浅倉兄妹
暑い……。暇だ……。駄目だ……。終わりだ……。どうすればいいんだ……。
祖母ちゃんの家の和室で畳に寝そべりながら俺は悄然としていた。何にもすることがねえ。
ここは山の中だから暇を潰せる施設なんてない。野山を駆けめぐろうにも暑すぎて駆けめぐる気概が湧いてこないし、駆けめぐったところで暇を潰せるとは到底思えない。近所に若人が住んでれば何かしら遊べたかもしれねえが、あいにくお年寄りしか住んでない。若い人で四十代後半だ。
ここは都会っ子には……いや別に地元も都会じゃねえな。現代っ子にはこの田舎は厳しすぎる。そりゃ過疎るよ。都市部には色んな娯楽ができてるっつうのに田舎にな何にもできないんだもの。雄大な自然を利用して遊べとかい言う人がいるけどよ、じゃああんたはそれで楽しいのかって話だ。こっちは一人だけなんだぞ? 一人で何しろってんだよ。木登りか? たった一人木に登ってろってのか? 虚しいわ。
いまごろ亨たちは海できゃっきゃっきゃっきゃ遊んでるんだろうなあ。この、羨ましいぞ。昨日の夜LINEで話したところ、何でも雨のせいでろくに客がこなくて暇だったらしい。昨日が暇ならきっと今日も暇に違いない。いや暇に決まっている。羨ましいぞ、この。
俺はのっしりと起き上がって客間に向かった。妹の刀子、槍香、斧美の三人が座卓に乗せたノートパソコンを横一列に並んで食い入るように見ていた。客間に入ってきた俺には誰も反応しない。仲がよろしくっていいことだすなぁ。
こいつらの後ろにある椅子に座り、三人の奥からパソコンの画面を覗き込んだ。どうやらYouTubeでゲームの実況を見ているようだった。割と大きくよく喋るタイプ実況者のようで、賑やかな声がパソコンから響いてくる。プレイしているゲームはボールにモンスターを封印して使役し戦わせるゲームだ。
俺もこの実況を静かに見ることにしよう。と思ったのだが、疑問が湧いてきた。この家にWi-Fiはないのにどうやってネットに繋いでいるのか、だ。スマホのテザリング機能を使っているんだろうが、槍香と斧美はまだ小学生なので親がスマホを買い与えていない。刀子はついこの前、外で動画を見すぎて通信制限がかかったとぼやいていたはずだ。母ちゃんのはガラケーでテザリング機能が付いていない。親父は外へバードウォッチングにいったので、おそらくスマホを持っていっている。祖母ちゃんはスマホなど持っていない。そして、俺はスマホをリビングにある充電器に挿しっぱなしにしたままで、いまは持っていない。……こ、こいつらまさか。
「おいてめえら」
「……」
「……」
「……」
『これはマンダ捨てですね』
無視された。後ろから全員の頭を一回ずつひっぱたいてやろうかしら。
「おい!」
「……」
「……」
「……」
『ここはコケコバック読み地震で』
うるせえな実況者! 読み間違えてるしよ!
俺は椅子から立ち上がって妹どもの背に立つと、腕を伸ばしてパソコンの電源を直に切った。
「ああっ!」
「何すんのよ剣也!」
「そんなんだからモテないんだよ?」
槍香、刀子、斧美の順番でリアクションが飛んできたのだが、俺がモテないのはいま関係ないだろ。
「何すんのよじゃねえよ」
俺はパソコンのすぐ手前にあった自分のスマホを回収した。
「人のスマホのテザリング機能を勝手に使うな」
データ通信量を確認すると、今日の部分だけ異様に跳ね上がっていた。家はWi-Fiがあるからいいものの……。
「勝手使ったわけじゃないし」
三人の中で最も生意気な槍香が口を尖らせた。
「勝手だろ。俺は何も聞いてない」
「そりゃ、聞こえないように訊いたもーん」
「それを勝手っつーんだよ! 日本生まれ日本育ちで日本語を喋れるくせにそんなこともわかんないのかなー、槍香ちゃんはー」
「むむっ」
槍香の対処法は、とりあえずおちょくっておく、これに尽きる。こいつはあんまり賢くなく、またそれを理解してしまっているため、そこを馬鹿にされると反論に困る。
「うるさい。モテないよ?」
斧美が心底うざったそうに言った。こいつは末っ子ながら三人の中で一番辛辣だ。
「別にモテなくていいわ。てめえらみたいなのに気を遣ってまでモテてる必要はないね。仮にてめえらに気を遣ってモテたとしても、てめえらみたいなカスしか集まらねえだろうしな」
「は? うざ」
「こっちの台詞だボケ」
斧美にはあまり熱くならず、ドライに対応するのがベストだ。熱くなると面白がられるだけだからな。
さて、こいつら二人は大した敵ではない。最大の敵は一番上の妹……長女の刀子だ。当然ながらこいつとは兄妹の中で最も付き合いが長い。互いに弱点を知り合っている仲だ。何かこう言うと歴戦のライバルみたいで嫌だが。
「はーあ。ほんと剣也って器がちっさいよねえ。亨さんならこれくらい普通に許してくれるだろうになあ」
出た。刀子お得意の『亨責め』。『亨責め』とは、あらゆるに物事に対して亨を引き合いに出し、比べてくるという地味に鬱陶しい攻撃である。亨は俺よりも真面目且つ無欲なので、比べられたら基本的に反論できない。こいつらは妙に亨に懐いており、あいつが家にくると良い子ちゃんになる。
だが、これは好機でもあった。なぜなら刀子が『亨責め』を行うのは自分たちの分が悪いときだからだ。
「いま亨は一ミリも関係ねえだろ。というかむしろ、妹に勝手にこんなことされて怒らない兄は全国探してもあいつくらいだ。あいつ以外の兄は全員怒るね」
「そんなわけないじゃん。誇張しすぎ。仮にそうだとしたら亨さん以外の兄の器が全員もれなく小さいってことよ」
「むちゃくちゃな暴論にもほどがあるだろ。てめえらがクソ生意気なだけだ。てめえらも少しは響ちゃんを見習うんだな」
秘儀。『響ちゃん責め』。
「な、何でそこで響が出てくるのよ」
「てめえが亨を持ち出してきたから、そしててめえらとは違う立派な妹代表だからな。見た目もいいし、愛想もいいし、兄姉思いだし、家事もできるし。お前が勝ってるところって背丈以外にあるか?」
「せ、成績は私の方がちょっといいわ」
「どんぐりの背比べだろ」
「うっさい! というか響と比べないでよ! あの子ほどの妹はそうそういないからね!」
「はっ、お前も響ちゃんに妹の格が数段……いや、万段劣っていることを理解していたようだな。まあそれもそうだわな。てめえらは口が悪いだけのガキだもんなあ!」
「それで言ったら剣也だって亨さんに兄としての格が相当劣ってるってことに気付いてる? 妹に『てめえら』なんて二人称使ってさ!」
「気付いてないね。妹がてめえらの時点が兄としての格がどうこうの問題じゃねえ。俺はまだ全国の兄と同じフィールドに立ててねえんだ。てめえらが亨が家にきたときみたいな良い子ちゃんになって、初めて全国の兄のフィールドに立てるんだ」
「なにフィールドとかわけわかんないこと言ってんの。亨さんなら私たちが妹でもきっと優しくしてくれるわよ」
「なっ! そ、それは……」
「それに納得した時点であんたはもう亨さんに兄として負けてるのよ。おーほっほっほっほ!」
「ふんっ。俺だって妹が響ちゃんみたいな良い子だったら亨みたいな兄になってるっての! 兄を良い兄たらしめるのは良い妹の存在なんだよ!」
「だから響を引き合いにするなと――」
「ねえ、お二人さん」
斧美が変なものを見る目で俺たちを見てきていた。
「さっきから何言ってるのか意味不明すぎるから。兄の格とか妹の格とかってなに?」
「うん。剣也はいつも意味不明なことばっかり言ってるけど、刀子姉も一緒になることはないんじゃない」
味方である二人に諭され、刀子は恥ずかしいそうに頬を赤く染めた。流石に俺たち、ヒートアップしすぎたようだ。
「とにかくスマホは持ってくぞ」
身体を翻して客間の扉へ向かう。
「あっ、ちょっと返しなさいよ!」
「俺のだっつの!」
「それがなかったら私たち暇になるじゃない! 何してすごせばいいのよ!」
「三人で木登りでもしてろバーカ」
◇◆◇
家にいると妹どもにたかられて面倒なので、暑いのを承知で外へ繰り出した。
周囲にあるのは、山。木。畑。死んだ田んぼ。たまに民家。流石に道はアスファルトだが車は通らない。
近所にある唯一の自販機でコーラを買い、近くにあったベンチに座る。暑っちー……。服の裾で額の汗を拭った。
あー……どうすっかなあ。何にもやることがねえよ。なんかさあ、心躍るイベントとか起きないもんかねえ。例えば、年上の美人が話しかけてきて、成り行きでともに行動することになったり……。あるわけねえか。こんな田舎じゃあなあ。
「あの、すいません」
何者かに声をかけられて我に返った。
「あ、はい。なんですか……っ!」
目の前に二十代くらいの女性が立っていた。格好は水色のTシャツにジーンズと簡素な服装だが、顔立ちが整っているためオシャレに見えた。長い髪も艶があって綺麗だ。雰囲気もクールな感じがしていい。何が言いたいかっていうと、個人的にドストライクだってことだ。
俺は背もたれから身体を離し、体勢を整え、咳払いをしていい声を作った。
「はい。何でしょうか?」
「君はこの地元の人間ですか?」
「いいえ。母親の地元です。ですが、幼いころから何度も足を運んでいるので地理は熟知しています。はい」
「そうですか……」
美人さんは何かを思案するように右手を顎に添えた。
「久木和子さんの家がどこにあるのかわかりますか? 住所はわかったいるんですが、場所がよくわからないくて」
「ああ、わかりますよ」
久木さんは俺がさっき心中でぼやいていたときにちらっと話題に上げたここらでは若い四十代の女性だ。
「久木さんに何か用なんですか?」
「はい。実は久木さんの娘さんから依頼を――しまった。何でもないです」
「依頼ってなんですか?」
美人さんはばつの悪そうな顔になり、はあ、とため息を吐いた。
「君、名前は?」
「浅倉剣也です」
「そうですか。浅倉さん、あなたには大部分を聞かれてしまったので、仕方ありません」
聞かれたっていうか、あなたが自分から口を滑らせてただけでは。
美人さんは持っていたハンドバッグに手を入れた。……何だ? まさか拳銃でも出すつもりなのか? この人、国のエージェントだったりするのだろうか。美人エージェントとか萌えるじゃねえか! 年上の美人になら殺されても本望だぜ!
まあ、当然ながら拳銃など出てこず、美人さんは取り出した名刺入れから名刺を一枚引き抜いた。俺に渡してくる。
「私、東京で探偵をやっている者です」
名刺にはこう書かれていた。
『月代探偵事務所 所長 月代蘭丸』。
「聞かれたからには仕方ないので、浅倉さんには依頼の完遂を手伝ってもらいます。もちろん報酬は出ません」
何か……凄いことになってきたぞ。




