バイト先
荒巻会長は爆睡したまま、白本さんは眠って目覚めてを数度繰り返し、奥道さんも眠ったりし、起きているメンバーで会話に勤しみつつ、車は目的地へと進んでいった。
そして十時十分ごろ、おれたちはお世話になる旅館に到着した。
雪村さんは慣れた様子で駐車場に大きな車を停める。
「ほい、着いたよー」
雪村さんの気の抜けた言葉とともにどっと疲れがやってきたような気がした。何もしていはずなのだが、長時間車に乗っていたのが久しぶりだからだろう。おそらく中学の修学旅行のときにバスに乗って以来じゃなかろうか。
後部座席では萩原さんが奥道さんを起こし、お隣では響が白本さんを起こし、前の席ではてっきり雪村さんが荒巻会長を起こすものだと思っていたが雪村さんは既に外へ出て伸びをしていたので、おれが後ろから荒巻会長の肩を突っついて起こした。
車外へ出るともわっとした湿気と熱気が襲いかかってきた。海が近いからだろうかと思ったがどうやらそれだけではないようで、アスファルトが濡れていた。どうやらついさっきまで雨が降っていたようだ。天候もあいにくの曇天なので、もしかしたらまた降るかもしれない。
これでは海水浴客も少ないのではないだろうか。駐車場から見える海もやや荒れているように思える。バイト初日、あまり働かずに済みそうで幸いと呼ぶべきか、バイトにきたのに何もせず暇を持て余すことになりそうで不幸と呼ぶべきなのか。
駐車場にあった掲示板に地図が貼ってあったので、何となく見てみる。知らない土地なのだし少しでも情報を得ておきたい。掲示板にはその他に、七月の下旬から行方不明になっている子供二人の顔写真、選挙ポスター、それからひったくりに注意というポスターもあった。どことなく物騒な雰囲気の掲示板だな。
見入っていると白本さんに袖を引かれた。
「生野くん、いこ?」
振り返るともうみんな駐車場の敷地から出てしまっていた。二人で慌てて後を追う。
雪村さんも荒巻会長に付いておれたちはぞろぞろと旅館の出入り口にやってきた。旅館は改装して年月が経っていないのか小綺麗な木造建てだ。なかなかに広く、三階くらいはありそうだ。出入り口の大きな看板には力強い筆文字で『柏宿』と書かれていた。荒巻会長に訊いたところ『かしわやど』と読むらしい。
荒巻会長が出入り口の引き戸を開け、
「こんちはーす」
大きな声で人を呼び出した。玄関前の廊下の左側の暖簾から桃色の和服を着た綺麗な女性が顔を出した。女性はおれたち――というか荒巻会長と雪村さん――を見ると微笑み、
「雪村君と正宗君。こんにちは。待ってたわよ」
「どうもどうも。加奈子さん」
「いやあ久しぶりだね、加奈ちゃん。三月以来だね」
そんなに久しぶりじゃないじゃないか。
加奈子さんとやらはおれたちに笑顔で向き直った。
「初めまして。私、二人の従姉妹の柏木加奈子です。少しの間だけどよろしくお願いします」
ぺこりと行儀よくお辞儀をする加奈子さんに恐縮しつつ各々自己紹介を済ませた。
お部屋に案内します、と言う加奈子さんに連れられ、三階まで上がると一番――正面出入り口から見て――左側の部屋に案内された。
「男性と女性でこちらの部屋と、」
右隣の部屋を刺し、
「あちらの部屋を使ってください」
加奈子さんは二本の鍵を取り出して雪村さんと萩原さんに手渡した。
鍵の番号を確認した雪村さんは加奈子さんを見やる。
「加奈ちゃん、伯父さんはもう海の家にいるの?」
「うん」
「それじゃあ荷物を置いたらすぐにいこうか」
「そうしてあげて。だけどたぶん、全員でいく必要はないかもね。朝の早いうちから降ってた雨がさっきやんだところだから。波も高いし、天気予報ではまだ雨は降るみたいだし」
「そうなんだ……。じゃあ四人くらいで海の家までいって、残りの人たちで観光しようか」
「おっ、兄貴。たまにはましな提案をするじゃねえか」
荒巻会長が意外そうに呟いた。
「他のみんなもそれでいい?」
雪村さんが尋ねると、他のみんなは往々にして頷いた。おれも別にどっちでもよかったので首肯しておいた。
「そっか。それじゃあ正宗はバイトで確定だね」
「は? 何で?」
「関係者がいないとまずいじゃん」
「それなら兄貴でもいいだろ」
「観光するには車があった方がいいでしょ?」
「くっ、まんまと口車に乗せられたってわけか!」
雪村さんはバイトを避けるためにいまの提案をしたということか。柔和そうに見えてしたたかな人だ。よくある光景なのか加奈子さんがくすくすと楽しそうに笑っていた。
「じゃあ残ったみんなでじゃんけんってことでいいかな? 負けた方が海の家にいくってことで」
雪村さんの問いに奥道さんが手を挙げた。
「私はバイトでいいです。会長に付いていきます」
「流石は美善! そう言ってくれると思ったぜ!」
忠義の人である。奥道さんの申し出に待ったをかける人はいない様子だ。みんなバイトより観光をしたいようだ。そりゃそうか。
おれは隣の響を肘で小突いた。
「お前はいいのか? バイトなら料理の腕を存分に振るえるぞ?」
「それはそうなんだけど、魚市場とかにも興味があるんだよね。海から近いし、絶対美味しい魚があるよ」
みんな、それに付き合ってくれるだろうか。
◇◆◇
じゃんけんの結果、負けたのはおれと白本さんだった。つまり海の家にバイトにいくのは荒巻会長、奥道さん、おれ、白本さんというわけだ。
白本さんが海の家に向かうとなって、萩原さんもこっちにいきたいと言ったが、白本さんが「疲れてるだろうからリフレッシュしてきて」と説得した。言われてみれば萩原さんはついこの間までバレーの大会で一人奮闘していたばかりなのだ。それなのに今回のバイトの旅に付いてくる辺り、本当に友人思いである。
そんなわけでおれたちは部屋に荷物を置き――海が見える部屋だったので晴れの日が楽しみである――、仮に海の家が繁盛してきた場合、連絡してヘルプを頼むということにして二手に別れた。
荒巻会長に連れられて砂浜へとやってきた。徒歩二分もかからない場所に海があるというのは、なかなか不思議な感じだ。我が地元には山しかないから当然だが。
だが別にテンションは上がらなかった。曇った空、湿った砂浜、荒れる海を見てテンションを高ぶらせよと言われてもどたい無理な話である。周囲に人は数人しかいない――しかもみんなつまらなそうにしている――ところを見ると、おれの感性がおかしいわけではない。
しかし荒巻会長の感性はおかしかったようで、
「いやあ、荒れてんなあ海! こう、うねりにうねる波を見ると心をかき立てられるものがあるぜ。なあ美善」
「同感です」
無表情なので奥道さんが本気でそう思っているのかわからない。
おれは白本さんに小声で尋ねた。
「ねぇ白本さん、荒巻会長の言ってることわかる?」
「あんまり、わからないかな」
「だよね」
「そこの二人、こそこそしてねえでさっさといくぞ」
右手側にある建物に向かっていく荒巻会長に呼ばれ、おれたちは急いで付いていく。
荒巻会長は開け放されていた引き戸から躊躇なく店内へ入った。
「伯父さーん、正宗がきたぞー」
客用のテーブルで新聞を読んでいた筋骨隆々の大男が顔を上げた。男性はおれたちを見てにかっと笑った。
「おっ、きたか。久しぶりじゃねえの正坊。悪いな忙しい中呼び出しちまって」
「いいってことよ」
荒巻会長はおれたちを親指で指し示し、
「こいつら俺の後輩で左から奥道美善、白本由姫、生野亨」
よろしくお願いします、と三人揃って言う。
「おお、こちらこそな。俺は柏木海冶だ。正坊の母親の兄だ」
「こいつらの他に兄貴と後輩がもう一人、それから生野の妹がきてるけど、いまは観光にいっちまってる。今日は人手はいらなそうだから二手に別れたんだ」
「なるへそ。そいつは英断だ。というより、ぶっちゃけ四人もきてもらっちまって悪い気がするな。今日はこんな調子だから、俺一人でも十分回りそうだ」
荒巻会長は拍子抜けしたかのようにため息を吐いた。
「やっぱりか……。全員で観光しときゃよかったな。兄貴の野郎……」
恨めしげに呟く荒巻会長の肩を海冶さんが勢いよく叩いた。
「がっかりすんなって! 昼になったら昼飯だけ買ってく人たちもいるから、もしかしたら人手がいる可能性もあるんだ!」
「どうだかねえ……」
荒巻会長は疑わしそうに言った。




