聞き込み
本棟一階にある職員室前に辿り着いた。ここにくる途中で気づいたのだが、時刻はもう五時を回っていた。通りで文化部の気配を感じないわけだ。
おれと剣也は同時に職員室に入る。失礼します、と挨拶し剣也が女の先生に部室の鍵を返した。
先生は鍵の貸し出し名簿に書かれた浅倉剣也の文字の隣に『返却済』という文字を書き込んだ。どうやら鍵が返却されるとそうするようである。
ちらっと名簿を見たが、剣也の言った通り部室の鍵を借りたものは彼以外にいなかった。
おれと剣也は顔を見合わせるとどちらともなく頷き合った。剣也が切り出す。
「あの、すんません」
「ん? なに?」
不意に話しかけられた女性教諭はきょんとした顔で返事をした。
「ちょっとお訊きしたいことがございやして――」
もっと真面目な口調でやれよ。
「今日の八時十五分から、一時限目が終わるまでの間に、八分ほど職員室から出てった人っていやせんかね?」
職員室から部室までは、どんなに急いでも往復で八分はかかるのだ。先ほど剣也が鍵を取りにいく際もそれくらいはかかっていた。
案の定というか、先生は眉をひそめ警戒の色を覗かせた。
「どうしてそんなことを?」
「とても大事なことがあるからです」
おれは声を落とし、シリアスなトーンで口を挟んだ。先生は何かを反論しようと口を開きかけたが、おれはその隙を与えず、
「お願いします。教えてください」
有無を言わせぬ口調で頼み込む。おれの声からただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、先生はやや困惑しながらも教えてくれた。
「誰もいなかったと思うわよ? 今朝はけっこうばたついてたから」
「そうですか……。では今日、貸し出し名簿に名前を記入せずに鍵を借りた先生はいましたか? 時間帯は問いません」
この質問にも先生は困惑したようである。しかし戸惑いつつも教えてくれた。
「いないんじゃないかしら……。二時限目と五時限目の間についてはわからないけど、そんなことしたら目立つし」
「先生方が職員室からいなくなることはあるんですか?」
「いいえ。必ず二人はいるわね。昔ちょっとした不祥事があってね」
「そうですか。ありがとうございました」
おれと剣也はお礼を言って職員室から出た。廊下にいた教師を捕まえて、念のためもう一度二時限目と五時限目の間に鍵を持っていった教師の有無について尋ねたが、答えは無だった。そんな教師はいなかった。
おれと剣也は廊下に立ったまま話す。
「まさか、話を訊いた教師のどっちかが犯人なんてことはないだろうしなあ」
「すぐバレる嘘だしな」
剣也に意見に同意する。しかし、これでは侵入が可能な生徒も教師もいないということになってしまう。とすると残りは……、
「事務室にいくか」
おれの呟きに剣也が、だな、と応答した。
◇◆◇
この学校のマスターキーは事務室に保管されており、当然のことながら生徒には貸し出されない。
事務室から倉庫室を挟んだ右隣が事務室なので、格好つけて宣言するほどのものでもなかった。
すぐ近くまでいくと、中から中年の男性が出てきた。確か……この人は事務員だったはずだ。おれたちはこれ幸いと話しかけた。
「マスターキーを借りた人?」
「はい。小室さん以外で。それも一時限目が終わってから、放課後までの間に」
この言葉に男性は怪訝な表情を浮かべた。質問の意味を掴みかねているのと、なぜ小室さんがマスターキーを持っていったことを知っているのだ、とでも思っているのだろう。尤もである。しかし男性は教えてくれた。
「いなかったと思うよ。普段そこまでつかってるわけじゃないしね」
「誰かがこっそり持ち出すことは?」
「マスターキーを取り出すには事務員しか持っていない鍵がいるから、それは無理だよ」
「マスターキーって全部で何本あるんですか?」
「一本だね」
「小室さんって、いまここにいますか?」
「いないよ。マスターキー持って、倉庫の代わりになりそうなとこを探してるから」
まだやっていたようだ。他に訊くべきことを考えいると、ずっと黙っていた剣也が、小室さんのシャツのボタンの色について確認した。この質問は流石に意図を訊かれたが、もごもごとごまかした。結局、ボタンの色は剣也の記憶通り茶色であった。
念のため男性が去った後、事務室にいた事務室にも確認を取ってみたが、先ほどの男性と同じ答えが返ってきた。
収穫らしきものはなかった。
◇◆◇
おれと剣也は校舎から外に出た。いまは二人、昇降口近くのベンチに座り夕陽に暮れ始めた空を眺めている。
「さっぱりわかんねえな」
おれが言うと、剣也がため息を吐き、
「ああ。怪奇現象だぜ。誰かコナン君呼んでこいよ」
「金田一少年でもいいんじゃないか?」
「その祖父でもいいな」
「じっちゃんのことか? それって誰?」
「金田一耕助も知らねえのか亨君よお。『獄門島』とか『八つ墓村』とか『犬神家の一族』とかに出てくる探偵だよ」
「作品名は聞いたことあるな。というか、お前詳しいな」
「まあな。最近、妹たちが『TRICK』にはまりだしてな。やたらパロディが登場するから気になって読み始めたんだよ」
お前も最近知ったんじゃねえか。
おれも小さくため息を吐いた。これは剣也に呆れたのではなく、徒労感からくるものだ。小室さんとやらを探して校内を歩き回ったのだが見つけることが叶わなかったのだ。
色々考えたり、聞き込みらしきことをしてみたものの、結局何一つわからなかったというわけだ。鍵を持ち出すことができた人間も存在しない。部室に侵入した理由も不明。侵入した方法も不明。
もしかしたら、初めから侵入者などいなかったのかもしれない。それならばすべての説明がつく。ボタンは虚空から現れたのだろう。確か世界一有名な名探偵、シャーロック・ホームズがこんなような言葉を残していたはずだ。「あらゆる可能性を消去した結果、最後に残ったのがどんなにありそうにないことでもそれが真実だ」みたいな。虚空からボタンが現れたと考えればすべての辻褄が合う。これが答えだ。
どうやらおれはかなり重症のようだ。この他にも、時間を停止させてその隙に鍵を借りて侵入したとか、万物をすり抜ける能力を持った何者かが侵入したとか、様々な珍説が浮かんでは消え、浮かんでは消えたが、いずれも口に出すことはなかった。
ただひたすら沈黙が続く。今日だけで、何度こいつとこの時間を体験したか。まさか剣也とここまでの沈黙を経験するとは思わなかった。最初は珍しかったから新鮮な気分だったが、流石にこの沈黙にも飽きてきた。どうしたものかと思っていると、
「あれっ、生野くんと浅倉くん?」
昇降口から明るい声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に、おれと剣也は反射的に振り向いた。
眼鏡の似合うショートカットの女子生徒が立っていた。全身から陽性のオーラを放ち、明るい笑みを浮かべている。
彼女に釣られてか、やや沈み気味だった剣也の顔に笑顔が浮かんだ。右手を挙げ彼女を呼ぶ。
「委員長」
我が一年B組のクラス委員長にして、中学からの友人である委員長はパタパタと駆け寄ってきた。
「二人がこんな時間までいるなんて珍しいね。どうかしたの? そんなベンチなんかに座っちゃってさ」
「ちょっと面倒なことに巻き込まれてね」
おれが答えると彼女は首を傾げた。
「そういえばちょっと暗い顔してたね」
流石、よく見てらっしゃる。それでこそおれたちの委員長だ。
委員長とは中学二、三年のときも同じクラスで、いまと同様にクラス委員長だった。彼女のクラス委員長ぶりは凄まじく、全クラスメイトと完璧にコミュニケーションを取っていた。中にはコミュ症の人もいたかもしれないが、彼女にはクラス全員が心を開いているようであった。彼女には周りの人間を元気づける雰囲気を持っているし、性格も優しく気立てがいい。おれは世界にこの人以上のクラス委員長はいないと確信している。
「何があったのか、私でよかったら聞かせてくれる?」
おれと剣也は顔を見合わせた。隠すようなことではないし、それに委員長なら力になってくれるかもしれない。
おれは侵入者についての一連の出来事と、その捜査結果を報告した。委員長は最初から最後まで神妙な面もちで聞いてくれた。
「なんか……凄い、変な状況だね」
「そうなんだよ」
剣也がため息混じりに言った。
委員長はひとしきり唸った後、
「侵入した方法もそうだけど、やっぱり動機がわからないのが怖いね。エスカレートするかもしれないし……」
そうなのだ。侵入者は、今回目に見えて何かをしたわけではない。せいぜいボタンを落としていった程度だ。しかし次がそうかはわからない。相手は密室であろうと忍び込める術を持っているのだ。その気になれば、あの部屋でなんだってできるのである。
「ううん……。そうは言っても、うちの部活、本当に何もないんだぜ? 人様に迷惑かける活動内容でもないしよ」
剣也が両手を頭の後ろで組んだ。委員長の陽性パワーによって、気が楽になったのだろう。
委員長は顎に手を添えて少しの間考えると、
「こういうのはどうかな? 朝、部室から浅倉くんたちが出ていった後、部員の一人が忘れ物をして戻った、っていうのは」
いままで出てなかった新案であったが、剣也はしかし首を振った。
「それはねえ。俺たちは始業ギリギリに出たんだ。忘れ物なんか取りにいく暇はなかった。一分一秒を争う事態だったからな」
「そういえば浅倉くん、先生が出席取る直前にきたもんね」
「ああ。しかも、基本的にみんなスマホ以外は持ってなかったんだよ。遅刻とのリスクを考えりゃ、休み時間に取りに戻ろうって思うのが普通さ」
「そっか……。確かにそうだね」
委員長はやや残念そうに肩を落とした。おれたちはもう何回目かもわからない唸り声を上げる。
だが、一緒に低音を発していた委員長が、いきなりしゃきっと背筋を伸ばすと、おれと剣也は思わず声をとめた。
委員長は順々におれたちの顔を見ると、
「私にはこの謎はさっぱりわからないけど、解けそうな子に心当たりがあるんだ」
「え、ほんと?」
おれは思わず聞き返してしまった。このもやもやを払拭してくれるかもしれない人がいるとは。これは驚かずにはいられない。
「それは、誰だ?」
剣也がやや身を乗り出して尋ねた。委員長はゆっくりと桃色の唇を動かした。
「白本さん」
意外すぎる名前におれは固まってしまった。目だけで剣也を顔を確認すると、どうやら彼も同様のようで、ぽかんとしたアホ面を晒していた。
おれは唖然としつつも、何とか声を出す。
「え、えっと……白本さんっていうのは、白本由姫さんのこと? 同じクラスの」
「うん。そうだよ」
「あのよく寝てるふわふわした可愛い子?」
剣也も参戦してきた。委員長はゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「あの子、すっごく頭いいんだよ。先生も入試一位だったって言ってたし」
まじですか……。
「本当は新入生総代も白本さんがやる予定だったんだけど、寝ちゃうかもしれないから代わってもらったんだって」
「そうなんだ……」
普段の彼女の眠りっぷりと、風船のようにすぐどこかに飛んでいってしまいそうな独特の雰囲気から、それらの情報が結びつかない。が、委員長が嘘をつくはずもない。
おれは剣也に尋ねる。
「どうする?」
「頼むしかねえだろ。このままじゃ、気になって眠れそうにねえからな」
にやっと笑う剣也に、おれも笑い返した。
「おれも同意見だ」
かくして、おれはあの、おとぎ話のお姫様のような女の子と関わることになったのだ。