幽霊の正体見たり【解決編】
人命に関わるという単語が出ては、警察官としては流石に無視できないようで、葵さんは身だしなみをある程度整え、外出する準備をし始めた。
「お、おい人命に関係があるとかってまじなのか?」
荒巻会長が混乱気味に尋ねた。彼だけでなくみんな混乱している。
「はい。さっきも言った通り場合によっては、ですけど」
「場合によってはって何だよ」
「それは屋敷の中にいる人たちによるんです」
「一体、あの屋敷で何が起こってるの?」
おれがみんなを代表して尋ねた。
「それは――」
「準備完了よ。いつでもいけるわ」
いいところでスーツに着替えた葵さんが部屋に入ってきた。
「わかりました。いますぐいきましょう」
「車出そうか?」
車のキーを片手で弄びながら雪村さんが言った。
「お願いします。事情は向かいながら説明します」
「よし、じゃあ生野。俺たちの代表で付いていけ」
「え? いいんですか?」
葵さんの方を見た。
「雪村と白本ちゃんも付いてくるんでしょ? なら一人くらい増えても別に構わないわよ」
「でも、おれ何にも関係ありませんよね」
「一応お前も幽霊を見たろ」
荒巻会長がぽんと肩に手を乗せてくる。
「見届け人ってやつだ。それに慣れてるんだろ、こういの」
「は、はあ……。いいの、白本さん?」
白本さんは頷いた。
「うん。人手はあった方がいいかもしれないから」
◇◆◇
雪村さんの車に乗ったおれたちひ『中村邸』の鍵を持つ人の自宅へ向かっていた。
その道中、白本さんは約束通り幽霊騒ぎの真相を語ってくれた。
「単刀直入に言いますと、『中村邸』の幽霊騒ぎの正体は幽霊じゃありません。子供の仕業です」
「子供? まあ確かに屋敷の裏にあった穴からなら中に入れそうだけど……私が『中村邸』に入ったのは八時よ。そんな時間に小さな子が家にいなかったら捜索願が出ててもおかしくないわ。無論、そんなものは出てないけど」
「いえ、出てると思います。葵さんが『中村邸』を調べた日の当日や前後ではなく、もっと前に」
「もっと前……?」
おれにはピンとくるものがあった。
「もしかして旅館の駐車場の掲示板に貼ってあった行方不明の子たち?」
「うん、だと思う。あの子たちの詳しい情報はわからないけど、幽霊の噂が広まりだしたのが七月の末で、あの子たちが行方不明になったのは七月の下旬ごろって掲示板に書いてあった。それなら時系列は合うから」
葵さんが困惑した声で、
「ということはなに? 『中村邸』はその子たちの住処になってたってこと?」
「おそらくは。トイレは近くの公園でできますし」
助手席に座る葵さんはバッグから手帳を取り出した。
「ええと、行方不明の子供の名前は長田吉人と長田美吉。双子の兄妹で年齢は七歳。この歳の子ならあの穴でも通れそうね。……夏休みの初日の朝、二人で遊びに出かけてそれ以降行方不明」
「その子たちの家庭環境はどんな感じですか? わたしの推理では二人が行方不明になったのは家出をしたからなんですけど」
「家庭環境は……あー、結構悪いわね。父親が浮気、母親は勝手に借金してパチンコや競馬に夢中で喧嘩が絶えなかったみたい。警察の方でも家出の線が濃厚だと判断してるっぽいわ。まあ朝っぱらから不審者が二人を連れ去ったとは考えにくいしね」
七歳の子供がたった二人で家出をするなんて……。もしかしたら、というか確実に長田家は文面以上に悲惨な状態なのかもしれない。
しかし、
「だけど、そんな小さな子が夏休みの初日からいまのいままで生き抜いてこられたとは思えないんだけど」
雪村さんが至極尤もなことを言う。そうなのだ。普通そんな家出は長持ちしないはずだ。
白本さんはそれを承知していたようで、その疑問に対する解答は用意されていた。
「そうなんです。だから二人には生きていくための協力者がいたんです」
「協力者ぁ?」
「……もしかして、それって」
「そう、隆盛くんだよ」
そのとき、車がとまった。『中村邸』の鍵を持つ人物の家へ辿り着いたのだ。
◇◆◇
葵さんが鍵を借りてきたので、今度は『中村邸』へと向かう。
白本さんは中断していた話の続きをする。
「隆盛くんがひったくりをしていたのはそれが理由です。二人を養うお金を稼いでいたんです」
「そういえば親の金を盗もうとして叱られたって話があったね」
「最初はそうしてお金を用意しようとしたんだろうけど失敗したんだろうね。だからひったくりに手を染めたんだよ。どれだけ町が警戒色に包まれても、隆盛くんは二人のためにひったくりをやめるわけにはいかなかったんだ」
隆盛君は優しいと評判の良い子だったらしい。そんな彼だからこそ、決死の覚悟で家を出た二人に協力せずにはいられなかったんだろう。しかしそれで自分が犯罪者になってしまっては、それが正しいとはとても言えないではないか。
そして、一つわかったことがある。おれと荒巻会長、奥道さんが幽霊――正確には子供たち――を目撃する直前に、さっきまで小声で喋っていた荒巻会長が奥道さんが転んだことで「美善!」と大きな声を出した。美善……みよし……美吉。つまりあれは中にいた長田美吉ちゃんが隆盛君に自分の名前を呼ばれたと思い、窓から外を確認したところだったのかもしれない。
「隆盛君が動機を語らないのはそういうことなんだね。二人が家に帰されてしまうから」
「うん」
一瞬だけ車内に沈黙が訪れたが、まだ謎な部分はたくさんある。
「幽霊の正体はその二人だとして、それで私が『中村邸』に入ったとき二人はどうしていたの?」
「屋敷の中にいたんです。外に出たとは思えないので」
「でもいなかったわよ」
「隠れていたから見つけられなかったんです」
「いや、でも隠れられる場所なんて……」
「二階の部屋のカーテンの裏ですよ」
「カーテンの裏ぁ!?」
「はい。小さい子ならいけると思います。窓の縁の奥行きが三十センチ。窓の面積は五十センチ四方。身を丸めればカーテンの裏に隠れられることができるはずです」
「た、確かにカーテンがかかってた部屋は二カ所ね……。ん? でも――」
おれが葵さんの言葉に被せて言う。
「塀の周囲を田中さんが回ってたはずだよ。だとしたら田中さんが二人を見てるんじゃない?」
「うんうん。そのはずよ」
「それについては簡単です。窓に黒い紙やビニールを押し当てておけばいいんです。そうすれば外からは黒くしか見えません。現に葵さんが二階の右側の部屋の窓にライトを当てていったときも、白いカーテンがかかっているはずの部屋の窓も黒く見えたんですよね? 窓の縁に奥行きがあったとしても、流石にカーテンくらいには光が当たって然るべきなのに」
白本さんの弁舌におれたちは聞き入ってしまう。
「もちろん常にその仕掛けをしているとは思えないので、人影を見た田中さんがその場で電話をかけるのを窓から見ていたんでしょう。そこから田中さんが離れるのを待って、おそらく隆盛くんが緊急時のために教えておいた隠れ方をしたんです」
「そして私たちはまんまとそれに引っかかったってわけね……」
葵さんは嘆息した。
「ん? でも待って。人命に関わるってのはどういうこと?」
「子供たちは隆盛くんにあまり外に出るなと言われている可能性があります。町に顔写真を貼られていますから、大人に見つかったら家に戻されると思っても不思議じゃありません。そうだとしたらまずいです。お金もありませんから食べ物も買えないですし、水も摂取してるかわかりません。それにこの暑さです。日中は顔を隠して図書館かどこかに潜んでいたのかもしれませんけど、それは隆盛くんありきだと思うんです。もし、今日ずっと屋敷の中で飲まず食わずだったとしたら……」
「熱中症に陥っているかもしれない?」
おれが呟くと白本さんは神妙な面持ちで頷いた。
車がとまる。窓の外を見ると目の前に『中村邸』があった。
「ちゃんとしたとこに車とめてくるから、早くおりなよ」
「はい。雪村さん、念のため近くで経口補水液を買ってきてくれますか?」
「合点」
おれたちは三人で『中村邸』へ突入した。懐中電灯を持つ葵さんが先行して、廊下を進んだ。おれと白本さんも廊下を軋ませながら後を追った。
葵さんは扉を開けてリビングに躍り出ると素早く身体を階段のある右に動かした。一度屋内を巡っているからか迷いがまったくない。
葵さんは二階にある一番手前の扉を開け、中へと消えた。おれたちが室内を覗くと、葵が窓のカーテンを捲っているところだった。誰も隠れてはいないようだ。
葵さんはこちらへ戻ってくると真ん中の扉を開けた。懐中電灯を素早く室内に走らせると、部屋の中央に二人の子供がぐったりと倒れていた。男の子と女の子。あの掲示板に貼られていた顔写真の子たちだ。
「ちょっとこれ持ってて」
懐中電灯を預かる。
葵さんは子供たちのもとへ駆け寄ると、女の子の上半身を抱き上げた。
「ねえあなた、起きてる!? ねえってば!」
ううっ、と低い呻き声が女の子の喉の奥で鳴ったが、目は覚まさない。ただ寝ているわけではないようだ。
「生野くん救急車呼んで!」
「わかった!」
白本さんからかつて聞いたことのないほどの大きな声を受け、おれはすかさずスマホを取り出して119番をプッシュした。
おれと荒巻会長、奥道さんが見た幽霊の正体はあの子で間違いない。もしかしたら窓から顔を覗かせたとき、既に危ない状態だったのかもしれない。あのとき逃げずに無理やり中に入っていれば……という後悔が湧いてくるも、それはいくらなんでも結果論にすぎるだろうか。




