを滅ぼすことになろうとも。
緑豊かな私たちの大地、地球。そこに生きる数多の存在をも道連れにしながら、人は何度も大きな過ちをおかしてきた。人間の歴史のどの時代を取り上げても争いの無い時代などは存在しない。人は常に争い、奪い合い、虐げる。その行いを悔やみ、もう二度とこんなことは起こさないと、何度も誓う。しかし、それはいつも無意味に終わった。過去の誓いなど邪魔なだけだと現在を生きる人々が一蹴するのだ。それでも、私は記録しなければならない。私たちが何をし、何を誓ったのかを。遠い未来、誰かがこの記録を見たとき、私のように、さらにその先に繋いでくれると信じて。
ニ度の世界大戦を経験した我々の祖先は、未来永劫、地上を戦火で覆わぬよう、世界的な平和維持活動を行ってきた。にもかかわらず世界各地では紛争は絶えなかった。経済上の理由で、宗教上の理由で、はたまた過去の怨恨を理由にして、決して争いが地上から消し去ることはなかった。それでも、誰もが、いつの日か世界から争いが消えるようにと願っている。闘争という行為はあくまでも、そこに至らざるを得ない原因があり、過程があり、それ故の帰結である。はずだった。
光を見た。熱を感じた。爆風だ。これは核の波動。落ちた。誰が?どうして?なんのため?それを知るすべもなく、2発。3発。世界に核が降り注ぐ。
どこかの国が核を落とした。その報復に核を落とした。それが世界中に広がっていった。止めようと奔走した国にも核は落ちた。そうして、人は、大地は、生命は、枯れていった。渇れていった。核の直撃から逃れた人も、放射能に汚染された。もう長くは生きられない。一人、また一人。地球から鼓動が消えていく。なにも人に限った話ではない。むしろ、人よりも先に大地の方が死に絶えていた。
何もかもが消え去り、戦いを始めた張本人もいつ、どこで、死んだのか分かっていない。ただ残ったのは人が人を殺したという事実だけ。優れた知性体でもなければ、理性ある個体でもなく、進化した生命でもない。人はただの化け物であるという現実だけだった。
しかし、奇跡は起きた。もしも世界を創造した神が存在するのならば、彼らの戯れも酷くいい加減なものだ。感謝を通り越して呆れてしまう程だ。ここまでの悪逆を尽くしておきながら、尚も人は生き残ったのだ。
繰り返される戦乱の中、数名の科学者が未来へと眠りについた。当時まだ未完成であったはずのコールドスリープは成功し、数百年の後に彼らは目覚める。
その中にあって指揮を執った当代一の天才と称された科学者カタロ=リミト。彼はゼロに戻った地球に目覚め、再び文明を興し、急速な発展を遂げる。ここから人類は新たなステージへと突入する。
地球という有限の世界に囚われていては人はいつまでも争いから抜け出せない。そう考えた彼らは、少数の人間を残し宇宙へと飛び立つ。人は宇宙に暮らし、子供を産み、生涯を遂げるまでに至った。人工惑星施設、リユー。我々は新たな仮初めの大地をそう呼ぶ。その立役者となったリミトは文字通りの英雄・・・救世主となった。
リユーで生まれる子供達が争いを経験する日が来ぬように。そう願って彼らはその生涯を閉じた。
「アルフレッドの手記より」
一区切りつけ、端末を閉じる。何度読み返してもあまりいい気分はしない。
戦いは人間の本性だという。人はいつも争って、傷つけて、滅ぼして。平和を望む人はいつの時代もいるのに。当たり前の幸せを望む願いはいつだって裏切られてきた。
7年前だってそうだった。地球軍とリユー軍との5年にわたる大戦が始まった。
地球から始まった我々人類は、宇宙に進出した今も地球を基盤にすべきであり、故にリユーの統治権は地球を統括する地球連邦にあるとされていた。そんなもの創設者――リミトらの理念から考えて大間違いだなんて、誰でも分かりそうなことだがその思想は広く宇宙全体に及んでいた。
当然、それを良しとしないものが現れる。宇宙において独自に発展を遂げた各地のリユーは秘密裡にそれぞれ協定を結びリユー連合を設立。力を蓄えてきた。そして7年前、彼らは地球連邦からの独立を宣言した。これをきっかけに開かれた戦乱が後に第一次宇宙大戦と称される全宇宙的な戦いである。
この戦争が大規模化を止められなかったのには、古くから、地球の人々とリユーの人々との間に歪があったからだ。地球で生まれ育った者のみが純粋なる人間であり、救世主カタロ=リミトを継ぐものだいう地球至上主義―アースニズム―と、地球を離れ新天地でその人生を終わらせたリミトの後継はその地で生きてきた者にこそ相応しいとする宇宙中心主義―スペースニズム―がこの戦いの根底にはあった。もっとも、アースニズムの方が圧倒的に幅を利かせ、スペースニズムを封殺していたのだから、真実はただの一方的な思想の押し付けにすぎない。そのため、リユーで生まれたというだけで、謂れの無い迫害や、差別、暴力などが繰り返されてきた。
これに異を唱え、全人類の自由と平等を説き、リユーの独立を求めた人がいた。彼の名は磯早宗治。後のリユー連合の創始者になる男だ。独立を宣言する数年前から彼は、リユーの人々に呼び掛け運動を行った。磯早は情熱的な男だった。時間は掛かったが人々は着実に彼の元に集まった。彼らは決して暴力に頼らず、暴力に屈しず、力ではなく、言葉で戦った。地球連邦と交渉を続け、ようやく独立までこぎつけた。地球もリユーも関係ない、そんな明日が来ると、そう誰もが歓喜した。
独立宣言のあの日、磯早が殺されてさえいなければ。
名も知れぬ青年だった。誰に頼まれたわけでもない。彼は自らの意思で磯早を撃った。何のことはない。彼は地球生まれの地球育ち。幼い頃からアースニズムがその心に刻み込まれていた。そんな彼にとって、リユーが独立するというのは、幼い子供が突然刃物を持って襲いかかってくるように思えたのだろう。
そうして、戦いが始まった。
残されたリユー連合のものたちの中には、磯早の意思を継ぎ、平和的に事態を終息させようとするものもいた。しかし、多くはそうではなかった。長きにわたる、地球人からの差別に対する怒りが遂に爆発したのだ。
リユー連合軍による地球連邦への奇襲攻撃。
あれだけ、力を意味嫌っていたものたちの凄惨な攻撃によって、悲惨な戦乱の火蓋が切って落とされた。
数で勝る地球軍。技術で勝るリユー軍。どちらも一長一短。一進一退の攻防。戦況は泥沼の様相を呈し、5年の月日を経過させた。その間に、戦闘を経験しなかったものはいない。地球のどの地域も、あらゆるリユーが、戦争の舞台になったのだから。
人々は願った。
戦いが終わることを。平和が訪れることを。救世主が再び現れることを。
そして、戦いは2年前、唐突に終わりを告げた。
救世主の手によって。
人類は戦いを止めざる終えなくなった。協力して1つの敵と戦わなくてはならなくなった。
救世主カタロ=リミト。本人なのかあるいは、それを騙る偽物なのか定かではない。しかし、確かに彼の声で、姿で、振る舞いで、彼は高らかにこう告げた。
―――――愚かな人類を、抹殺する。
あまりに単純。故に裏を疑いたくなるほどであった。だが、はったりではなかった。彼は、我々が持つどんな武器よりも優れた人型機動兵器―アパレイユ―を所有していた。戦艦同士の砲撃戦あるいは航空機同士の空中戦しか経験してこなかった人類にとって、アパレイユは恐怖でしかなかった。航空機を上回る機動性でありながら、人同等の駆動を誇る。さらに戦艦クラスの出力を持つ兵器しか持ち得なかったビーム兵器をも携帯させていた。幸いなことに、その数が圧倒的に僅かであったことが、人類が絶滅に至らなかった要因だ。
しかし、今だ明確な対抗策は見出だせていない。ただただ、質を数で埋めるようにしてようやく人類は何とか生き永らえている。それももう時間の問題の気がしてならないのだが。
かくいう俺も、エンジニアの一人として日々、敵に対抗できる武器の開発に勤しんでいる。とてもじゃないけれど、アパレイユの真似事は出来ても、それ以上のことは出来ないんじゃないか。そう思ってしまう。これならいっそ人は抗うのを止めた方がいいんじゃないかと思えるほど。
だって。
人類を復活させた救世主が、人類を滅ぼすなんて皮肉が効きすぎてるだろ。
彼が人類は愚かだと断ずるならば、きっとその通りなんじゃないかと思ってしまうのだ。