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遠い日、記憶の断片

 すっと目を閉じた。


 どうして目を閉じたのかと聞かれると、理由は酷く簡単で。目の前の現実を直視したくなかったから。有り体に言えば逃げたのだ。目を閉じるまでもなく、本当はこんな場所からは一秒でも早く逃げ出したかったのだけれど、そういうわけにもいかなかった。


 私はここから抜け出すことができない。


 生暖かい感触が頬を撫でる。目を閉じたところで現実は私を逃がしてはくれない。


 現実から逃げ出したいとき、どうすればよいのだろう。どうすれば世界と私とを切り離すことができるだろう。


 視覚は目を閉じれば良いとして、聴覚はどうしようか。耳を塞ごう。漏れて聞こえる些細な音は無視しよう。じゃあ、味覚はどうしよう。取り敢えず口は開けないようにしよう。嗅覚はどうしよう。耳を塞ぐのに手を使ってしまっている。仕方ないから息を止めた。最後は・・・駄目だ。


 分かりきっていたこととはいえ、実際に無理だとわかるとなぜか悲しくなる。どれだけ目を閉じようと、耳を塞ごうと、口を閉じようと、息を止めようと、私の脳は活動をやめてはくれない。ありとあらゆる情報を私の皮膚が感じ取ってしまう。


 それだけじゃない。逃れられない何もかもが、私を捕らえて放さない。


 熱い。私は炎に包まれている。


 臭い。腐敗した肉と鼻を刺す硝煙の臭い。


 辛い。かつて味わった消せない記憶。


 苦い。口内に充満する鉄の味。


 痛い。切り刻まれ、穿たれた身体。


 全て、全て、全て。


 私は、味わいたくなんかなかった。けれど知ってしまうしかなかった。私に意志などないのだから。私は壊れるために生まれたのだから。


 壊れるために生まれたのだから。


 ああ。


 壊れる。


 壊れてしまう。


 壊れてしまうのか。


 それは別に悲しくなんかない。こうなることは分かっていたから。運命だって受け入れれば、何も怖くなんかない。


 でも。


 思わずにはいられない。


 壊れるために生まれたのなら、こんな風に感じることなく、壊れてしまいたかったと。


 何も感じることなく、機械のように果てれたならば、嫌なことなんて何一つなかったのに。


 けれど、うん、これが、定められた結末だっていうのなら仕方がない。


 もう、こんな思いは沢山だ。出来るだけ早くこんな生き地獄を終わらせたかった。


 だから。


 死ぬしかない。


 そう、思った。


 世界から自分を切り離す唯一にして、確実な方法。それは


 死ぬこと。


 死んでしまえばいい。


 そうだ、死ねばすべてが解決する。


 この頭にこべりついて離れない記憶も、悲しい過去も、辛い現実も、もう背負わなくてよくなる。永遠に忘れられる。解放される。


 ようやく自分を救う方法が分かった。胸に去来する思いはきっと……


 今度はひやりと何かが頬をつたう。


 これは――――――――


 私は、どうして泣いているのだろう?この悲しみから抜け出す方法をようやく見つけたというのに、私はどうして悲しんでいるのだろう。その理由はよく分からなかった。


 そもそも私は今までの生涯で何か分かったことがあったのだろうか。生まれた理由も、生き続けた理由も、ここにいる理由も、私は何一つ答えを知らない。見つけることができなかった。否。始めから、その権利さえ私にはなかった。


 私という存在は何のために。私の生涯は何のために。


 ふと、目を開いた。


 ほんの少しだけ、閉じる前の世界と違うものが見えないかと期待した。勿論そんなことはなかったけれど。目の前に広がるものはどこまでも残酷な現実だけ。広がる死体。焼け野原。ここは戦場という名の地獄。握られた銃。その先にあるものは男の死体。


 私は、人を殺した。


 これから先、私はまたこの気持ちを味わうのだろうか。それともこの気持ちを感じなくなるように馴れてしまうのだろうか。


 どちらにせよ、私は嫌だと思った。まだ手に男を殺した感触が残っている。忘れないようにと誓い、私は男のもとから去る。そして、誰もいなくなった場所で銃口を自分の体に向ける。


 自分の進む未来がどうあっても絶望なら、ここで終わらせるのが一番だと思った。


 壊れかけた私が壊れてしまう様なんて見たくない。


 私は罪を背負った。取り返しのつかないことをしてしまった。


 私は、もう救われないけれど、願わくはこんな私がこれ以上生まれませんように。


 消え行く意識の中、こんなことを思い出した。

 生き物は自分の都合のいいように、物の見え方や、感じ方、捉え方を変えているのだと。鳥には鳥の、虫には虫の、それぞれにとって最も適切な世界を描き出しているのだと。


 ――あぁ。世界を都合良く見ているはずなのに、どうして世界はこんなにも都合良くはいかないのだろう。


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