手芸部と文芸部
7月末。夏休みの初日。にも関わらず、おれは制服を着て、朝九時に外出した。響に補習? と心配されたので違うと断っておいた。次に夏期講習? と意外な顔をされ、これまた違うと言うと「だと思った」と若干小馬鹿にされた。あいつも勉強しないしできないくせに……。
ではなぜ、碌に部活などやっていないおれがこんな朝早く――九時って早いのだろうか――に学校へ向かっているのかというと、一昨日の委員長からの……というより演劇部部長の小泉さんからの誘いという名の依頼を受けたからだ。
今日の十時頃から演劇部が全国大会に向けた本番練習をするので、その手伝いと見学をするのである。剣也は諸事情で少し遅れるとのことだ。
剣也は演劇部に何度か出入りしているようであったが、おれはそんなでもないので、小泉さんに会うのは久しぶりである。また勧誘される気がするが。
太陽が外を殺人的な暑さに染め上げていたので、自転車でいくことにした。これでも暑いことには変わりないが、風も受けられるし目的地にも早く着くので相対的に陽の下にいる時間が下がる。
自転車での登校は初めてだったので駐輪場を探すのに手間取った。背中や首、額から不快な汗が吹き出てくる。暑い……。
襟元を摘まんでパタパタさせつつ、照りつける灼熱の太陽から逃げるように足早に目的地の体育館へと向かう。
クーラーが効いてれば万々歳だが、あいにく我が校の体育館に冷房は完備されていなかったはずだ。だから終業式のとき異常なまでに暑く、校長先生の話も一分くらいで終わった。
だが、おれは一縷の望みにかけてクーラーの効いた涼しい体育館を想像しつつ足を進ませた。その結果待っていたのは無慈悲に開け放されていた出入り口だったので絶望しかけたが。
体育館に入ってまず最初に待ち受けていたのは「バンッ」という強烈な轟音だった。バレーボールのサーブが床に接触したときの音だったようで、目の前にタンタンと白い球が弾んでいる。
そのボールの――ネットを挟んで――反対方向を見やると相変わらずクールな表情の萩原さんとパチパチ拍手をする白本さんの姿があった。他のバレー部の姿はない。
「おはよう」
駆け寄って挨拶をすると、二人が振り向いた。
「あっ、生野くん。おはよう」
「おはよう生野君。……すごい汗ね。大丈夫?」
「うん、まあ、あんまり大丈夫じゃないかな」
萩原さんの質問に曖昧に笑って答えると、彼女は顎を壁方向にしゃくり、
「そこに私の荷物があるわ。制汗スプレーもあるから使っていいわよ」
「ありがとう、使わせてもらうよ」
萩原さんが示した方向にスポーツバッグがあった。その隣にスポーツドリンクと制汗スプレーがぽつんと置いてある。
おれは制汗スプレーを手に取ってシャカシャカ振ると、服の内側へ吹きつけた。ああ、気持ちいい。
スプレーをもとに位置に戻し、再び二人に歩み寄る。
「ありがとう萩原さん。助かったよ。……他のバレー部の人はいないの?」
「今日の練習は昼からなのよ。よりによって一番暑い時間帯にやらなくてもいいのに……」
萩原さんはふっと息を吐きながら呟いたら。
「わたしが今日のこと話したら、なっちゃんが付いてきてくれたんだ。個人練習するつもりだったからちょうどいい、って言って」
白本さんが嬉しそうに言った。彼女は外で寝てしまう危険性があるから出歩くのにも付き添いがいるのだ。
萩原さんはやや恥ずかしそうにそっぽを向き、
「まあ、大会も近いし……」
いまさら照れることもないと思うが、まあいい。
おれは白本さんに尋ねる。
「白本さん、小泉先輩はどこにいるの?」
「あそこにいるよ」
白本さんが舞台前を指さした。
数人の男女が集まって談笑している中に小泉さんの姿があった。見た目も姿勢もよく、何よりオーラがあるので一目で発見できた。というより一人だけ制服ではなく、中世の女性が着てそうなピンクのドレスを着ているのだが……。
「挨拶してくる」
二人に断って、小泉さんに駆け寄っていく。彼女は途中でおれに気づいた。
「おっ、きたね生野君」
「どうも。お久しぶりです」
そう挨拶すると小泉さんはきょとんとした顔を浮かべた。
「え、何言ってるの? 毎日会ってるじゃない」
「はい?」
いや、会っていない。久しぶりのはずである。
困惑するおれを余所に小泉さんは談笑していた人たちに向き直り、
「紹介するわね。彼は数少ない男子演劇部員の――」
そういうことか。
「違います。部員じゃないです」
素早く訂正すると小泉さんの悔しそうな舌打ちが返ってきた。この人は相変わらずのようだ。
「一年の生野亨です。皆さんは……?」
ざっと見回してみる。男三人。女三人。幼女一人。男の中には文芸部の岩崎さんの姿があった。
小泉さんが集団を手のひらで指し示し、
「手早く紹介していくわね。このサイドテールでのんびりナマケモノみたいな女子が手芸部の部長の茅野優樹菜」
「よろしくね」
茅野さんがおっとりとお辞儀をしてきた。
小泉さんは続ける。
「で、このぱっと見わからないくらい地味に髪を茶色に染めてる似非ギャルが早見さくら。手芸部ね」
「ちょっ、その紹介ひどくない!?」
早見さんがそこそこギャルっぽい口調でつっこんだ。ギャルになりたいけどなりきれない、田舎者特有の臆病さが感じられた。
小泉さんは眼鏡をかけた幼女連れの男子生徒に顔を向ける。
「この――」
「初めまして、二年の島崎一馬。手芸部だ、よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
「手芸部に所属していることは他の生徒に言わないでほしい。恥ずかしいから友達にも黙ってるんだ」
「わかりました」
小泉さんがぶすっとした顔で島崎さんをにらみつけた。おそらく島崎さんは早見さんのように+αを付けられたくなかったのだろう。
島崎さんは手を繋いでいる幼女に視線を下げ、
「この子は妹の湊だ。今日、演劇部が本番練習をすると教えたら見たいと言ったから連れてきた。湊、挨拶しないさい」
兄に促され、湊ちゃんが元気よく頭を下げてきた。
「うん。はじめまして! 小学一年生です!」
おれはこちらこそ、と笑いかける。名前はいわないのね。
「どうして小さい子ってこんなに可愛いのかなあ?」
茅野さんがうっとりした表情を浮かべながら呟いた。
小泉さんによる紹介コーナーは続く。
「そこの刈り上げが鈴村清。ボブの眼鏡が矢作春日。そして――」
「ちょいストップ!」
「小泉さんタンマ!」
鈴村さんと矢作さんが同時につっこんできた。
残る岩崎さんの紹介を邪魔された小泉さんは眉をひそめた。
「何よ?」
「俺たちの紹介おざなりすぎるだろ!」
「ボブの眼鏡って何ですか!? 外国人の眼鏡ですか!? せめてボブカットの眼鏡と言ってください!」
二人から反感の声が上がった。小泉さんはそれを一笑に付し、
「ふんっ。後ろに愛する愛する石崎が控えてんのに、あんたたちの紹介なんて真面目にできますかい!」
三人の言い合いをガン無視し、石崎さんが挨拶してきた。
「久しぶり」
「あ、はい。そうですね……」
おれがあの三人をちらりと見ると、石崎さんは表情を変えずに、
「気にしなくてもいいぞ。いつもあんなだから」
「そ、そうなんですか」
いつ終わるのだろうか、思いながら喧嘩する三人を眺めていると、小泉さんが息を切らしながら近づいてきた。
「まああの二人はいいわ。生野君、舞台の準備を手伝ってもらっていい? 暑いでしょうけど」
「はい、いいですよ。……今日はあれはないんですか? 演劇部の掟何箇条だかは」
「二箇条ね」
演劇部は近いうちに行う舞台の役になりきらなければならいという決まりだ。
「もちろんあるわよ」
「ですけど、普段とあまり変わりませんよね?」
「そりゃあね。あたしの演じる役は頼れる姉貴分キャラだから。普通にしてるだけでもなりきってることになるのよ」
この人は自分のことを頼れる姉貴分だと思っているのか。
「それで、おれは何を手伝えばいいんですか?」
「部室から舞台装置を持ってきてほしいんだけど……まだいいわ。部員が集まってきたら一緒にやってくれる?」
「わかりました」
演劇部員の方々が集まるまでまだ時間があるようだ。手芸部、文芸部の方々は暑い暑い言いながら体育館から校舎――我が校は全ての部屋にクーラーが完備されているのだ――へと移動もとい避難していった。
残されたおれと小泉さんのもとに白本さんが駆け寄ってきた。
出入り口を見つめながら尋ねてくる。
「皆さんどうかしたんですか?」
「なんにも。ただクーラーの効いた部屋を探しにいっただけ。練習になったら呼んでとさ」
小泉さんはやれやれと肩をすくめながら答えた。おれは首を捻る。
「聞くタイミングを逃しましたけど、どうして手芸部と文芸部の方たちがいたんですか?」
「あいつらにはお世話なったからね。手芸部には衣装を作ってもらったし、文芸部には戯曲を書いてもらったの。だからせめてものお礼に本番練習を観てもらいたかったの」
へぇ、小泉さんのこの衣装は手作りなのか。というより、
「小泉先輩、そのドレス着てて暑くないんですか?」
「当たり前でしょ。こんな気温、あたしたちの舞台の熱さに比べれば屁でもないわ」
小泉さんは胸を張って答えた。これ以上暑くなるのだろうか……。想像しただけでも汗が出てくる(いや、普通に暑いからか?)。
「そういえば、今回の劇はどんなお話なんですか?」
白本さんが思い出したように言った。
小泉さんは自信たっぷりに笑い、
「すごい傑作よ。タイトルは『アリス in wander land the genesis』。『不思議の国のアリス』を隅から隅まで改変した大河物語になってるわ。キャッチコピーは『今、新たな神話が始まる』」
もうどこからつっこめばいいのやら。全国大会だろうがなんだろうが、自分たちの舞台の作風は変えないらしい。
それから五分が経ったころ、委員長と伶門さん、二年の橘さん(戯曲二ページ消失事件のときガンマン役だった人)がやってきた。
「あれ、生野と白本さんもう来てたんだ。早いね」
伶門さんが手をパタパタと扇がせながら驚いた。
委員長は周りを見回し、
「浅倉君は?」
「剣也は諸事情だとかで少しだけ遅くなるって」
どんな事情なのかは知らない。
炎天下の道のりを歩いてきた三人は額に汗を浮かべ、疲れた様子だったが、そんな彼女たちに小泉さんは容赦のない声をかけた。
「三人とも。控え室に衣装があるから、ちゃっちゃと着替えてきなさい」
「え、何で?」
橘さんが困惑の表情を浮かべた。
「本番練習の前に役を自分に降ろしておくのよ」
「何よそのちょっとした降霊術」
「文句を言う前に実行してみなさいよ。ほら、騙されたと思ってさ。というか騙されなさい、橘さんでしょ? ダディでしょ?」
「はあ……。うっさいわねぇ。わかったわよ」
反論が面倒くさくなったのか橘さんは委員長と伶門さんを引き連れ、舞台袖の奥へと向かっていった。
白本さんが肩を突っついてきた。彼女は小声で訊いてくる。
「ねぇねぇ生野くん。どうして橘先輩ってダディって呼ばれてるのかわかる? 下の名前も流香さんでダディとは何にも関連がないから気になってるんだ」
幸いといっていいのかわからないが、カミハラのおかげで知っていたが……こんなしょうもないことを白本さんの優秀な脳に刻むのは憚られた。
故に言葉に詰まる。
「ああ、それ……。それは、まあ、何というか……オンドゥル語というか……」
「オンドゥル?」
「まあ、知らなくても日常生活には何一つ役に立たないから、知らなくてもいいよ」
白本さんは納得できないようできょとんと首を傾げた。おれは無理やり話題を変える。
「小泉さん、さっき『控え室』に衣装があるって言ってましたけど、それってどこなんですか?」
「ん? 舞台袖の奥よ。実際はただの物置で、あたしたちがそう呼んでるだけなんだけどね」
そのときであった。いましがた話していた舞台袖の奥から委員長たちの甲高い悲鳴が響いたのは。




