幽霊屋敷?
バイト三日目の朝。早くに目を覚ましてしまった俺は旅館の天井を眺めていた。一日目のときもそうだったが、やはり自室のベッドじゃないと快眠とは言い難い。寝付くのに時間がかかるし、起きるのも早くなる。最悪の睡眠パターンである。
寝返りをうつと唖然とした光景が目に飛び込んできた。隣に布団を並べていた荒巻会長が掛け布団を蹴っ飛ばし、敷き布団からはみ出し、畳にうつ伏せで眠っていた。……よくそんな体勢で眠れるな。戦慄を覚えた。
完全に目が冴えてしまった。これはもう二度寝は無理そうだ。
おれは布団から起き上がり寝巻きから服に着替えた。せっかく知らない土地にきたのだし、どこか散歩でもしよう。
早朝なのでまだ眠っている人の方が多いだろうから、おれは静かに廊下を進み、静かに階段を下り、静かに旅館の扉を開けようとしたとき声をかけられた。
「あら、生野君、どこかいくんですか?」
振り向くと荒巻会長と雪村さんの従姉妹である加奈子さんがいた。
「朝早いですね。どうかしましたか?」
加奈子さんが尋ねてきた。彼女はもちろん年上だが、客人のおれたちには敬語を使っている。しかしあまり固っ苦しくない口調なので親しみやすさがあった。
「目が覚めちゃったので散歩にいこうと思いまして」
「あー、自分の家じゃないと寝られないタイプですか?」
「みたいです。遠出なんて中学の修学旅行以来なんで」
「そっか。そういえば白本ちゃんと萩原さんもさっき外へ出ていきましたね」
「そうなんですか?」
「うん。ランニングしてくるって萩原さんが言ってましたよ。ジャージ着てましたし」
「そうですか」
白本さんが『ちゃん』呼びで萩原さんが『さん』呼びなのが微妙に可笑しい。まあ、気持ちはわからなくもない。セットであの二人を見ると中学生と大学生のコンビと錯覚してしまう。
朝が早くても太陽は暑かった。空気が蒸し蒸ししているから、より暑く感じる。
さて、どこへいこうか……。やはり海かな。おそらく白本さんと萩原さんもそこにいるだろうし。というのも、萩原さんが白本さんをほっぽってランニングを行うなんてことはまず考えられない。そして白本さんも自分が邪魔になるようなら萩原さんに付いていかないはず。つまり萩原さんはどこかを周回なりいったりきたりなりしてランニングをし、白本さんはそれを見れる立ち位置にいるということだ。それなら砂浜がうってつけである。
とまあ、こんな風に推理を重ねてみたけれど、もっと簡単にわかった。おれたちはここにきたばかりなので土地勘がない。ランニングなんてしたら迷う場合があるけれど、場所を完璧に把握している海ならば安心なのだ。
おれも散歩しようにもこの辺りに詳しくないので、二人に倣って海へいくことにしよう。
◇◆◇
推測通り二人は海にいた。裸足で砂浜を走る萩原さんとそれを敷いたハンカチに腰を下ろして眺めている白本さんの姿があった。
「白本さん、おはよう」
後ろから声をかけた。白本さんは振り向き、顔を綻ばせた。
「ああ、生野くん。おはよう。朝早いね」
「うん。慣れないところじゃあんまり寝れないみたいで。二人も早いね」
右に百メートルほど先を走っている萩原さんを見ながら言った。
「なっちゃんは毎朝このくらいに起きてランニングしてるらしいからね」
「白本さんは?」
「わたしは寝る頻度は高いけど一回一回の睡眠時間は短いの。だから夜中にも早朝にも頻繁に目が覚めるの」
「そうだったんだ」
それは少し……というかかなり大変なのではないか。どんな場所でも寝れると考えれば別だろうか。
二人で遠ざかっていく萩原さんの背中を見つめる。……どうしよう。何話そう。
しばらく波の音だけが響いていたが、それで一つ訊きたいことがあるのを思い出した。
「響」
「ん?」
「響、迷惑かけてない?」
「うん。凄く良い子だよ。布団を敷くのとか異常なほど率先してやってくれてたし」
「あはは……」
苦笑いが漏れた。旅館にいてもあいつはぶれないな。
「なんか宿題を手伝ってもらいたいって言ってたけど、どう?」
「教えてあげてるよ。なっちゃんも奥道先輩も」
「ノータイムで答えを訊いてきたりしない?」
「え、ええと……」
してるんだ。おいこら響。
萩原さんを見る。折り返してこちら側に走ってきていた。
「昨日捕まった男の子……隆盛君はどうしてひったくりをしていたのかな? 動機は何も語ってないって言うし」
「それはわたしも気になってたんだ。お金が欲しかったならきっとそう言うだろうし……。それに警察が警戒していたのに犯行を続けていたのも引っかかってる」
「並々ならぬ事情があったってことだよね。それは一体……」
二人で腕を組んで考えていると、
「朝っぱらから事件のことを考えなくてもいいでしょうに」
結構な距離を結構なスピードで走っていたにも関わらず息を切らしていない萩原さんが話しかけてきた。
「あ、おはよう萩原さん」
「おはよう。動機なんて調べようにもそんな時間はないわよ」
萩原さんが呆れたように言う。
「う、うん。まあそうなんだけどね」
白本さんは苦笑した。どうやらおれたち、変な事案に巻き込まれすぎて、明らかになっていない事実があると追及したくなってしまうようになってしまったらしい。
「じゃあ、私はあと一時間くらい走るから。二人は旅館に戻っててもいいわよ」
「一時間!? そんなに走れるの?」
先ほども述べたがまだ朝だが日差しは強い。そんな中で一時間も走り続けて大丈夫なのだろうか。バイトもあるのに。
驚愕するおれに萩原さんは普段と変わらないクールな表情で、
「試合では三セット出ずっぱりで走って跳ねてボールを受けてるのよ。守備も攻撃も基本私が一人でやってるから、このくらいやらないと途中でスタミナが切れるのよ」
萩原さんはそう言うとさっきとは逆方向に走っていった。
その背中を見ながらおれはぽつりと呟く。
「萩原さんって、すごいよね……」
「うん。すごいよ」
白本さんは断言するように言った。
◇◆◇
数時間が経ち、午前十時三十分となった。おれはいま、加奈子さんとともに買い出しから帰ってくるところだった。海の家はもう開店しているけれど、まだ客は少ない。いまのうちに食材を確保しおこうという魂胆で、じゃんけんに負けたおれが駆り出されているという状況だ。
近くのスーパーまでは徒歩で十分ほどで着くため車でいくような距離ではないのだが、買い物の量が多かったがために重い荷物を手にぶら下げて炎天下を歩くはめになっていた。しかも加奈子さんに「もう半分持ちますよ」と気を遣ったので、全荷物の四分の三を所持してしまっているのだ。いまさら返すなんてのは失礼だし格好悪いので、そんなことは流石にできない。
「えっと、生野君……やっぱり私が半分持ちましょうか?」
加奈子さんが言いづらそうに声をかけてきた。
「いえ、大丈夫です」
無駄な強がりを発動させてしまった。
汗を垂らしながら歩いていると、閑静な住宅街にそぐわない物々しい屋敷が現れた。スーパーにいくときにも注目してしまったが、やはり帰りにもそちらに目を向けてしまう。
屋敷と表現しただけあって横幅も縦幅も高さもある。大きな直方体に屋根が乗っかってる感じだ。周囲は塀に囲まれており、木造の二階建てなのだが、ところどころ経年劣化で黒ずんでいるため、さながら幽霊屋敷のような出で立ちと化している。さらに塀の外からでもわかるくらい敷地内の雑草が高く伸びている。
「気になります? この屋敷」
どうやら立ち止まって見入ってしまっていたらしい。加奈子さんが尋ねてきた。
「はい。こんな怪しげな建物、地元にはありませんから」
「……ここらじゃ『中村邸』って呼ばれてる屋敷なんです。もともと中村さんって人の家だったらしいんですけど、経営していた会社が倒産したから一家で心中したんだそうです。それ以来、この屋敷は空き家になっているんです」
「……もしかして、その心中ってこの家の中で?」
おそるおそる訊くと加奈子さんは頷いた。
「練炭を使ったらしいですよ。そんなだから買い手もつなかいんです。最近では幽霊が出るという噂もあるくらいですから」
「幽霊、ですか?」
「はい。七月の末くらいから噂が流れ始めまして。視線を感じるとか物音がするとか、窓から人影が見えたとか……」
「不良が勝手に侵入してるんじゃないですか?」
「それはないですね。不良だとしたらもっと騒ぎ声が聞こえてもいいのに、しんと静まり返っているそうですから」
暑い夏にぴったりのお話だ。おかげでちょっとだけ涼しくなったような気がする。
何となく不気味なので早いとここの屋敷から離れたい。
その意を汲み取ってくれたようで、加奈子さんは再び歩き出した。おれもそれに続いて足を一歩踏み出したそのとき、
「……?」
思わず屋敷の上部……二階にある窓を振り返ってしまった。真っ暗な室内を映すのみの何の変哲もない窓があるだけだった。
気のせいか? いま、視線を感じような気がしたのだが……。
 




