ひったくり犯
「この辺りでひったくりは、今月になってからもう三回目よ。先月を合わせれば六回目。近隣住民に注意喚起したり、この辺りを巡回する警官とかも増やしてるんだけど、これがなかなかなくならないのよねえ」
こう語りながら目の前で缶ビールを呷る女性は荒巻会長と雪村さんの従姉妹にして加奈子さんの姉の葵さんである。背が高く美人だが気の強そうな顔立ちと声の持ち主だ。職業は警察官。昼間、おれたちの通報を受けて近くの交番からやってきたのが彼女だった。
昼間は事件について詳しく事情を把握できなかったので、こうしてみんなで夜ご飯の後に男子部屋で話を伺っているという状況だ。事件を解決してやろうと意気込んでいるわけではなく、好奇心や目撃者としての義務感のようなものだ。
「そんな物騒なことになってたのか」
荒巻会長が意外そうに呟いた。葵さんは缶ビールをぐびりと飲み、
「なってたのよ。まさかまあ、正宗たちが事件に巻き込まれるとは予想してなかったけどね」
「犯行を目撃しただけだよ」
雪村さんがのほほんと言った。
「それを巻き込まれたって言うのよ。あなたたちも災難だったわね。初日からひったくりになんて遭遇して」
「いえいえ気にしないでください」
響が元気よく右手を振るった。
「地元にいたんじゃまず体験できないことですから。不謹慎ですけど刺激になりました。それに、うちの兄が近くにいた時点で心構えができてましたから」
そんな心構えしてたのかよ。
「生野君は普段からこういう災難に頻繁に遭遇していますから」
萩原さんまで……。彼女って、ものをはっきりと言うよな。
「二人とも、余計なこと言わなくていいから」
「……? どういこと。生野君って真面目そうに見えるけど、実はけっこうキレた性格してて、高頻度で警察のご厄介になったりしてるの?」
ほら、なんかもうとんでもない勘違いをされている。
「ち、違いますよ! 生野くんは確かに災難事に巻き込まれますけど、警察沙汰には一回もなってませんから」
白本さんがすぐさま訂正してくれた。
「ふぅん。具体的にはどんなことに巻き込まれたの?」
それにはおれが答えた。手伝いに入った演劇部で戯曲の一部や本番衣装やらが盗まれたり、人違いで破れたラブレターを下駄箱に突っ込まれたり、水彩画を水で消した犯人に間違えられたり、面倒な先輩たちに絡まれたり、突然パイをぶつけられたり、この辺りのことを簡単に説明した。
最初の方は面白がっていた様子だった葵さんも、犯人に間違えられた水彩画事件のくだりから哀れみの表情を見せ始め、最後におれが「おれが実害を被ったのはこのくらいですけど、周りで起こった変なことはまだあります」と言うと完全に同情されたようだった。
「いやあ、うん。大変ね。高校は三年あるから、もっと厄介なことに出会うかもしれないけど、気を強く持ちなさい」
「は、はい……」
「それにしても、そんな変な事件は誰が処理してくれていたの? もしかして自分自身?」
おれは首を振り、響を挟んで右手にいる白本さんを手で指した。
「そこにいる彼女です」
「へぇ。白本ちゃん、だったけ? すごいじゃない」
「き、恐縮です」
葵さんは白本さんをじろじろと舐め回すように眺めると、何か閃いたのか手をポンと叩いた。
「そうだ。もしかして白本ちゃん、今回のひったくり事件も解決できたりする?」
「え?」
「話を聞くかぎりかなりの切れ者っぽいし、解決とまではいかないまでも、警察も気づいていない事実を見つけ出せるかもしれないじゃない。もちろん、知りたい情報があるなら教えるからさ」
「葵ちゃん、警察が勝手に捜査情報を漏らしていいの?」
雪村さんが首を傾げながら言った。当然葵さんの答えは、
「駄目に決まってるじゃない」
であったが、本人はあまり悪気はないようだ。
「けどせっかく探偵っぽい感じの子がいるんだし、ここはいっちょ頼るのが道理ってもんでしょ」
「むちゃくちゃな道理ですね」
奥道さんが冷静なつっこみを入れた。尤もである。しかし彼女のボスは存外やる気なようで、長テーブルに少し身を乗り出した。
「おお! 面白くなってきた。白本よ、谷津川高校の生徒として、社会奉仕活動を行うのだ」
「は、はあ……」
「じゃあ早速始めようじゃねえか。葵さん、いないと思うけど容疑者とかはいないのか?」
「いないね。いたらとっくに逮捕できてるわよ」
葵さんは缶ビールをもう一本開けた。どうやら酒に強い人らしい。
「けど、一応犯人像はある程度絞り込めてるわ」
「え、そうなんですか? すごいですね」
響が感心したように呟いた。葵さんはふふんと鼻を鳴らす。
「現実の警察は推理小説みたいに無能じゃないってことよ。不祥事は多いけど」
それはプラマイゼロでは。
萩原さんが口を開く。
「それで、その犯人像っていうのは?」
「ん、それね。犯人は男子中学生って見方が強いわ」
「どうしてですか?」
これはおれだ。
「犯行が始まったのが七月の―日付は忘れちゃったけど――末なのよ。つまりここらの学校の夏休みが始まってから。平日の昼間とかに事件が起きてるの。あと、自転車に座った状態の背丈も成人にしては低いからね」
「随分、詳細にわかってるんですね」
「そりゃ六回も犯行を重ねればね。監視カメラにも映ってるし。性別が男だっていうのは見た目や動きからの推測だけどね」
おれが見たひったくり犯はジャンパーを着ていた。体型を隠していたのだろう。
「それから犯行の手口」
「自転車、ですか?」
「ご明察よ白本ちゃん。犯人は常にバイクではなく盗んだ自転車を足に使ってるの。高校生なら原付の免許を取れる年齢の子が多いし、高校生以上は言うまでもない。そんな理由で中学生の可能性が濃厚って言われてるの。無論、免許を取ってない高校生もあり得るけど」
おれがひったくりをするとして――しないけど――、自転車を足に使うだろうか。あんまり使いたくはない。漕ぎ続けねばならないからバイクほど車体が安定しないからだ。加速しながら道ゆく人のバッグを奪い取ったりしたら、下手したらすっ転ぶ。怪我&逮捕だ。やはりバイクでないと厳しい。まあ、そもそもおれは免許もバイクも持ってないから、ひったくりをしようにも――いやしないけど――自転車を使うしかないのだが。バイクを盗むという方法もあるのだろうが、盗んだところで運転の仕方なぞ知らない。
「それだけわかっていても、捕まらないものなんですか?」
素朴な疑問を呈する萩原さん。
「捕まらないもんなのよねえ。一応は手は打ってるんだよ? さっきも言ったけど巡回する警察官を増やしたり、住民に注意を呼びかけたりさ。生活安全課なんかは私服警官を使って素行の悪そうな学生を見張ったり、素行に問題なさそうな学生も見張ったり、とりあえず若者を見張ったり、色々とやってるのよ」
地元警察も奮闘しているようだ。
白本さんを見てみると、顎に手を添えて何かを考えているようだった。尋ねてみると、
「巡回する警察官が増えて、住民にも警戒が促されてるのに、どうして犯行をやめないのかなって思って」
「自分に酔ってるんでしょう」
葵さんが断言する。
「集まる注目、そして危険を省みず犯行を繰り返すスリル……そんな自分が堪らなく好きなのよ。よくいるわよ、そういうはた迷惑な奴」
白本さんはあまり納得いっていないようだったが、新しい質問をした。
「被害者はどういう方たちですか?」
「んー、ある程度歳をとった女の人ばかりよ。ひったくりの被害者としては珍しくないわね」
「犯行のあった日付はいつですか?」
「今日でしょ。その前は……四日か五日で、さらに前が一日。七月は……憶えてないわね」
「被害にあった金額とかは何円くらいですか?」
「最高額は確か五千円くらいね。さっきの被害者の金額は千円ちょっと。大した額ではないわね。ブランドもののバッグをひったくられた人もいるんだけど、そういうのも含めてバッグはすべて捨てられていたわ。犯人は財布の中の金以外に手をつないみたいね」
「悪の美学ってやつですね!」
「それはちょっと違うと思う」
我が妹の頭の悪そうな発言に葵さんはやんわりとつっこんでくれた。
葵さんはこっくりも船を漕ぎかけている白本さんに視線を戻した。
「それで白本ちゃん。何かわかった?」
「いえ……寝てみないことには何とも」
「何で寝るの?」
「白本さんは眠って夢の中で推理するんです」
おれが言うと、葵さんは驚いたのか目を剥いた。
「何じゃそりゃ。変わってるわね。じゃあいまはまだ何もわからないってこと?」
「いいえ。一つだけ、わかっていることがあります。警察の導き出した犯人像は少し間違ってます……」
「え、どういうこと?」
「……詳しくは起きてから話します。十分経ったら起こしてください」
白本さんが長テーブルに倒れ込むように突っ伏し、寝息をたて始めた。そしてそんな白本さんを萩原さんが写メに納め、おれ以外の全員が引いた。
そして十分が経ち、萩原さんが白本さんを起こした。葵さんが事件のことを尋ねると、白本さんは答えた。
「犯人は背が高く、この辺りで有名な小学生だと思います」
おれの脳裏にとある人物の顔が浮かんだ。
白本さんはどうしてそう推理したのだろうか。




