白本由姫
「白本さんは、どうしてそんなに眠るの?」
尋ねた。……尋ねてしまった。いままではあえて訊かないように、いや、いつか知れるだろうと先回しにしてしまっていたことだ。眠って事件を解決する、おとぎ話のお姫様のような容姿の少女。白本さんはそんなファンタジックな存在でいてほしいと、勝手ながら思っていた。彼女が自分が頻繁に眠ることを快く思っていないと、薄々感づいていながら、だ。白本さんの眠る理由、そしてその体質故に何があったのか、それを知ってしまったら、魔法が解けるような気がしていたのだ。おれが抱いているファンタジックな幻想が消えてしまうような気がした。それは、何というか……とても寂しい。自分勝手なことだけれど。
しかし、あのとき白本さんのことを知りたいと決意している。それに何より白本さんの体調が本当に問題ないのかが心配なのだ。
突然のことでびっくりしたのか、白本さんはきょとんとしてしまう。慌てて付け加える。
「い、いや、もちろん差し支えなければ、だけど……」
白本さんはしばらくの間のおれのことじっと見つめていたが、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。
「ありがとね、生野くん。心配してくれて」
「そりゃあ、まあ、ね」
祭りのあいだに六回も眠るなんて、尋常ではないからな。
「けど、嫌だったら、言わなくてもいいよ」
「別に言いにくいことじゃないよ。いままでは聞かれなかったから黙ってただけなんだ」
「そうなんだ」
「ぶっちゃけちゃうと、いつ訊かれるんだろう、って思ってたんだよね」
「そ、そうだったの!?」
それは驚きだ。
白本さんは続ける。
「てっきり最初に訊かれると思ってたんだ」
「最初、っていうと、三科さんのときの?」
「うん。だけど生野くんも浅倉くんも訊いてこなくて。あのときは二人はわたしにそれほど興味がないのかなって思ったんだけど、すぐに気を遣ってくれてるんだって気づいたよ」
白本さんのおれと剣也と対する謎の信頼はそこからきていたらしい。
白本さんは特に決意の表情は見せなかった。どうやら本当に秘密にしていることではないようだった。
「わたしが頻繁に眠るのはね、凄く簡単に言うと脳が働き者だからなんだ」
脳が……働き者? 白本さんの説明に思わず首を傾げてしまう。
「生野くんは寝ている間に脳が記憶を整理させたり、定着させているのは知ってる?」
「ああ、うん。なんかのテレビで見たよ」
「わたしは起きている間も、他の人が寝ているとき以上のスピードで脳が記憶の処理をしているんだよ」
「えっ、それって……凄い、の?」
白本さんは曖昧に首を捻る。
「わからない。でも、珍しいとは思う。わたし以外にこういう人がいるかどうか……」
「そうなんだ……。もしかして、記憶力がいいのもそれが理由?」
「うん。わたしは五感で感じたものを忘れないの」
「ご、五感!? 視覚とかじゃなくて?」
見たものを忘れない人なら他にもいるだろう(会ったことはないが)。直観像記憶という単語は聞いたことがある。
「わたしは見たもの、聞いた音、嗅いだ匂い、食べたり飲んだりしたものの味、触れたものの感触、すべてを記憶してしまうの」
「……凄くない? それ」
「そうかもしれない。だけど、それらの情報は常に頭に入ってくるから、脳がどれだけ記憶を処理し続けても限界があるの。そうなったとき、わたしは眠気に襲われ、眠りに落ちる」
「ということは、情報が多く頭に入ってくるほど、早く眠くなるってこと?」
「うん……」
「それじゃあ、お祭りなんて……」
彼女にとっては最悪の空間じゃないか。人だかり、人の声とものが焼ける音の喧騒、空気に立ちこめる様々なものが混ざり合った匂い、ぶつかり合う肩、食べ物の味……それら全部を無条件で憶えてしまうなんて、きつすぎやしないか。
「もしかして、いつも変な事件の概要を聞いた後、タイミングよく眠たそうにしていたのって……」
「うん。情報量が一気に頭に入ってきたからだよ。……ただ、一度だけ、生野くんの下駄箱に破れたラブレターが入ってたときは、情報がちょっと少なくて眠れなかったけどね。あのときはネットで適当な画像を検察して、それを見ることで情報を取り込んで眠ったけど」
そうだ。そういえばそんなことがあった。あのときはスマホで何を調べたのだろうと思っていたが、視覚から情報を取り込んで眠ろうとしていたのか。
「じゃあ夢の中で推理するのも、その体質……のようなものが関係しているの?」
「うん。たぶんね。記憶や情報が整理されるとき、不可解な部分を正しく補おうとするんだと思う。ここはわたしにもお医者さんにもよくわからないんだけど」
「そっか。……おれ、負担とかかけちゃってなかった? 変な相談ばかりして……」
白本さんは慌てて腕を振った。
「全然大丈夫だから心配しないで。眠いだけでえらいとか苦しかったりはしないから。変な事件が起こったらこれからもどんどん相談してね」
「そっか。わかったよ」
それは、よかった。ただ、一つだけ思い出したことがあった。
「委員長の傘が盗まれたとき、気絶したとかなんとか言ってたよね? あれは、なに?」
「ああ、あれは、寝ないようにレッドブルを飲んだせいだね。もちろんレッドブルが悪いんじゃなくて、わたしの体質と致命的なまでに相性が悪いだけなんだけど。レッドブルが強烈すぎて、普通なら眠ってるほどの情報量が頭に入っていたのに眠れなかったんだ。たぶん、身体がこれ以上情報を取り込まないように意識を飛ばしたんだと思う。寝る直前の記憶が一切なかったから」
高校を受験するときレッドブルを飲んで勉強したおれには、何となくだが気持ちがわかった。あの飲料は凄まじすぎる。誉め言葉であるが。
白本さんは自嘲するようにため息を吐いた。
「この体質のせいで、わたしは多くの人に迷惑をかけちゃってるの。家族はもちろんだし、なっちゃんにも。……大分前、藤堂くんが子供のときにかくれんぼで隠れた場所を推理する、っていう遊びをやったよね?」
「うん」
「あのとき、藤堂くんが『なっちゃんは自分の元学校のバレー部にスカウトされていた』って言ってたの憶えてる?」
「ああ、うん」
あのとき、白本さんと萩原さんの空気が微妙にギクシャクしたので気になって憶えていた。
「わたし、そのことを知らなかったんだ。なっちゃんが黙ってたから」
「どうして、萩原さんはそのことを言わなかったの?」
「これをわたしが知ったら、『絶対いくべき』って言うからだって。当たり前だよね。友達が強豪校からスカウトされたなら応援するよ。寂しくはなるけど愛知なら会えないことはないんだし」
「それは、確かに」
「だけどなっちゃんはスカウトを断って、黙ってた。本当はもっと色んなところからスカウトがきてたのに、全部断ってた。そして黙ってたんだ」
理由はすぐにわかった。
「……それは、萩原さんが白本さんを心配していたから?」
白本さんはこくりと頷いた。
「そう言ってた。わたし、この体質というか病気のせいでなっちゃん以外に友達ができなくて、両親もそれを知っていたから、なっちゃんにわたしのことをよろしくって言ってたんだ。だからなっちゃんは自分のことより、わたしのことを心配して、スカウトのことを黙ってたの。あのとき、生野くんたちと別れた後、ちょっと喧嘩になっちゃったんだ」
そういえば、伶門さんが藤堂と喧嘩になったとき、白本さんは萩原さんと一度だけ喧嘩したことがあると言っていた。それは険悪になるようなものではないとも。その一度だけの喧嘩が、それというわけか。
白本さんは暗い顔で続ける。
「高校に入って、委員長や生野くん、浅倉くんに伶門さん、友達ができて嬉しかった。だから海に誘われたときも凄く楽しみだったんだけど、バイトで散々足を引っ張っちゃって……。今日だってそう。委員長に甘えて夏祭りにきたけど、寝てばっかりで三人に迷惑かけちゃうし、いまだってわたしのせいでみんなとはぐれて、生野くんにも迷惑を……」
白本さんは脅威の記憶力と頭のよさを得た代わりに、頻繁に眠ってしまうという副作用に悩んでいた。それはおそらく、白雪姫の毒リンゴの呪いのように、王子様のキスで目覚めるようは都合のいいものじゃないのだろう。
白本さんはどんな頼みごとでも、その殆どをノータイムで引き受けてくれた。それは白本さんが優しいのはもちろん、自分は人に迷惑をかけているから人の役に立ちたい、という思いも少なからずあるからかもしれない。
白本さんの気持ちはわかった。それをふまえた上で、おれにはどうして言いたいことがあった。
「白本さん……少なくともおれは、白本さんが眠ることが迷惑だって思ったことなんて一度だってないよ。これは気を遣っているとかじゃなくて、本当に一度だってないんだ」
「生野くん……どういう?」
「だってさ、おれは白本さんが眠ることで、助けられてばかりだったじゃないか。冤罪を晴らしてもらったこともあるし、姉ちゃんの不可解な行動の理由を見抜いておれを安心させてくれたこともあった。変な事件を持ち込んでは、全部解決してくれた。どう考えても迷惑をかけてるのは十対〇でおれだし、白本さんは何も気にする必要なんてないよ。自己嫌悪しちゃうのはしょうがないことかもしれないけど、いま白本さんの周りにいる人たちは、誰も迷惑だなんて思ってないよ」
剣也はもちろん、委員長や伶門さん含む演劇部の人たちも、生徒会の人たちも、丈二もカミハラも……そして当然萩原さんも誰も白本さんを迷惑とは思っているはずがない。萩原さんなんて、白本さんの寝顔を撮影しているくらいなんだ。迷惑がっているはずがないじゃないか。
「バイトで足を引っ張ったって言うけど、バイトなんてやらなくても生きていけるし、そもそもバイト中に寝たことを帳消しにするくらい、白本さんは眠って社会に貢献したじゃないか。おれたちがみんなとはぐれたのだって、白本さんのせいじゃないのをおれは知ってる。ええっと、つまり、何が言いたいのかっていうと、白本さんはもう少し自分の能力のことを誇っていいよ。少なくともおれたちには」
言いたいことを全部吐き出したので流石に息が切れた。そして言い終わってからこっ恥ずかしい気持ちが湧いてきて、白本さんを直視できなくなった。
しばらく俯いて黙っていると、ふふっと白本さんの笑い声が聞こえてきた。
ゆっくりと白本さんの方を向くと、呪いから解放されたような、爽やかな笑顔がそこにあった。
「やっぱり生野くんって、優しいね。ありがとう」
「……どういたしまして」
その笑顔に見とれていることを自覚しつつ、おれも笑って答えた。




