白雪姫登場
委員長と別れたおれたちは白本さんがいるという保健室に向かった。何でそんなところにいるのか、身体が弱いのか、と心配したおれたちであったが、委員長が「寝てるのよ」と言ったため脱力した。睡眠の邪魔をしてよいのかと疑問に思ったが、どうやらそれくらいで不機嫌になるような子ではないらしい。
しかし、情報をくれた委員長は、歯医者があって六時までには帰らなければならないのだという。急いでいたにも関わらず暗く沈んでいたおれたちを心配したのだろう。真相がわかったら教えてほしいと言っていた。
本棟一階の端っこにある保健室の引き戸の前に立つ。やや緊張しながらノックした。この学校の保健室に入るのは初めてなのだ。
「はーい」
とやや浮遊感のある声が中から聞こえてきた。それにおれたちは眉をひそめる。これは白本さんの声ではないか。養護教諭はいないのだろうか。
おれはおそるおそる引き戸を開けた。少しばかり薬品臭い……保健室お馴染みの香りを鼻で受けつつ、二人で中に入った。
カーテン付きの二台のベッド。薬品が収納されている棚。視力検査のあれ。体重計などなど。これまたお馴染みの物品と共に、部屋の中央に備えられたテーブルの椅子に腰掛ける白本さんの姿があった。彼女はきょとんとした顔で言う。
「生野くんと浅倉くん……。まだいたんだね」
「うん。ちょっと色々あってね」
おれが答えると、白本さんは申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんね。陸上部で怪我人が出たらしくて、いまちょっと柿本先生が出払っちゃってるんだ。わたしでよかったら手当てするけど……どこを怪我したの? それともお腹が痛いとか?」
「いや、具合が悪いとかじゃねえんだ」
剣也は失敬、とでも思っているのか、右手を顔の前に持ってきて謝るジェスチャーをした。
白本さんは小首を傾げる。どうでもいいが、仕草一つ一つが可愛いらしい。
「じゃあ何しに……もしかして、わたしに会いにきたの?」
おれは頷き、
「委員長からここにいるって聞いたんだ。寝てるって話だったけど……」
おれの言葉に白本さんは柔らかく微笑み、
「わたしだって、常に寝てるわけじゃないよ」
「それは、そうだよね」
「放課後はいつも保健室にいるのか?」
剣也が室内を物珍しそうに見回しながら言った。そういえば、剣也は保健室のご厄介になったことが殆どなかったけ。
「うん、基本的にいつもいるかな」
それを聞いて少し心配になった。
「大丈夫? 身体が悪いとかじゃないよね?」
「友だちの部活が終わるまで待ってるだけだから。心配してくれて、ありがとね。いつでも眠れるから保健室にいるだけなんだ。でも、寝てるだけじゃ悪いから、柿本先生のお手伝いもしたりしてるけどね」
「そうなんだ……」
何でそんなに寝たいんだろう、と思ったが訊くほどのことでもないかと考え口にはしなかった。
委員長と話すとなぜだか元気になってくるが、彼女と話しているとふわっふわとした不思議な気分になってくる。ふわふわと宙に浮いていきそうな心地よさを感じるのだ。
白本さんはおれたちを不思議そうに見つめ、
「どうしてわたしに会いにきたの?」
この問いには剣也が答えた。
「実はだね、俺たちはさっき怪奇現象に遭遇したんだ。それについて悶々と悩んでいたら、委員長が白本さんを紹介してくれたわけだよ」
「わたしを?」
「ああ。すっごく頭がいいから、って」
白本さんは照れたように頬を赤らめた。
「頭がいいっていうか、記憶力がいいだけだよ。……それにそんなに褒められるような特性でもないし」
特性? その言葉の意味を掴みかねたが、すぐに白本さんがその怪奇現象についてできるだけ詳しく知りたいと言ったため、尋ねることはできなかった。
彼女の要望通り、おれと剣也はお互いの記憶を補完しつつ、最初に部室にきたところから、いまに至るまでの経緯をかなり詳細に説明した。
しかしその途中から、彼女が眠たそうにうつらうつらし出していたため、内心では本当に大丈夫なんだろうかと思わないでもなかったが、委員長が言ったことを信じることにした。
すべての説明が終わると、白本さんはいまにも眠りそうだった。瞼が重く半開きになり、若干船を漕いでいるようである。
「犯人をつきとめてくれ、とまではいわねえ。けどせめて、忍び込んだ方法か動機だけでも解明してほしいんだ」
剣也は眠そうな白本さんに、やや困惑しながら懇願した。
「うん。やってみるね……」
白本さんはそう返事をすると、先ほど教室の前で話したときのような、心の底から眠たそうな声でこう言った。
「じゃあ、十五分経ったら起こしてね……」
「え?」
おれたちが何か言う間に、白本さんはテーブルに突っ伏してしまった。のび太君もびっくりなスピードで寝息が聞こえ始める。
本当に……大丈夫なのだろうか。だが、おれたちは委員長を信じるしかなかった。
◇◆◇
白本さんが眠ってから十五分が経った。幸いというのかわからないが、その間に柿本先生とやらが帰ってくることはなかった。
事件について話し合っていた(結局何もわからなかったが)おれと剣也は白本さんを起こすことにした。
「白本さーん。起きてー」
と言いながら肩を揺らしてみる。端から見ると完全に熟睡しているようだがこれで起きるのだろうか。不安に思ったが、白本さんはそれだけですぐに起床してくれた。
ふわぁ、と可愛らしいあくびをした後、おれたちに首を向けてきた。
「それじゃあ、部室で何があったのか話すね」
唐突すぎる。いきなり始まった解決編に、剣也が慌てて待ったをかけた。
「どうしたの?」
不思議そうに白本さんが訊いてくる。剣也は首を左右に高速で振り、
「いやいや、どうしたの、じゃなくてよ。もうわかったのかい?」
「うん」
平然と、彼女は頷いた。そのことにももちろん驚いたのだがそれ以上に……、
「でも白本さん、まったく考えてなかったよね? 話聞いてたときも眠そうだったし、聞き終わったら寝ちゃうし。いったい、いつどのタイミングで推理したの?」
「うーん……寝てるときに、夢の中で推理した、って言ったらいいのかな?」
おれと剣也は二人してぽかんとしてしまう。彼女は何を言っているのだろう。夢の中で、推理? どいうことだ。
彼女は柔らかくふわふわした特徴的な声音で説明してくれる。
「正確に言えば、意図して推理したわけじゃないんだ。寝てる間に脳が勝手に情報を整理して、推論を組み立ててくれるんだよね。そして、わたしは夢の中で事件について考える夢を見てたの」
「何、その特殊能力……」
剣也から呆然とした呟きが漏れた。おれは言葉こそ出なかったが剣也と似たような感想を抱いた。
白本さんはしかし、どこか自嘲するかのような力のない笑みを浮かべ、
「いや、そんな大それたものじゃないよ……」
それから気を取り直したのか、おれたちを真っ直ぐに見据えた。
「それじゃあ、事件のことについて、説明するね」