変人探偵
「た、探偵、って……まじですか? それに蘭丸って本名ですか?」
しまった。驚愕のあまり素でリアクションをしてしまった。格好つけてたのに台無しだ。
蘭丸さん(?)は肩をすくめた。
「誰かに名刺を渡すと、毎回それを訊かれるんですよね……」
「たぶん、それは名刺が手書きだからだと思いますよ」
名刺にはあんまり綺麗とは言えない筆跡で先ほどのことが書かれているのだ。
「しょうがないじゃありませんか。だって名刺ってどこでどうやって作ればいいのかわかりませんし、そもそも名刺を作ったのは暇潰しですから」
どうやら見た目によらずかなり適当な人のようだ。
蘭丸さん(?)は今度はハンドバッグから取り出した財布から免許証を抜き、
「ほら。本名ですよ」
確認すると確かに名前の部分に『月代蘭丸』と記されていた。生年月日から察するに年齢は二十四歳。グッド。
「変わった、名前ですね」
「はい。まあ、大体のお察しの通り両親が森蘭丸好きだから名付けられました。私自身は森蘭丸がどういう人物なのかいま一つわかっていません。が、そんなことはどうでもよく、浅倉さんには依頼を手伝ってもらいます」
俺は首を傾げた。
「あの、依頼っていうのは何なんですか? 久木さんの娘さんがどうこうって言ってましたよね?」
「久木和子さんの娘の久木佳奈さんが私の大学時代の後輩なんです。その縁で私に相談にきました。見ず知らずの人間に相談するのは憚られたのでしょう。まあ、依頼の内容も変わっていますからね」
蘭丸さんは自販機でお茶を買い、話を続ける。
「最初から説明していきましょう。四日前、仕事の都合でお盆休みが取れない佳奈さんが休暇を取ってここに帰省してきました。実家に帰ってきた佳奈さんはお母さん……つまり和子さんに違和感を感じましたそうです。正月に帰ってきたときより若く見えた、と言うんです」
「若く、すか……。いいことじゃないですか」
「私もそう思います。佳奈さんも違和感を憶えていたらしいのですが、若作りしたくらい別に気にすることでもないと判断したようです。しかし、もう一つの違和感は無視できなかったみたいです」
「もう一つの違和感、とは?」
「佳奈さんがいる間中ずっと、両手に手袋をしていたと言うんです」
俺は眉をひそめた。
「手袋? この真夏に? というか暑さ以前に家の中で手袋とかしないでしょう。それっておかしくありません?」
「おかしいからいま話してるんですよ」
そうだった。くっそ! いい格好できねえな!
「佳奈さんは和子さんにどうして手袋をしているのか尋ねたそうですが、焦りながらはぐらかされたらしいです」
「それは気になるっすね。……ただ、探偵に頼んでまで調べるようなこととも思えませんけど」
「佳奈さんは母親思いなんですよ。彼女が五歳のときに和子さんが父親と離婚したんです。それ以来、和子さんは女手一つで佳奈さんを育てたというわけです」
「なるほど……。そいつは大変だったでしょうね」
「なんか、妙に感慨深く言いますね」
「友達に一人母子家庭の奴がいるんで、大変だっていうのはわかりますよ。まあ、離婚じゃないんすけど……」
「そうでしたか。元旦那から慰謝料を分捕れない分、そっちの方がきついかもしれませんね」
言い方をぼかしたけど事情は大体察してくれたらしい。
「話を戻しましょうか。佳奈さんは母親思いの心配性なので、何か心の病でも患ってしまったのではないか、と考え私にそれを探ってほしいと頼んできたのです」
それはいくらなんでも心配しすぎではないか、と思ったけど、そういえば亨も杏さんがいつもより早く帰ってきただけで心配していた。やはり家庭環境というものは大きいということなのか。
「浅倉さんは和子さんが現在何をしているのかわかりますか?」
「あー、野菜とか作ってるって聞きました。簡単に言えば農業ですね」
「そうです。数年前までは普通に仕事をしていたようですが、去年から佳奈さんからの仕送りを受けつつ、空き家になっていた和子さんの母親の実家に住み、夢だった農業をやっています。佳奈さんは暑さで倒れないか心配しているようですけれど、まだ四十代ですし大丈夫でしょう」
知ってるんかい。何で訊いてきたし。
「さて、それでは和子さんの家を見ておきたいので、案内してもらってもいいですか?」
「あ、はい」
巻き込まれてしまったのなら仕方がない。とりあえず、案内することにしよう。
◇◆◇
祖母ちゃん家の前にある坂を五分くらい進んだ先に久木さんの家はある。年期を感じる濃い茶色の木造建てだ。庭にはいくつかの小さめの畑があり、野菜か何かを栽培しているようだった。
「久木和子さんはあの人ですか?」
蘭丸さんが指差す先……家の扉の横の日陰に置かれたパイプ椅子に、やや日に焼けた中年女性が畑を満足げな表情で眺めながら座っていた。
「あ、はい。そうっす」
「そのようですね」
蘭丸さんはいつの間にか持っていた写真を見ながら呟いた。だから、なぜいちいち訊くのか。
「確かに、手袋をしてますね」
遠目にだがはっきりとわかった。
「あれは軍手です」
「手袋と同じでしょう」
「いえ、佳奈さんが見たのは黒い革手袋だったらしいので。あの軍手は単に農作業をしていたからはめていただけです。ほら、靴に黒い土が付いてますよ」
「あ、ほんとだ。よく気付きましたね」
「視力にはそこそこの自信があります」
「いえ、観察力のことを言ってるんすけど」
「観察力にはそこそこの自信があります」
「言い直さなくても……」
そのまま炎天下の中、二人で久木さんを観察した。彼女は五分くらい畑を眺めていたが、流石に暑かったのか家に引っ込んだ。
「どうしますか?」
蘭丸さんに尋ねる。
「近所の方から情報を集めたいです。和子さんは常に手袋をしているのか、それとも佳奈さんの前でだけ手袋をしていたのか。それが知りたいですね。あと、若作りをし出した時期も知っておきたいです」
「直接本人に訊かないんすか」
「佳奈さんから和子さんにバレないように調べてほしいと頼まれているんです。ということで、お願いします」
俺はぽかんとしてしまう。
「……何がですか?」
「ですから、近所の方から情報を集めてくるんですよ。私のような余所者がそんなこと訊いて回れません。せめて、ある程度地元に関係している人でないと」
俺は頭を抱えてしまった。
「そのために俺を巻き込んだんっすね」
「そうです。元々、地元で誰か協力者を得たいと思っていました。……まあ、口を滑らしてしまったのはうっかりですが」
特に恥ずかしがるような様子もなく、蘭丸さんは言った。プロ意識の低い人のようだ。
蘭丸さんはきょろきょろと首を見回すと、俺たちが歩いてきた方向を指さした。
「あのお爺さんに話を訊いてきてください。和子さんは普段手袋をしているか。若作りの時期。和子さん関連で変わったことがなかったか。どうぞ」
どうぞ、って……。
蘭丸さんは道脇生えていた木の後ろに隠れた。俺は仕方なくお爺さんに近づく。あの人は確か……大野さんだったか。
「あの、すんません」
「ん? ああ、君は中貝さんのお孫さんか。久しぶりじゃないか」
「どもっす」
中貝とは俺の母親の旧姓にして祖父母の姓だ。
「ちょっと訊きたいんすけど、そこのお宅の久木さんと最近会われたりしました?」
「昨日の朝、散歩中に出会ったよ。久木さんは犬を連れていたね」
「そのとき、久木さんって黒い革手袋とかしてました?」
「手袋かい? いや、してなかったと思うよ」
「そうっすかあ……。じゃあ昨日以前に手袋をしてたりしたことは?」
「記憶にある限り、ないねえ。散歩する時間や散歩コースが一緒だから割とよくはち合って挨拶するけど、手袋なんてしてたら流石に疑問に思うから」
「では、久木さんって、前より少し若く見えませんか?」
「おお、そうだね。常々思っていたよ」
「いつごろからか憶えてます?」
「そうだねえ……。確か……四月の頭辺りだったかなあ。散歩中に挨拶してびっくりしたのを憶えてるよ」
ふむ……四月の頭、ね……。
「それじゃあ、久木さん関連で何か変わったこととかありました?」
「うーん……僕の知ってる限りではないねえ。久木さんとは挨拶はするけど、そんなに親しいわけではないんだ」
「久木さんと親しい人とか知ってますか?」
「いいや。ここらは久木さんよりも年寄りが多いからねえ。仲が悪い人もいないけど、親しい人もいないと思うよ。久木さんがどうかしたのかい?」
「いえ、大したことじゃないです。それでは。……あ、いま俺が話したことは内密にお願いしますね」
そうして俺は大野さんをゆっくりと通り過ぎた。牛歩戦術のように一歩の幅を短くし、のろのろと進みつつ、時折振り向いて大野さんが蘭丸さんの隠れる木を通り過ぎるのを確認していた。
大野さんがカーブを曲がって見えなくなったところで蘭丸さんのもとへ戻り、手に入れた情報を知らせた。
「ふむふむなるほど……。佳奈さん帰省の前後に手袋はしていなかったと。もっと情報を知りたいですね。聞き込みを続けましょう。引き続きよろしくお願いします」
思い切りこき使われてるな、俺……。ま、美人の命令ならなんにも嫌な気にならないが。
◇◆◇
その後、外で出会った人たちや近所の住民宅へ聞き込みをしたりして、ある程度の情報を入手することができた。
まず、久木さんが若作りし始めたのは四月の頭で間違いないと、みんなが証言した。
それから黒い革手袋をしていたところを見た人はいなかった。佳奈さんが帰省してきた日にも、である。つまり久木さんは佳奈さんの前でだけ手袋をしていたということだ。ちなみにその前日も手袋はしていなかったそうな。
色んな人に話を訊いて回ったが、やはり年代が離れているせいか、久木さんと親しい方はいなかった。久木さんのお母さん(つまり佳奈さんの祖母)と親しかったという人はいたけれど、現在の久木さんのことを詳しく知っている人はいないようだった。ある日引っ越してきた若者(四十代だが周りからしたら若いのだろう)、くらいの認識らしい。こんな田舎で仲のいい人がいないのなんて、流石に寂しすぎやしないか。そう思ったが、蘭丸さん曰わく「犬も飼ってるし、もともと一人で生きてきた人だから一人には慣れている。むしろ一人の方が心地いいと思う人なんです。と佳奈さんが言っていました」とのこと。それに車を持っているので、基本的にどこへでもいけるらしい。実際、駐車スペースに車がないときが頻繁にあると住民の方々が証言していた。
そして久木さん関連で何か変わったことはなかったか、という質問をしていたところ、唯一天川さんという久木さんの家の近所に住むお婆さんがしっかりとした答えを持っていた。まあ、あんまり関係あるとは言えない内容だったが。
「あたしは見たよ。六月の中旬辺りじゃったか。夜の九時ごろ、セールスマンが久木さんの家に入っていくのを。あのセールスマンは迷惑な奴じゃて」
「まあ、夜の九時っすからねえ」
天川さんは頷き、
「他の家にも訪ね回っていたそうじゃ。あれは四月に一度ここらへきたセールスマンじゃったな。ここらのみんなはセールスマンを拒否したそうじゃが、しつこそうな男だった。久木さんには同情したね。面倒なセールスマンの相手をすることになったんだから」
「天川さんはどうしてその光景を見れたんですか?」
「畑から物音が聞こえての。ガラス戸から外を見たらうっすらとうり坊の姿が見えたのじゃ。畑を荒らしにきたと見て、すぐさま外へ出て追い払ったのじゃ。すると、久木さんの玄関に灯りが点いているのが見えて、セールスマンがお辞儀しながら入っていくのが見えたというわけじゃ」
「そのセールスマンって何を売ってる人なんですか?」
「うちにもきたが、そこまでは憶えておらぬな。すぐに断ったからの」
これらのことを蘭丸さんに話すと、彼女は満足そうに頷いた。
「何かわかったんすか?」
「ええ」
反射的に目を見開いてしまった。
「え、わかったんですか!? 寝もせずに?」
蘭丸さんは怪訝そうに首を傾げる。
「そりゃ寝ませんよ。どうして推理の結論を出すのに寝なくちゃならないんですか?」
「い、いえ、すんません。ちょっと友達にそういう子がいまして」
「眠って推理する子が、ですか?」
「はい」
「変わってますね」
確かに白本ちゃんは色々な意味で変わってるけど、性格は蘭丸さんと比べたら遥かに、天と地くらい良い子である。
「まあいいでしょう。それでは、和子さんのお宅に突撃しましょう」
「どうしてですか?」
「佳奈さんに説明しようにも本人に確認取らないと証拠がないからです」
あんだけ内密にしろって言っておいて結局本人に当たるんかーい。




