手袋の意味【解決編】
「ぶっちゃけますとね」
久木さんの家に向かう途中で蘭丸さんが切り出してきた。
「和子さんの不可解な行動について、私は佳奈さんから話を聞いた時点で予想できていたんです」
「そうなんですか?」
「はい。若作りしていることと手袋の件で一発で思い当たりました。浅倉さんが集めてくれた情報のおかげで高い確証を得られましたが」
「最初からわかってたなら、佳奈さんから相談を受けた時点で教えてあげればよかったじゃないすか。わざわざこんな田舎にこなくても……」
思ったことを口にする。蘭丸さんは悪びれる様子を見せず、
「それだと、お金がもらえないと思いまして」
「大学時代の後輩ならそれくらいいいじゃないすか」
「よくありません。お金は大事です。こっちは儲かってない探偵なんですから」
「儲からないんすね」
「従業員が私しかいませんからね。人捜しなどのメジャーな仕事は全部大手にもってかれるんですよ」
探偵業も大変ってわけだ。話を戻そう。
「それで、久木さんはどういう状態に陥っているんですか? 佳奈さんの言うように心の病?」
「うーん……心の病と言えば、心の病ですね。正確には心の病を患っていた、と言ったところでしょうか」
患っていた。過去形ということはいまは完治しているということか。
「浅倉さんには何か推理がありますか?」
「俺っすか。……そうっすねぇ」
久木さんは娘さんの前でだけ手袋をしていたんだよな。ううむ、なんだろうか。いつもはそこそこ推理(どれも間違っている)が出てくるんだが、今回に限ってはそれすら浮かばない。
火傷や傷跡ということはないはずだ。そんな話は聞かなかったし、するとしたら手袋ではなく包帯だ。それに佳奈さんにそのことを話さないというのもおかしい。隠すほどのことじゃない。それにそもそも心の病が関係していない。
俺は肩をすくめて首を振った。
「さっぱりっす」
「そうですか。では、寒いとき以外で手袋をするのはどんなときですか?」
「手の状態を隠すときっすよね」
「正解です。和子さんは佳奈さんと一緒にいるときのみ手袋をしていたと考えられます。つまり佳奈さんに隠したい何かが、手にあったというわけです。それが何かわかりますか?」
「わかんないす。火傷くらいしか浮かびませんよ」
「それなら、もう一枚のカードを切ってください」
「若作りですか?」
蘭丸さんは頷いた。
「若作りの時期はあまり気にしないでください」
なぜクイズ形式。白本ちゃんもこんな風に真相を焦らして俺たちに答えさせようとしてくるけど、これは何なんだろう。名探偵の性か?
ううむ。若作りをする理由か……。わかるかい。理由なんてないだろう。若く見られたいから若作りをするんじゃないの?
しばらく唸り声を上げて悩んでいると、
「若く見られたい、ということは綺麗に見られたいということです。女性がそんな風に思うのはいつの時代でもどの年代でも同じですよ」
女性が綺麗に見られたい。そして手袋で手を隠す……まさか。
気づいたときにはもう久木さんのお宅の扉が目の前にあった。蘭丸さんが古びたインターホンを押す。
どうやら久木さんは扉のすぐ傍にいたようで、がちゃりと扉が開いた。現れた久木さんは俺たちに怪訝な目を向けてくる。
「えっと、あなたたちは?」
蘭丸さんはスマホを取り出し、
「私は佳奈さんの大学時代の先輩、月代蘭丸という者です。これが証拠写真」
スマホの画面を久木さんに向ける。俺もそれを見ようと身体を前に倒して覗き込んだ。袴を着て卒業証書を手にした数名の女性と普段着を着た数名の女性、それから卒業証書を持ちながらもなぜかセーラー服を着た蘭丸さんの姿が写っていた。
蘭丸さんは普段着の女性のうち、一人を指差した。
「これが佳奈さんです」
「はあ、確かに。そういえば佳奈が変わった名前の変わった先輩がいると言ってたわね」
久木さんは納得したように頷く。俺は納得しかねるところがあった。
「あの、蘭丸さん。何でセーラー服なんですか?」
「着る予定だった袴を弟が汚してしまったんです。スーツを着ようにもワイシャツをクリーニングに出す暇がなく、仕方ないので高校時代のセーラー服を着たんです。一応正装ですし」
大学の卒業式にそれを着ていける肝が凄え。これは確かに変わった先輩と後輩の親に伝わってもしょうがない。
「今日ここへお訪ねしたのはですね、佳奈さんに頼まれたからなんです。私が高山に旅行にいくと佳奈さんに話したら、お母さんの様子を見てきてほしいと言ってきましてね。この前帰省したとき何か違和感を感じたので、心配だったそうです」
どうやら探偵として調査しにやってきたということは伏せるらしい。
久木さんは申し訳なさそうに頬に手を当て、
「ああ、そうですかあ。ごめんなさいねえ、わたしのせいで」
「いえいえ。私、自分で言うのも何ですが後輩思いなんです。後輩のためなら北極だろうが南極だろうがサハラ砂漠だろうがアマゾンの密林だろうが北朝鮮だろうがどこへだって飛んでいけますよ。何なら地獄めぐりだってしちゃいます」
最後温泉浸かってんじゃねえか。それに蘭丸さんがここまでやってきたのは金のためじゃなかったか。
「それに、素晴らしき後輩である佳奈さんを育てあげた和子さんには感謝と……それから祝福の言葉を述べる必要があると思いましてね」
祝福、という単語に久木さんの肩がびくっと震えた。
蘭丸さんの視線はたったいま腰に隠された久木さんの右手に注がれていた。
「婚約、おめでとうございます」
それを聞いて久木さんは流石に観念したようで、右手を俺たちの眼前にかざした。その薬指には銀色に輝く指輪がはめられていた。
◇◆◇
「手袋は指輪の跡を隠してたんすね」
「そういうことです。夏場に履くサンダルみたいなものですね。何度も同じサンダルを履いていると、サンダルに触れている部分だけ白いままになります。指輪もまた同様です。いくら日焼け止めを塗ってもこればっかりは隠せません」
俺たちは久木さんの家から離れていた。追い返されたわけではなく要件を済ませただけだ。現在やることがなくなったので適当にぶらぶら歩いている。
「佳奈さんが帰省してくると知って指輪を外したのでしょうが、跡が残っていたため手袋をした。不自然極まりないですが、まあしょうがないでしょう。再婚すると報告する心の準備ができていなかったのなら」
「でも、どうして俺が聞き込みをした人たちは指輪のことを言わなかったんでしょう」
「手袋の有無を質問していましたからね」
「それでも、和子さん関連で変わったことはないか、という質問で答えてくれると思うんすけど」
「案外細かいですね、あなたも。まず聞き込みをしたお年寄りたちは和子さんの身の上話……つまり夫と離婚したことを知りません。夫とは死別したと考えている人もいるでしょう。ですので、指輪をしていても不自然には思いません」
「それでも、ある日から突然指輪を付け出したら変に思いません?」
「お年寄りたちは別に毎日和子さんと会っているわけではありませんから、いままではたまたま指輪を付けていないときに会っていたのだと考えてもおかしくないです。もしくは心境の変化とか。それにそもそもお年寄りたちは和子さんと挨拶をする程度の関係です。いちいち手に注目したりしません。吉良吉影じゃないんですから」
「なるほど……」
蘭丸さんはいつの間にか夕焼けに染まった空を見つめつつ話を続ける。
「訊かれると思うので先に言っておきます。和子さんの婚約相手は天川さんが見たというセールスマンです」
「まじすか!?」
「はい、おそらくは。普通に考えてください。こんな田舎の夜九時という時間帯にセールスマンが現れるわけないじゃないですか。都会ならそういう迷惑は人はいますけど、都会と田舎では流れる時間が違います。田舎の九時は都会の深夜みたいなものです」
確かに田舎の夜は早い。そして暗い。人もいない。
「しかもここらはお年寄りばかりでセールスマンが契約を取るなり、何かを売るなりには向きません。お年寄りは往々にして新しいことを始めないものです」
「まあ、四月に一度全員に拒否られてるわけですからね」
天川さんがそう言っていた。
「ではなぜセールスマンは家を回ったのか……。簡単に言えばカモフラージュですね。自分がここへきたのは仕事ですよ、という。田舎とはいえ、どこに誰の目が光ってるかわかりません。和子さんはまだ近所の人たちにセールスマンとの関係を知られたくなかったんでしょう」
蘭丸さんは疲れたように息を吐いた。
「和子さんは近いうちに佳奈さんに打ち明けると言っていたので、私の依頼は完了しました。浅倉さん、あなたのおかげで非常に楽に終わりました。報酬は出しませんが、ありがとうございます」
「ど、どうも」
年上の美人と一時とはいえともに行動できたのだ。俺としてはそれがもう既に報酬だ。
「これからどうするんすか?」
「今日のところは予約してある宿に泊まって、明日は観光する予定です。どうせ交通費は佳奈さん持ちですので」
この人、美人だけど割と最低だと思う。
「では二本しかないバスの二本目がもうすぐきてしまうので、私はバス停に向かわせてもらいます」
「あ、そうですか」
お別れか……妙な名残惜しさがあるな。メアドとか電話番号とか訊いておくべきか?
俺に背を向け歩いていく蘭丸さんを反射的に呼び止めてしまった。
「あの!」
「はい?」
蘭丸さんは振り向いた。
「え、ええと」
俺が何事か喋る直前に蘭丸さんのハンドバッグの中からデカレンジャーのオープニングテーマが流れてきた。
「ちょっと失礼」
スマホを取り出した蘭丸さんは、ディスプレイに表示されている名前を見てげんなりしたようだった。ここからは何という名前が映されてるのかわからないけど。
「もしもし。何の用ですか? ……事件ですか。あいにくですけど、いまは無理ですよ。岐阜の高山にいるので。……どうしてか? 依頼ですよ。……嘘じゃないです。……いますぐ帰ってこい? 無茶言わないでください。これから依頼人の経費で観光するんですから。……最低って、あなたたちに言われたくないですよ。私への報酬を経費で落とそうとして危うくクビになりかけたくせに。そういえばまだ報酬もらってないんですけど。早くください。……今度って、あなたたちは適当すぎます。……え? 自販機の上に死体が……って知りませんよ。はぐらかさないでください。……あの、ちょっと!? ……切られました」
蘭丸さんは忌々しげに呟くとスマホをしまった。
俺に視線を向けてくる。
「それで、何か用ですか?」
「いまの電話はいいんですか?」
「いいです。知人のしょうもなくてどうしようもないクソ刑事コンビからだったので」
「そ、そうっすか」
何だその人たちは。
気を取り直して深く息を吐く。
「あの、また会えますかね?」
別に蘭丸さんに恋をしてしまったとか、そういうのではない。ただ単にこの出会いを無駄にしたくないのである。せっかく年上美人と知り合ったのにもう一生会えないなど辛すぎる。
「名刺」
「はい?」
蘭丸さんはこれまでとまったく変わらない様子で言う。
「最初に名刺を渡しましたよね。そこに事務所の住所も電話番号も書いてあります。何か事件が起こったらご相談ください」
ありがたいお言葉だが事件が起こっても白本ちゃんがいるから相談する必要がないんだよなあ。
「割引しますよ」
金取んのかい。ますます白本さんでいいじゃねえか。
蘭丸さんは再び背を向けた。
「では、またいつか会いましょう」
夕陽に照らされた蘭丸さんの背中を俺は見えなくなるまで眺めていた。
これが、俺の夏休みの一番の思い出である。




