続・屋敷調査
視線を感じた葵が慌てて振り返ると、窓の外から緑川が覗いていた。どうやらこの窓が屋敷の左側にあった窓のようだ。
手を振ってくる緑川を無視し、葵は屋敷の探索に戻る。昔からこの屋敷に入ってみたかった彼女としては、いまこうして合法的にここを探検できることに割と興奮している。
リビングは捜査し終えたので、次に葵が出てきた廊下の正面にある扉の先を見てみた。一本道の廊下の先に引き戸が一つだけあった。他に部屋はない。葵はその部屋に入ることにした。
リビング同様、この部屋にも家具が置いていなかった。唯一あるのはカーテンだが、キッチンのような特徴のあるものではないので部屋の用途はわからなかった。
床に光を這わせていた葵は眉をひそめた。部屋の中央付近に穴が空いていたのだ。頭くらいは普通に入りそうなほどの大きさだ。
「そういや壁に穴が空いてたっけ」
先ほど屋敷を一周したとき見たような気がした。そこに繋がっていてるのだろうか。とはいえ、ある程度成長した人間には頭は入っても肩幅的にこの穴は通れない。子供ならいけるかもしれないが、こんな不気味なところに好き好んで入ってくる子がいるかははなはだ疑問である。
葵は光をカーテンに当てる。ガラス戸を閉ざしていたものだろう。何となく念のためカーテンを捲ってみると、目の前に緑川がいた。
なぜかVサインをしてくる彼を無視して部屋を後にする。
リビングに戻り、今度は右側の扉へと進んだ。
こちらの廊下は逆L字型になっており、真っ直ぐいった先に場所に一つ、そこから左に折れた先の右側に一つ、計二つの部屋があった。葵は前者の部屋に入った。窓から緑川が覗いていたがそれを無視し、室内を調べるが、やはりこの部屋にも人が隠れられるような場所はなかった。
続いて後者の部屋を調べる。例によって緑川が窓からこちらを観察しており、そしてこれまた例によって誰かが隠れられる場所はなかった。
葵はギィギィと床を軋ませながら再びリビングへ戻った。
「次は二階か」
左右の階段のうち、どちらを上るか。巴が人影を見たのは屋敷の二階の右側だったので、いきなりそちらへいってもよかったが、それで侵入者を見つけたらこの屋敷を探検する機会を失ってしまう。
思い切り私情を挟んだ葵は左の階段を選んだ。黒ずんでところどころ腐敗した階段を慎重に上る。
階段の上には三つの部屋が並んでいた。まず葵は一番手前にあった部屋を覗いた。四畳ほどの面積の部屋だったが、やはり家具は殆ど何もなく、白く分厚いカーテンが窓の左側に束ねられているだけだ。
葵は窓を調べてみた。面積は五十センチ四方ほどで、はめ殺しのため開けることはできない。窓の縁は三十センチほどとなかなか奥行きがあった。
「ここからは出られないよなあ」
窓を叩き割らない限りは、と葵は心の中で付け加えておく。当然窓を割ったら大きな音が出るので、忍び込んだ者がそんなことをするとは思えない。
葵は隣、その隣の部屋も確認したけれど、どちらも最初に見た部屋とまったく同じ作りの部屋となっていた。故に人が隠れられる場所はない。
葵は階段を下り、いよいよ人影が目撃されたエリア……二階の右側へと進んだ。間取りは左側と変わらなかった。葵は一番手前の部屋に入る。
間取りだけでなく内部も左側と同じであった。ただ、こちらは左側の部屋とは違って窓にカーテンがかかっている。しかしそれだけだ。
葵は部屋から出ると、巴が人影を見たという真ん中の部屋のドアノブに手をかけた。流石に緊張が走る。
葵は深呼吸をして、勢いよく扉を開けた。
心のどこかで予想していたことではあるが、やはり誰もいなかった。さっきの部屋とは違いこっちのカーテンは開いていた。閉まっていたならば誰かが部屋にいたことの証明になったのだが(カーテンが閉まっていたら巴が人影を見れないからだ)。
葵は最後の部屋を確認した。階段から一番手前の部屋と同様にカーテンがしまっているだけで、人が隠れられるような場所はない。
これで全部の部屋を見たはずだ。しかし誰もいなかった。開けた扉の裏に隠れられる、という不覚は取ったということもない。扉はどれも完全に開けきってきた。つまりこれは……一体どういうことなのだろうか。
玄関から外へ出た葵に緑川が詰め寄ってきた。
「ど、どうだった柏木!」
「誰もいませんでしたよ。全部の部屋をしっかり見ましたけど」
「と、ということは、幽霊ってこと!?」
「そんなもんいるわけないでしょう」
「じ、じゃあ田中さんが見た人影は何なんだよ!」
「そ、それは……。誰か出てきませんでした?」
「出てきてないよ。屋敷の周りをずっとふらふらしてたから間違いない」
葵は釈然としない思いを抱え、緑川は完全に怯えながら門扉から敷地外へ出た。
屋敷の右側の塀から巴がひょっこりと顔を出す。
「お巡りさんお巡りさん、どうだった?」
「誰もいませんでした」
葵が答えると、巴は「まっ」と手で口を覆った。
「やっぱりあれは幽霊だったのよ。間違いないわ! お巡りさんが屋敷に入っている間、私はずっと塀を見回りながら屋敷を見張っていたもの。誰も出てこれやしないわ」
今回は電柱の裏に隠れていたわけではないようだ。
つまり屋敷内を葵が、敷地内を緑川が、塀の周りを巴がそれぞれ見張っていたことになる。完全なる密室というやつだ。
葵と緑川は念のためもう一同窓の鍵を確認して回ったが、どこも鍵はかかったままだった。
◇◆◇
「と、まあこういうことがあったのよ」
長い話を語り終えた葵さんはふぅっと息を吐いた。
おれたちは完全に葵さんの話に聞き入ってしまっており、話が終わった後もリアクションを忘れてしまっていた。
「お、おお、おおおおお! 幽霊まじか!? あそこまじで幽霊がいんのか!」
荒巻会長が思い出したように大声を発した。
「正宗うるさい。まだ幽霊ってきまったわけじゃないわよ。田中さんの見間違えとかかもしれないし」
「何をどう見間違えるんだよ。少なくとも俺たちが見たのは百パーセント人の顔だったぜ」
「うーん……まああんたたちの場合はねぇ。三人が三人揃って見間違えとは思えないし」
葵さんは低く呻く。
はい、と響が元気よく手を挙げた。
「田中さんの嘘ということはないんですか?」
「ないない。普通自分が嘘ついたと思われるからそんな嘘はつかないわよ。通報だけして名前も告げないのならともかく、田中さんは現場にちゃんといたんだから」
「確かに」
「それに、田中さんが嘘ついてたとしたら、おれたちが見た人の顔の説明がつかないからな」
おれも補足説明をしておく。
「ううん奇妙奇天烈だねぇ」
雪村さんが思考放棄気味に呟いた。
「葵さんが屋敷を探索しているときに侵入者も絶えず移動していた、というようなこともありませんか?」
奥道さんがテーブルにやや身を乗り出して尋ねた。
「ないわね。あの屋敷、床がかなり軋むから私以外に誰かが歩いてたら気づくわ」
それではどうやって田中さんが見た人影は屋敷から消えてしまったのだろう。まさか本当に幽霊……?
さっきおれたちが目撃した人の顔が脳裏をよぎり、寒気が走ってきた。
「一体どういうことなんでしょうね……」
響が腕を組んで呻いた。
「それを知るために白本ちゃんにこの話を聞いてもらったのよ」
「そういうこったな。俺たちが考えてもわかりっこねえんだ。つーわけでよ、白本。お願いするぜ!」
キリッとした声とともに荒巻会長が白本さんに首を向けた。しかし……、
「由姫、既に寝てますよ」
萩原さんが冷静な声で言った。
白本さんは敷かれた三枚の座布団に寝転がっていた。
「え、いつから?」
「葵さんが話をしている途中です。確かキッチンで葵さんが緑川さんの視線を感じた辺りです」
「ということは、私の話の半分くらい無駄だったってこと?」
「そうなりますね」
「話とめてよ……」
葵さんががくっと肩を落とした。
その後、白本さんが起きるのを待ってから、葵さんは先ほどの話を途中からもう一度した。
話が終わるころにはまたもや白本さんは眠そうな顔になっていた。
「それで、白本ちゃん。他に何か訊きたいこととかあるかしら?」
「そうですね……最近、『中村邸』で幽霊騒ぎ以外に変わったことや……気になったことはありますか……?」
「うーん……何かあったかしらねえ」
葵さんは記憶を辿るかのように天井を仰ぐ。
「あー、そういえば今日聞いた話があるわ。あんたたちも無関係じゃないことがね」
「それは?」
おれが訊いた。
「隆盛君のことなんだけどね。『中村邸』の周囲で彼を見たって人が多かったみたい。塀を乗り越えようとしてるところを注意した人もいるらしいし」
「誰から聞いたんだ、そんな話?」
荒巻会長が疑問を呈した。
「生活安全課の知り合い。ほら、一応隆盛君って私が捕まえたからさ、彼の情報を提供してくれたのよ。ま、これが関係あるのかわからないけどね」
全員の注目が白本さんに集まった。おれだったらここまで人の視線に晒された状態で眠ることはできないが、彼女の眠気にはそういうものは関係ないらしい。
白本さんはゆっくりと座布団に寝転がると寝息を立て始めた。そして萩原さんが写メを撮った。
◇◆◇
十五分後、萩原さんが白本さんを起こした。むくりと上半身を起こした白本さんは弾かれたように立ち上がった。
「葵さんいまから『中村邸』に入れますか?」
テーブルに両手を着き葵さんに迫る白本さんは、いままで見たことないくらい焦っているように見える。
「え、ええと……中村さんの弟に鍵を借りないと無理だけど」
「では、いますぐ借りてください」
「ええ!? 白本ちゃんそれは流石に無茶よ。というか何かわかったの?」
「わかったからこうしてお願いしてるんです」
「白本さん、急がなきゃならない理由があるっていうの?」
いつになく強引な白本さんに思わず声をかける。
白本さんは力強く頷いた。
「場合によっては人命に関わるの」




