七人出発
待ち合わせ場所はアチパの正面入り口から二百メートルほど離れた駐車場だった。駐車場と言っても、近隣の小学校の運動会などのイベントが開催されない限り普段は三、四台の車しか停まっていない。ただアスファルトが広がっているだけの物寂しい空間だ。
そんな駐車場の隅っこに黒いワンボックスカーとその周囲に集まる人々を発見した。人数を数えると、今回のメンバーのうちおれと響を抜いた数だった。つまりおれたちが一番遅かったということだ。申し訳なさを抱きつつ響を急かし、みんなのもとへと向かった。
「すいません。お待たせしたみたいで」
開口一番に謝ると、荒巻会長がけろりとした顔で手を振った。
「俺と兄貴も二分前にきたところだから気にするな」
荒巻会長の隣にいた優しそうな顔立ちの男性……おそらく荒巻会長のお兄さんと思われる方が笑顔でVサインしてきた。初対面なのだが、なかなか親しみやすそうな人である。
おれは隣の響を見て、
「こいつ、妹の響です」
「どうも! はじめまして!」
響が元気よく敬礼した。これをきっかけに各々が自己紹介を始めた。最後に名乗った白本さんに響は食いついた。
「おお、あなた白本さんですか! 兄が毎度お世話になってます! 白本さんのことは常々兄から聞いていますよ!」
我が妹に両手を握られた白本さんはその勢いに苦笑し、
「う、うん。こちらこそ。わたしも生野くんにはお世話になってるよ」
「いえいえお世辞はいいですよお。お兄ちゃんが大したことをしていないのはわかっていますから!」
おれは響の服の襟を掴んで引っ張った。
「白本さんが困ってるから離れろって」
「普段のお兄ちゃんの方が困らせてるでしょ絶対」
「反論できないからそういうことを言うな。ごめん白本さん」
「ううん。気にしてないから」
白本さんは微笑みを返してくれる。今日の彼女はもちろん制服ではなく白い涼しげなワンピースだった。非常に……どころか異常に似合っている。ワンピースという衣類が白本さんのために生まれてきたのではないかと思ってしまうほどに。そういえば白本さんの私服姿を見るのは初めてだ。白雪姫の衣装を着た彼女は見たことあるけれど。
中高生が挨拶し終わると、荒巻会長のお兄さんがおれたちに名乗った。
「正宗の兄の荒巻雪村だよ」
やや軽い口調の荒巻会長と違って雪村さんの声音は柔和であった。こちらこそよろしくお願いします、響と二人で返事をする。
「うん、よろしくよろしくよろしく勇気ってね」
雪村さんあなた何歳ですか……。知り合いにカミハラがいなかったら絶対何のことだかわからなかった。明らかに世代じゃないでしょう。事実、おれと荒巻会長以外はなんのこっちゃという表情を浮かべている。
「兄貴、そりゃ古すぎて誰にもわかんねえよ」
「え、そう? 八十年代だよ?」
「十分古いから」
「えー、でもゴーカイジャーとのコラボでも出てるフレーズなんだけど……」
「映画見てなかったらわからねえだろ」
「そっか。じゃあ『お前は人間たちの中で生き続けろ』って言った方がよかったかな?」
「何で出会いの挨拶でその台詞を言うんだよ」
「あ、それは知ってます! お兄ちゃんの横で私泣いちゃいましたよ、そのシーン」
そういえばカミハラから借りた――というか強引に渡された――DVD、響も見ていたな。
「へぇ、以外だな。生野もそういうの見るんだな」
「友人にオタクがいまして。DVDを押しつけられて感想を聞かれるんです」
「ははは!」
「おお、響ちゃん――だったよね――君は素晴らしいね。あれは泣かざるを得ない。おっと奥道さん、ネットで調べちゃ駄目だよ。ネタバレを見たら感動が薄れてしまうからね」
「そうですか」
奥道さんは相変わらずの無表情ながら、残念そうに肩をすくめてスマホを制服のスカートにしまった。……というか何でこの人制服なの?
「あの回で特にいいのが最後のカットだね」
「ああ、あのシーンもいいですね。前向きに捉えればどこまでも続く未来を、悪く捉えれば一生終わらない未来を暗示しているみたいで」
「そうだよねえ。余韻半端ないよねえ」
盛り上がる二人を後目に白本さんが袖を引っ張ってきた。
「あの二人はなんの話をしてるの?」
「ええと――」
教えようとしたとき、クールな声が響いた。
「あの、早くいきませんか? 三時間以上かかるんですよね?」
萩原さんの有無を言わせぬ口調、そしてド正論に全員が車のドアに向かったのだった。
八人乗りのワンボックスカーに七人が入ったのだから同然、大きな車体にも関わらず中は窮屈に感じられた。
運転席に雪村さん、助手席に荒巻会長。次の列の進行方向左側からおれ、響、白本さん。最後列同じく左側から萩原さん、奥道さんと座った。
そして時刻六時四十分、石川県某市へ向けて出発した。
◇◆◇
出発から数十分が経ち、おれたちが乗る車は高速道路へ入った。まだまだ道のりは長く、あと三時間くらいはかかるらしい。普段車になんて乗らないから、酔わないかどうかが心配だ。響にあれだけ注意しておいてあれだが、酔い止めの存在――というか車酔いの存在――を忘れていた。白本さんたちの前でリバースするのはごめんだ。というより朝ご飯を食べてくるんじゃなかった。
色々と後悔が湧いてくるけれど、時既に遅しだ。どうしようもない。
ただ、響はおれのような不安は一切感じていないようで、お隣の白本さんと仲良く話している。
「白本さんは中学年のときから色んな事件を解決していたんですか?」
「ううん。高校に入学してからだね。そもそも中学のときは交友関係が狭くて、なっちゃん以外に友達がいなかったから」
「そうなんですか。意外です。すごいモテそうなのに。告白されたこととかないんですか?」
「え、ええと、それは――」
「あるわよ。私の知ってる限りで三回」
後ろの座席に座る萩原さんが口を開いた。
そりゃあ白本さんなら誰かに告白されても全然不思議ではない。しかしなんだろう、この胸のざわつきは……。
「ち、ちょっとなっちゃん!?」
「といっても、全員振ったのだけどね」
「えー、どうしてですか?」
響にきょとんとした顔を向けられ、白本さんはたじろぐ。
「みんな、全然話したことのない人たちだったから……。どんな人かもわからないのにお付き合いするのは、ちょっと……」
「あー、そういうのはわかります」
胸のざわつきが収まった。一体何だったんだろうか。
響がちらっちらっとおれを見てきた。何だよ、と小声で尋ねると、にやにやと笑いながら、
「お兄ちゃん、これはもう白本さんを彼女さんにするしかないよ」
「か、彼女……!? 何でそうなるんだ」
「無欲のお兄ちゃんが恋を知るいい機会だからだよ。付き合ったら絶対好きになるって。私の勘だけどこれは脈ありだね。初めての男友達に惚れない女の子はいないって統計で出てるし」
「誰が取った統計だよ」
「丈二さんと纐纈さんって人。この間中学に取材にきてたよ」
何やってんだあの二人。
「けどそれを言ったら剣也だって初めての男友達に入るだろ」
「剣也さんよりお兄ちゃんの方が印象深いって。変な事件を持ってくるんだから。それに剣也さんは年上好きだから、どの道二人はくっつかないよ。私の勘だけど、白本さんは押しに弱い。押して押して押しまくればいけるよ! せっかく海いくんだからアプローチしちゃいなって!」
「お前なあ……」
それはお前がこそこそ盗み見て楽しみたいだけなんじゃないか。
こそこそ喋るおれたちを首を傾げながら見ていた白本さんが口を開いた。
「二人とも、どうかしたの?」
「い、いや! 気にしなくていいよ!」
「は、はい! 家庭のお話ですので!」
テンパりながら答えると白本さんは不思議そうな目を向けてくる。響め、車内であんな話をするから。
恨めしげに響を見ると、かすかすの口笛を吹いていた。
「私も響ちゃんに訊きたいのだけど」
萩原さんが後ろから声をかけた。
「生野君って、本当に高校入学前までは変なことに巻き込まれたりしていなかったの?」
「私の知る限りはないですね。あったらきっと話してくれますから。お兄ちゃんは何かある度に私に話してくれるんです」
「仲がいいんですね」
奥道さんが感心したように言った。後ろにいるからわからないが、たぶん無表情だろう。
「そうですね。友達に異常に兄妹仲が悪い子がいるんですけど、彼女と比べたら大分仲はいいですね」
「それって、もしかして浅倉くんたちのこと?」
白本さんの問いに響は頷いた。
「はい。私、剣也さんの妹の刀子ちゃんと同い年なので」
「浅倉くん……『異常に』が付いちゃうくらい妹さんたちと仲悪いんだ……」
白本さんは唖然とした様子で呟いた。悪いですとも。まあ、幸いにも浅倉シスターズはおれには懐いてくれているので、おれに飛び火したりはしない。
「話を聞いていて気になってきたよ。一体、生野くんはどんな事件に巻き込まれてきたんだい?」
運転中の雪村さんがのほほんと訊いてきた。
彼はこれから長い長い運転をしなければならない。大変だろうから、余興の一つとして話すのもありだろう。おれは四月の密室事件からこの間のドレス窃盗事件までを伏せるべきところを伏せつつ説明していった。順々に語っていって気づいたのが、七月までは月二回のペースで白本さんを頼っていたけれど、七月だけはカミハラの漫画の暗号に始まり、姉ちゃんの奇行や伶門蓮雄騒動、連続パイ投げ事件、そしてドレス窃盗と異常に密度が濃かった。
この話をしている間に白本さんは眠ってしまった(ちなみに荒巻会長は出発してすぐに寝た。そして現在もいびきをかいている)。
「へぇ、とんでもないね。いまの谷津川高校は風都なのかな。二人で一人の探偵の出番なんじゃない?」
「そこまで治安悪くないですよ。それにおれの周囲だけですし、探偵は心強い白雪姫がいるので問題ないです」
「そうみたいだね。けど真に困ったときには彼らを頼ることをお薦めするね」
「知り合いみたいに言ってますけど、現実に存在しませんからね、あの二人」
「二人は何の話をしてるの?」
萩原さんが冷たくつっこみを入れてきた。
「あ、ごめん。気にしなくていいよ」
とりあえず謝っておいた。
「それにしても、少し不安ですね」
「どうしてですか?」
低い声で呟いた奥道さんに萩原さんが尋ねた。
「いまの生野さんの話を聞いていて、殺人事件に巻き込まれるような気がしてしまいまして。ほら、旅先で事件に巻き込まれるのは推理小説や推理ドラマの定番ですから」
自分の顔が苦々しいものになるのを感じた。
「怖いこと言わないでくださいよ」
奥道さんの予想は的中し、この後おれたちは殺人事件とまではいかなくとも、やはり事件に巻き込まれることになる。




