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白雪姫は事件の夢を見る  作者: 赤羽 翼
白雪姫北へ 後編
75/85

幽霊出現



 今日のバイトもさながら戦争のような喧騒と忙しさであった。かき氷を頼まれたらどこからかビールを頼まれ、それらを客に出そうとすると浮き輪のレンタルを頼まれる。白本さんと萩原さんはナンパされ、萩原さんはそれを冷徹にはねのける。奥道さんの淡々とした会計が響き渡り、荒巻会長は何もしない雪村さんをどやす。厨房からはときたま、響と海冶さんのテンションマックスの叫び声が聞こえてくる。この海の家は色々とおかしい気がする。


 客足が減り、一息つけるようになったときには雪村さんを除き、全員が昨日と同じようにぐったりと椅子に腰を下ろしていた。


 左隣に座る白本さんは特に疲れているようで、結構息を切らしていた。


「大丈夫、白本さん」

「うん、平気。定期的に寝てるからみんなより仕事量が少ないんだ。だから気にしなくていいよ」

「そっか……」


 なんか、みんなと比べて仕事量が少ないから疲れたとは言えない、というニュアンスに聞こえるのだが、本当に大丈夫なのだろうか。


「いやあ、この人数がいてくれて助かったぜ。過去最高クラスの客量だ」


 海冶さんがビールを煽りながら言った。……酒飲んでいいのだろうか。


「いつもは何人バイトを雇っているんですか?」


 奥道さんが普段通りの無表情で訊いた。


「俺含めて五人だ」

「五人じゃ回りそうにないね。八人でも厳しいんだもん」


 肩をすくめながら雪村さんが呟く。

 荒巻会長はそんな兄を睨み、


「自分を数にいれてんじゃねえよ。兄貴がしっかり手伝えばもっと楽だからな」

「それはさ、ほら、あれだよ。力を隠しているっていうかね。普段は何もせず傍観に徹しているけど一度動けば凄まじい戦力になる、みたいな」

「みたいな、じゃねえっつの。どこのバトル漫画だよ」

「脱いだらすごい、みたいな」

「そんなにすごいなら手伝ってくだせえよ兄上」

「嫌だなあ」


 本当にマイペースな人だ。

 右隣の響がぐでんとテーブルに突っ伏した。


「うがああ……暑疲あつれたあ」

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃないかも。体力を消耗しすぎたみたいだよ」

「扇風機当たる?」


 白本さんが尋ねると、響は「ふぁい」という情けない声で肯定する。

 白本さんがカウンターの上で回っていた扇風機の首を響に固定した。


「あああー……ちょっとだけ生き返るぅー」


 ちょっとだけかよ。まあ隣にいるおれにも風が当たるから気持ちはわかるけど。疲れてるし暑いしで最悪のコンディションだ。

 ……そうだ。ちょいとばかしみんなの体温を下げてあげよう。


「あの、海冶さん」

「ん? なんだい?」

「さっき買い出しのときに加奈子さんから聞いたんですけど、『中村邸』の話……」

「おお、あの屋敷のことか」

「何だそれ」


 荒巻会長が訊いてきたので、おれはざっくりとした場所を教えた。荒巻会長も屋敷を見たことはあったようで、


「あそこか。あれ『中村邸』なんて呼ばれてんのかよ」

「らしいです。で、そこに最近幽霊が出るって聞いたんですけど、本当なんですか?」


 幽霊、というあらゆる人間に興味を抱かせるワードにみんなが注目を集めた。


「近所では、割と見たって人は多いらしいぜ。つってもまあ悪戯だろうけどな。だって幽霊が出るって噂が広まったのは最近なんだからな」

「そういえば加奈子さんも七月の末から流れた噂だって言ってました」

「そう。幽霊が突然現れるなんてあり得ねえだろ? 中村さんたちが心中したのは三十年くらい前なんだ。その当時から幽霊の噂があったならまだしも、そんな話は聞いたことがない。だから悪戯なのさ」


 確かにいまさら幽霊が現れたとしたら、随分と時差がある登場だ。こういうものは普通事件が起こって間もなく流れる噂だろう。


「海冶さんは見てないんですか、幽霊?」


 萩原さんが尋ねた。


「俺は見てねえんだ。幽霊の噂が立つ前から、あそこには怖くて近寄ってねえんだ! めっちゃ不気味だからな。がははははは!」


 そんな豪快に笑うところじゃないでしょう。

 荒巻会長がテーブルから身を乗り出し、


「伯父さん、幽霊を見たって人知らねえか?」

「おっ、なんだなんだ正坊。幽霊に興味があるのか? そうさなあ。あそこの近所に住んでる誰かしらは見てるかもしねえな。……そういや、数日前に葵の奴が『中村邸』云々言ってたな」

「へぇ、葵ちゃんが」


 雪村さんが意外そうに呟いた。

 白本さんもその情報に食いついた。


「幽霊の噂で警察がその『中村邸』? に関与したんですか?」

「幽霊が関係あるかはわからんけど、屋内に入ったらしいぜ。気になるんだったらあいつが帰ってきたら聞いてみることだな」


 荒巻会長は興味津々といった表情を浮かべていた。これは後で何か面倒なことが起こりそうだぞ。

 と、ここで家族連れが店に現れた。それを期に再び客がなだれ込んできたので、この話はこれで打ち止めとなった。



 ◇◆◇



 七時半ごろのことだった。日の長い夏といえど、流石にこの時間になると外は暗い闇に包まれており、窓から見える海は漆黒に染まっている。


 今日はなかなかの熱帯夜で、陽は落ちているのに温度はあんまり下がっていない。ただでさえ寝られないのにこんなに暑かったら絶対眠れないだろうな。まあ、クーラー点けるだろうけど。


 トイレから部屋に戻ってきたおれは窓辺の椅子に腰掛けてポケットからスマホを取り出した。剣也から昨日からずっとLINEでメッセージが着ているのだが、美人探偵がどうの手袋がどうのと要領の得ないことばかり書かれているので、友人の精神状態を心配しながらスマホを切った。


 荒巻会長も雪村さんもいない。風呂にでもいったのだろうか。いつもは八時くらいに入るのだけど、おれも風呂にいこうかな。


 バッグのもとへ移動し、タオルと着替えをあさっていたときだった。扉が開く音がして、荒巻会長の声が聞こえてきた。


「生野、いま暇だろ? 面貸せ」


 振り向くとにやりと不敵に笑う荒巻会長と無表情の奥道さんが立っていた。


「どうしたんですか?」

「どうしたって……おいおい生野。それでも我が校が誇るミステリーハンターかよ」

「ミステリーハンターじゃないですよ。それは白本さんです」

「じゃあ我が校が誇るミステリー誘蛾灯かよ」

「一気にださい語感になりましたね」

「それはどうでもいいだろ。とりあえず、暇なら『中村邸』にいくぞ」


 やはりか……。ミステリーハンターという呼称が出た時点で何となく察しがついていた。


「どうしてですか?」

「理由なんかねえよ。幽霊と宇宙人とUMAは人間の大好物だからってだけだ!」


 何となくはわかる。


「本当は白本も連れていきたいんだが風呂にいっちまってるみたいだ。だから三人でいく。ついてこい」

「いってどうするんですか? 侵入でもするんですか?」

「それはまだ決めてない。とりあえず近くまでいって様子を見たいんだ。何かあったときのためにミステリー経験豊富な生野に一緒にきてほしいってこった」


 ミステリー経験豊富って、また変な日本語が出てきたなあ。


「……まあ、それくらいならいいですよ」


 おれは渋々承諾した。



 ◇◆◇



 『中村邸』のすぐ傍までやってきた。屋敷の正面玄関が見える位置にある電信柱の裏に、なぜか三人で隠れているという状況だ。


 昼間でさえ異彩を放っていた屋敷は月光を受けて、余計におどろおどろしい雰囲気をまとっていた。誰がどう見ても幽霊屋敷にしか見えない。


「どうしておれたち隠れてるんですか?」

「ノリだ」


 場の雰囲気で小声で尋ねたおれに荒巻会長は同じく小声で答えると、ゆっくりと『中村邸』へと歩き出した。おれと奥道さんは彼の後に付いていく。

 荒巻会長は門扉の前でとまり、屋敷の左側へと回る。こちらの道は屋敷の敷地と同じくらいの距離で行き止まりになっていた。


 屋敷のすぐ後ろには民家が建っているので――正面玄関から見て――後ろにはいけないようになっている。


 壁面を見上げる。はめ殺し式と思われる窓が三つ等間隔で連なっていた。部屋が三つあるのだろう。昼間見た――正面玄関から見て――右側の壁も確かこの左側の壁と同じ造りになっていたはずだ。


 窓に何も映ってないだろうなとしげしげと眺めていると、視界の隅っこで荒巻会長が塀に手をかけ始めた。


「ちょっと会長……!」


 おれは慌てて、しかし声を押し殺しつつ呼び止める。

 しかし荒巻会長は意に介さず、塀に乗せた両手で身体を持ち上げ、敷地内を覗いた。


 おれは誰もこないだろうなと周囲に気を配りつつ、


「荒巻会長……!」

「ここは駄目だな」


 荒巻会長は小さく呟くと塀から手を離した。


「雑草が生い茂ってて降りれねえ」

「中に入るならおれ帰りますよ」

「安心しろ、ちょっとだけだよ」

「全然安心できませんよ。奥道先輩も何か言ってください」

「私は会長の意に従います」


 忠誠心が高すぎる。何時代の人間なんだ彼女は。


「門扉から入った方がいいな」


 確かに門扉から玄関までは緩い石段のようになっていたので周囲に雑草は生えてなかった。

 荒巻会長と奥道さんは正面玄関まで引き返していく。……はあ、もうしょうがないか。

 観念したおれも二人の背を追って門扉の前まで戻った。


 荒巻会長は門扉を見つめながら抑えた声で呟く。


「門扉のレバーを下げると絶対でかい音が出るよなあ」


 手を伸ばして門扉を軽く揺すり始めた。荒巻会長の顔が喜色に染まる。


「揺すっても大した音はでねえな。直接乗り越えちまおうぜ」


 門扉は荒巻会長の腹ほどの高さしかないので簡単に乗り越えられるだろう。

 三人でこそこそと門扉を越えて敷地内に侵入した。これでおれたちは不法侵入者である。

 荒巻会長は素早く奥へ足を運び、玄関扉のノブを掴んだ。しかし、


「駄目だ。想像はできてたけど鍵がかかってる」

「じゃあ帰りましょう」

「鍵の開いている窓を探してみますか?」

「よし、そうしよう」


 奥道さんも案外ノリノリじゃないか。

 荒巻会長が屋敷の左側に回る。先ほどと違い今回は敷地の中だ。

 一カ所窓があったが鍵がかかっていた。荒巻会長はめげることなく今度は屋敷の裏へ向かう。こちらにはガラス戸があったが、やはり鍵がかかっていた。ちなみにカーテンがかかっており屋敷内は見えなかった。


「くっそ。やっぱ入れねえか」

「会長、そこに大きな穴が空いていますよ」

「なに、どこだ」


 奥道さんはガラス戸の左下を指差した。地面と接地している壁面に半月状の穴が空いていた。見たところ人為的に空けられた穴ではなく、腐敗が進んでできたものに見える。もしかしたらネズミなどが手助けしたかもしれない。


 荒巻会長はしゃがんでその穴をしげしげと観察する。


「頭は入りそうだが……こりゃ無理だな。胴体で引っかかるな。白本ならいけるか?」

「流石に無理でしょう。幼稚園児とか小学校低学年とかでもない限り」

「だよなあ」


 おれの言葉に荒巻会長は残念そうに肩をすくめた。入れさせようと思ってたのか。


「ってかそもそも、この穴が中に繋がってんのかもわかんねえな」


 荒巻会長はポケットからスマホを取り出すと、それごと手を穴の中に突っ込んだ。スマホを灯りにしようという魂胆だ。


「……空洞になってんな。んでもって広い。おっ、上に穴がある。屋敷の床に大きめ穴が空いてるんだ」


 しかしこの穴を通れないのだから意味がない。荒巻会長は手を引っ込めた。

 続いては正面玄関から見て右側に回った。こちらには二カ所窓があったけれど案の定両方とも閉まっていた。つまり屋敷へは入れないというわけだ。よかったよかった。


 門扉を越えて敷地外へ出た。荒巻会長はまだ諦めきれないようで、ショーケースの中にあるおもちゃを眺める子供のような視線を『中村邸』に向けている。


 すると荒巻会長は屋敷の右側に移動して見上げる。


「何してるんですか?」


 さっきまで後ろ暗いことをしていたのでつい声のボリュームが下がってしまう。それは荒巻会長も同じなようで、小さな声で返答してきた。


「こっち側からはまだ見てなかったと思ってな。何かねえかな、と」

「何もありませんよ」

「みたいだな」

「帰りましょう」

「……だな」


 荒巻会長は名残惜しそうに肩をすくめた。


「では、いきますか――っ!」


 奥道さんが踵を返したところ、アスファルトのくぼみに躓いてすっ転んだ。


「お、おい大丈夫か、美善!」


 急なことだったからか、先ほどまで小声だった荒巻会長から大きな声が漏れた。

 アスファルトのうつ伏せに倒れた奥道さんは上半身を起こし、親指を立てた。傷はないようだ。


 そのときだった上を見上げる格好になっていた美善さんの目が僅かに見開かれた。まさかと思い屋敷の二階部分を見た。荒巻会長も同じことをしていた。


 二階の三つの窓のうち、真ん中の窓に()()()()()()すぐに引っ込んだ。


 おれの背中を未曾有の恐怖がぞぞっと這い上がってきた。荒巻会長は口をぽかんと開け、奥道さんは無表情に青い汗を垂らしている。


「う、うわああああああ!」


 あれだけノリノリだった荒巻会長が絶叫を放ちながら全力で旅館とは逆方向に走り去っていった。

 おれと奥道さんは慌てて追いかけた。



 屋敷から一分くらいの場所にあるトイレとブランコとベンチしかない寂れた公園に肩で息をする荒巻会長はいた。

 おれたちが後ろにつくと、荒巻会長はゆっくりと身体をこちらに向け、かすれた声で言う。


「な、なあ、お前ら。さっきの、見たよな?」

「は、はい。見えました」


 おれが言うと奥道さんもこくこくと頷いた。


「だ、だよな……。あれは、何なんだろうな」

「ゆ、幽霊、なんじゃないでしょうか」


 奥道さんの言葉とともに、生暖かい風がおれたちを包み込んだ。

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